「敬老の日」補聴器製造にパナソニック工場大忙し…参入のきっかけは、創業者・松下幸之助が妻を案じ

「敬老の日」補聴器製造にパナソニック工場大忙し…参入のきっかけは、創業者・松下幸之助が妻を案じ

2024/09/10 15:29 九州発けいざい

 敬老の日(16日)を前に、佐賀県鳥栖市にあるパナソニックホールディングス(HD)の工場で補聴器の製造が繁忙期を迎えている。啓発イベントなどがこの時期に多く行われ注文が増えるためで、工場では技術者たちがほぼ手作業での組み立てに追われる。60年以上前に創業者が妻の身を案じたことが参入のきっかけとされる同社の補聴器事業は今年、九州に製造や開発の拠点が移って10年の節目を迎えた。(川口尚樹)

0.5ミリ間隔

手作業で補聴器を組み立てる技術者
手作業で補聴器を組み立てる技術者(6日、佐賀県鳥栖市で)=中山浩次撮影


 鳥栖市郊外の国道沿いに立つ「パナソニック補聴器」(本社・東京)の工場内で6日、技術者たちが机上の顕微鏡をのぞきながら、ピンセットなどの道具を使って慎重に補聴器を組み立てていた。

 補聴器本体の大きさは約2センチ・メートル。髪の毛より細い0・2ミリ・メートルの導線を0・5ミリ・メートル間隔で部品の基板にハンダ付けしたり、聞こえる音を拡大する約1センチ・メートルのレシーバーを本体に収めて固定したりと、精密な作業が求められる。

 工場で補聴器の製造に携わる技術者は約30人いるが、全国の販売店で購入者の耳の穴の型を取ってからつくる完全なオーダーメイド品を手がけられるのは、熟練の数人だけという。

 3万人以上の型を見てきたという技術者の小野嘉弘さん(52)は「一人として同じ型はなく、耳の穴が小さい場合は部品を収めるのに苦労する。レシーバーの角度がわずかに違うだけで聞こえ方も異なるため、どれだけ作っても難しい」と話す。組み立てを担って7年の上永敦嗣さん(50)も「細かな作業ばかりで、最初の頃は失敗しないようにと力が入り、逆に手が震えてしまった」と振り返る。

技術展で補聴器を試す創業者の松下幸之助
術展で補聴器を試す創業者の松下幸之助(1978年撮影)=パナソニックHD提供

 家電メーカーとして知られるパナソニックが最初に補聴器製品を発売したのは、創業から約40年後の1959年で、グループ創業者の松下幸之助が妻の聴力低下を心配し、社内で開発を命じたことから事業を始めたとされる。


補聴器「着けるのが恥ずかしい」欧米より低い普及率…ファッション感覚で使える製品投入も


 その後、メガネ型補聴器の開発や独自ブランドの確立などで事業を拡大し、グループ再編に伴って2014年、補聴器の設計・開発部門を福岡市博多区の拠点に、製造部門を鳥栖市の拠点にそれぞれ集約して現体制となった。

 補聴器は医療機器に分類され、加齢とともに聞こえ方も変わるので購入後も調整が欠かせない。修理対応にも力を入れるパナソニックの場合、価格は20万~120万円台をそろえる。

  下唐湊しもとそ 忠・補聴器製造課長(56)は「聞こえやすく、生活の質を上げることが補聴器の役目。『聞こえる』喜びを体感してもらえる製品を今後も作っていきたい」と話している。


リンク先は讀賣新聞オンラインというサイトの記事になります。
Back to blog

Leave a comment