RCCニュース
2025.02.16 15:00

テニスコートで軽快な打球音が響かせるのは、広島市にある安田女子大学4年生の倉本莉々子さんです。見ただけでは普通のテニスプレイヤーですが、莉々子さんは、生まれつき難聴を患っています。彼女の人生を変えたのは「テニス」との出会いでした。「やれば出来る」。聴覚障害を持つ人たちによるテニス「デフテニス」の全国大会で2度の優勝に輝くアスリートに成長した莉々子さん。同じような障がいを持つ子どもたちに伝えたい思いとは─。
倉本莉々子さん
「最初は全く聞こえないこともあったので、『口話』という口の動きと音を同時に聞き取ってコミュニケーションをとっていまして」
厚生労働省によると、いま、国民全体の10%にあたる約1,430万人が発症しているとされる「難聴」。難聴を発症する原因やタイミングは人ぞれぞれで、生まれつきの人もいれば、大人になって症状があらわれる人もいます。

莉々子さんは、生まれつき難聴を抱えています。
現在は両耳に人工内耳を埋め込み、静かな場所でならある程度会話ができる莉々子さんですが、人工内耳なしの聴力レベルは、飛行機の通過音が聞こえない120デシベル相当で障がい者手帳2級。重度の難聴に当てはまります。
「あっ私と同じだ」人生を変えたデフテニスとの出会いは…
幼少期は耳が聞こえにくいことで、人見知りだった莉々子さんが「テニス」と出会ったのは小学4年生のときにさかのぼります。
倉本莉々子さん
「小学4年生のときに学校の近くにテニスクラブができて、母に『もしよかったら見学してみないか』と誘われて始めました。
テニスでは一般的にタイミングを計るために「打球音」が重要とされますが、莉々子さんはその音が聞こえづらいというハンデを背負います。
しかし、軟式テニス部に所属した中学最後の区大会で、団体・個人のダブル優勝を果たし、テニスで人生初の表彰台に上がりました。
その後、高校2年生のときに聴覚障がい者のテニス、「デフテニス」の存在を知ります。

倉本莉々子さん
倉本莉々子さん
「『あっ、私と同じだ』と思って、そこからやり始めました」
その「デフテニス」で莉々子さんはめきめき頭角を現します。大学3年生で出場したデフテニス全国大会のシングルスで見事初優勝を勝ち取ると、さらに去年の全国大会では、ダブルスで初優勝。その活躍に「広島県スポーツ知事表彰」が与えられました。
倉本莉々子さん
「デフテニスは自分の人生を変えてくれた存在で、もし私がテニスをしていなかったら、今の自分ではなくて。元々自信がなかった私でも変えることができたので、本当にテニスのおかげだと思っています」
憧れと尊敬を抱く姉の存在 2人で始めたデルテニス教室

2月11日、テニスコートに集まっていたのは、難聴の子ども達。莉々子さんは月に1度、先生としてデフテニス教室を開催しています。一緒にテニスを教えているのは、3歳上の姉・萌々子さんです。
実は、彼女もまた生まれつきの難聴を抱え、両耳に補聴器をつけて生活する1人。同じ「難聴」を持ち、テニス競技の先輩でもある姉は、莉々子さんにとって大きな憧れと尊敬を抱く存在です。
倉本莉々子さん
「姉はもうすごく優しいので、私のわがままにも答えてくれるので、ほんとありがたいし、何かあったときに正確なアドバイスを頂いてるのですごく尊敬してます。」
姉・萌々子さん
「ありがとう、はずかしい…(笑)」

そんな倉本姉妹がデフテニス教室をはじめた理由とは?
倉本莉々子さん
「元々デフテニス教室は全国でやってたので広島でもやってみようって
姉・萌々子さん
「広島がまだやったことがなかったんだよね」
倉本莉々子さん
「まだなかったので」
姉・萌々子さん
「それで広島でもそういう機会を作れたらいいなってことで始まりました」
“耳が聞こえなくても大丈夫”と思ってもらえるように

この日は4回に分けて、子ども達15人の指導にあたった倉本姉妹。自分たちの経験を元に子どもとのふれあいはもちろん、様々な不安を抱える保護者との関わりも大切にしています。
難聴の子どもの保護者
「(自分の)子どもも難聴があって、ちょっとやっぱりスポーツが難しいんですけど、デフテニスは倉本先生が分かりやすく教えてくださるので(通っている)」
倉本莉々子さん
「私が小さいときにテニスを習ってたんですけど、耳が聞こえないことで分からないこともたくさんあったので、こういった経験を子ども達にして欲しくないと思ったので、できるだけ大きい声でアドバイスしたりとか、ジェスチャーでこうやってすると子ども達にも分かりやすいかなと思って、そういうように心がけてます」

倉本莉々子さん
「人生を変えてくれた」と話すほど、デフテニスに大きな影響を受けている莉々子さん。同時にどうしても苦手だった健常者とのコミュニケーションも仲間との大学生活を通じて積極的に考えられるようになりました。
倉本莉々子さん
「元々コミュニケーションが苦手で引きこもるタイプだったんですけど、仲間達がすごく明るくて前向きなので話すのもすごく楽しくて、充実した大学生活を送れています」
この春に大学を卒業する莉々子さんに改めてこの4年間を振り返ってもらうと…
倉本莉々子さん
「もう100点!『私はやればできる』と信じて励みたいなと思っているので、私と同じような障害を持つ方も私の生き方を見て、『あっ、耳が聞こえなくても大丈夫なんだ』と思ってもらえるような大人になりたいなと思っています」






















リンク先はIRAWというサイトの記事になります。
