
メダル獲得「障害児に勇気を」 女子高生、ボウリングで出場目指す―東京デフ五輪まで2年
長野市出身の村田さんは生まれつき耳が聞こえず、スキーを始めたのは2歳の時だった。両親と訪れたスキー場で夢中になり、小学5年でアルペンスキーを始めた。デフ五輪で日本人男子がメダルを取ってないと知り、「自分が最初に獲得する」と決意。長野県内のクラブチームに所属して練習を重ねた。
東京都内の高校に進学したものの、スキー部がなかったため、土日や長期休暇を利用して長野に通い、同じチームで練習を続けた。「雪山だと紙がくしゃくしゃになり筆談はできない。コーチが少しずつ手話を覚えてくれて、一対一で教えてもらった」と明かす。
陸上との「二刀流」を始めたのは高校1年の時、陸上部顧問から体力を付けるために誘われたのがきっかけだった。「1年間ずっとスポーツをしていたが、体を動かすのが好きでやりがいもあった」と振り返る。
体育の勉強ができ、聴覚障害者へのサポートが充実していることから仙台大に入学した。3月に初めて挑んだデフ五輪では、トップとの差はわずか0.11秒。「本当にわずかな差。金メダルが取れず悔しい気持ちと、日本人初のメダルでうれしい気持ちのどちらもあった」と述べる。
来年の夏季大会では400メートルハードルなどでの出場を目指す。仙台大には陸上100メートルで日本人初の金メダルを獲得した佐々木琢磨さん(31)が職員として在籍しており、「彼の技術を学び、自分でできるようになれば出場できる」と意気込んだ。
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