2025.09.16 (最終更新:2025.09.16)
駅の入り口に掲げられているカラフルなナビレンスのコード(筆者撮影)
ライター/岡本圭
ニューヨークの公共交通機関であるMTA(Metropolitan Transportation Authority:ニューヨーク都市圏交通公社)は、アクセシビリティ向上のため、視覚障害者の移動を補助するアプリ「ナビレンス(NaviLens)」と、聴覚障害者向けの手話通訳サービス「コンボ(Convo)」を導入した。この取り組みは障害のある人とない人との間に新たなつながりをもたらし、誰もが自分らしく活動できる社会への大きな一歩となる。
スペイン発のナビゲーションアプリ「ナビレンス」
最近、ニューヨークの駅やバス停では、ルービックキューブのようなカラフルなコードを至るところで目にするようになった。このコードはナビレンスという視覚障害者のためのアプリで読み取ることができる。
ナビレンスはスペインのスタートアップ企業Neosistecとアリカンテ大学が共同開発し、画像認識とコンピュータビジョンなど最新のAI技術が搭載されている。
従来のQRコードのようにフォーカスを必要とせず、最長20メートル先の情報を約0.03秒の早さで取得できるのが特徴だ。160度の角度に対応し、歩きながらスマートフォンのカメラを前方に向けるだけで、スムーズな音声ガイダンスを受けられる画期的なアプリだ。

Exit表示の左側にあるナビレンスのコード(筆者撮影)
ニューヨーク市では2020年から試験運用が始まり、2023年に米国運輸省(DOT)から助成金を受けたことで本格的な導入が進んだ。現在は48の駅と3つのバス路線まで拡大している。
ナビレンスの導入により、視覚障害者は駅構内の道案内や、地下鉄やバスのリアルタイムの到着時間、階段やエレベーターの位置など、さまざまな情報にアクセスできるようになった。また、40カ国語に対応しているため、ニューヨークでは言語支援ツールとしての役割も期待されている。
筆者も実際に使用してみたところ、驚くほど読み込みが早く感動するほどであった。歩きながら次々と前方の情報を音声で読み上げてくれる。日本語で案内を受けられることも大変便利だ。

電車内のコード(左)乗り場と到着時刻の情報(右)(筆者撮影)
また、同社は拡張現実(AR)機能を搭載したナビレンス・ゴー(NaviLens GO)も開発し、視覚に障害のない人もナビレンスを活用できる仕組みをつくっている。どちらのアプリも同じコードを使用できるので、音声案内に特化したナビレンスと、視覚で情報を伝えるナビレンス・ゴーのいずれかを利用者は選ぶことができる。
MTAに話を聞くと、2023年の導入から約6カ月の時点で、ナビレンスとナビレンス・ゴーを合わせて月平均1万件のアクセスがあり、コードの設置を拡大するにつれて利用が着実に増加しているとのことだった。MTAは引き続き利用者からのフィードバックを収集しており、2026年にその結果を一般公開する予定だ。
高い汎用性でバリアフリー化を促進
ナビレンスには移動支援に限らず、さまざまな活用方法がある。例えばケロッグやP&G、コカ・コーラなどは自社製品のパッケージにナビレンスを導入した。アメリカではまだシリアルや洗剤などわずかな商品にしか見られないが、ヨーロッパではより多くの企業が導入している。
ナビレンスのコードを商品に掲載すれば、視覚障害者は商品情報やアレルギー情報、また商品の位置を把握できるようになる。一方、ナビレンス・ゴーの利用者は、フィルター機能を使って商品のアレルギー情報を取得したり、ベジタリアン対応の商品などを見つけたりすることができる。

スーパーでのシリアルコーナー。パッケージ表面にコードが掲載されている(筆者撮影)
アイルランドのスーパー、テスコ(Tesco)では、ナビレンスを使った画期的なパイロット試験が実施された(リンク先はYouTube動画〈英語〉)。視覚障害者が自分で買い物できるよう、通路などでナビレンスを使用し、ナビレンスが搭載されていない商品に対しては値札に商品名や価格などを入力したコードを貼るなど、さまざまな工夫がなされている。
何かを選ぶためには、情報を得られる環境がまずは必要だ。こういった取り組みが標準化されれば、視覚障害者の生活の自立性や自由度は飛躍的に高まる可能性がある。
ナビレンスは他にも世界のさまざまな都市の美術館、博物館、病院、大学などで導入されている。ナビレンスのコードはアプリから無料で簡単に入手でき、コードに入れる文字情報もいつでも編集可能だ。スマートフォンとプリンターがあれば、必要な時にすぐに利用することができる。
スペインのムルシア市ではすべての道にナビレンスが設置され、さらに歴史も学べる仕組みも整備されている。使い方はアイデア次第で無限である。
日本でも大阪・万博会場、東京都済生会中央病院、神戸アイセンター病院、九州国立博物館など全国各地の団体や自治体で導入されているので、ぜひ一度体験してみてほしい。
会話をサポートする手話通訳サービス「コンボ」
コンボは聴覚障害者にオンデマンドの手話通訳を提供するサービスだ。アメリカに本社を構えるサービス名と同じ名前の企業が提供している。コンボ社は世界最大のろう者による経営企業で、アメリカ以外にも他4カ国で10言語の手話通訳サービスを展開している。
アプリのインストールは不要で、スマートフォンのカメラでQRコードを読み取るだけで、すぐに手話通訳者とつながることができる。(フェイスブックでの紹介動画)
今年2月から15の窓口で試験導入が開始され、すでに94%という高い稼働率を達成した。MTAは、利用者から「職員との関係性が深まり、より自然なやり取りができた」との評価が寄せられたと報告している。
実際に窓口の担当者に話を聞くと、「これまでは筆談でのやり取りだったが、コンボにより10秒もかからず通訳者を介して会話をすることができる。(スマートフォンによる機能で)こんなに素晴らしい体験をしたことはない。画期的なサービスで驚いている」と語っており、従来の筆談とはまったく違ったコミュニケーションが生まれていることが感じ取れた。

Zoom通訳でろう者のオンライン活動を支援
コンボの名前は会話という意味の英語「Conversation」に由来する。聴覚障害者と健聴者の通訳を行う電話リレーサービスの企業として2009年に誕生して以来、人々を結びつける会話に命を吹き込むことを目指して活動している。
新型コロナウイルス感染症拡大以降は日常にオンラインのミーティングが大きく増えたことを受け、ろうコミュニティが取り残されることがないようZoom通訳を開始した。
コンボ Zoom(Convo Zoom)はプライベートでの利用にとどまらず、仕事や医療、教育現場などさまざまな用途で24時間365日利用でき、事前予約も必要ない。
費用は米国連邦通信委員会(FCC)が出資し、無料で利用できる。必要に応じて最大2人まで通訳者を招待でき、通訳者の性別を選択することも可能だ。利用者の好みに応じた会話方法を提供しようという姿勢を感じる。

ろう者のシェフによるコンボZoomを使った実演の様子(インスタグラムの動画より)
コンボCEOのベッツ氏は事業について、あるイベントで次のように語っていた。
「毎日、聴覚に障害のある人たちがいて、健聴者と会話ができずにいる。その苦しみを思うだけで、そのニーズにあったテクノロジーの開発に一生懸命取り組もうという意欲が湧いてくる」
自分自身を表現できないつらさは誰もが理解しうるものだとし、テクノロジーの開発においてアクセシビリティを最優先にすることで、すべての人にとってより公平な社会の実現を推進できると述べている。
アクセシビリティは権利の時代へ
今年6月に、ヨーロッパで欧州アクセシビリティ法という歴史的な法律が施行された。この法律はEU市場におけるデジタルサービスや製品に対し、障害をもった人も公平にアクセスできるよう、環境の整備を義務づけるものだ。
これは欧州企業だけでなく、EU市場に参入している外国企業にも適用されるため、アクセシビリティは「あったら良いもの」ではなく「守るべき権利」の時代に入った。
アメリカではまだ欧州のように義務化には至っていないが、こうした取り組みは市民運動と深く結びついている。ワシントンD.C.にある、ろう者のための大学「ギャローデット大学」では、1988年にろう者の学長の就任と自己決定権を求める学生運動が起こった。
この運動は後に「障害をもつアメリカ人法(ADA)」の成立にも影響を与えた。そして今年5月にこの学生運動を描いたドキュメンタリー映画「デフプレジデントナウ!(Deaf President Now!)」がApple TVで公開され、アメリカで大きな話題を呼んでいる。コンボ社も製作に協力しており、より多くの人に関心を持ってもらおうとしている。
今年11月には、いよいよ第25回夏季デフリンピックが日本で初開催される(2025年11月15日〜26日)。今年はデフリンピック100周年という節目の年だ。SDGsの理念である「誰一人取り残さない」という意味を、現在の世界において再び問い直すような、素晴らしい機会になることを願ってやまない。
岡本圭 ( おかもと ・けい )
ニューヨーク在住フリーライター。ニューヨークで修士課程を修了後、カルチャーやSDGs関連、NPO誌などで執筆を行う。文化を通じた社会課題や気候変動への取り組みを主なテーマに取材する。
リンク先はThe Asahi Shinbun SDGs ACTIONというサイトの記事になります。