[麻生圭子さん]難聴(2)講演会で質疑応答を受けないことにした理由…収録番組は50歳代までで区切り 

[麻生圭子さん]難聴(2)講演会で質疑応答を受けないことにした理由…収録番組は50歳代までで区切り 

両耳に起こる進行性の難聴だと診断されたのは、26歳の時、作詞家として活躍するようになったタイミングだった。東京都内の大学病院で別の病気の治療を受けたついでに、聴力の詳しい検査をしてもらった。

麻生圭子さんの写真
エッセイスト 麻生圭子あそうけいこ さん(66)

「50~60歳頃に失聴する可能性がある」と告げられた。「何十年も先のこと」と冷静に受け止め、ショックは受けなかった。

その後、少しずつ生活に支障が出てきた。ピアノの音が高音から1 鍵けん ずつ順に聞こえなくなった。目覚まし時計の電子音に気づかない。タクシーの運転手に話しかけられても、何を言われたのかが分からない。

譜面が読める作詞家としてレコーディングには極力立ち会った。歌いやすく、響きがよくなるように、その場で歌詞を変えることもあった。得意な作業で、歌詞を書くこと以上に楽しい時間だったのに、 憂鬱ゆううつ に思うことが増えた。「音程がずれている」と感じても自信を持って指摘できない。大好きな仕事を楽しめず、音楽を苦痛とすら感じるようになった。

30歳を過ぎた頃、エッセイストに転身した。

テレビやラジオのコメンテーターの仕事は、話している人の唇の動きや話の流れから内容をつかめていたのに、徐々にうまく切り返せない場面が増えた。生放送は40歳代半ばまで、収録番組は50歳代までで区切りをつけた。講演会は質疑応答を受けないことにした。

【関連記事】

[相田翔子さん]耳鳴り 緊張の結婚披露宴 直後に難聴と耳鳴りに襲われ…メニエール病と診断

リンク先はYomiDr.というサイトの記事になります。
ブログに戻る

コメントを残す