2025年07月11日 03時00分

吉良暁生さん

けいこに取り組む吉良さん(手前)=いずれも本人提供
県立の特別支援学校教諭の吉良暁生(あきお)さん(44)が、11月に日本で開催される、聴覚に障害があるアスリートの国際スポーツ大会「デフリンピック」の柔道60キロ級代表に内定した。吉良さんがデフリンピックに出場するのは安房特別支援学校(館山市)に勤務していた時以来、2度目。初出場だった前回は銀メダルだったことから、吉良さんは「次は金メダルを取ってリベンジする」と意気込んでいる。
デフリンピックは、英語で「耳が聞こえない」を意味する「deaf」(デフ)とオリンピックを掛け合わせた名称。1924年に第1回大会がパリで開かれた。夏季大会・冬季大会ともに4年に1度で、2年ごとに交互に開かれる。日本での開催は初。東京を中心に会場が設けられ、11月15日~26日、全21競技に約80の国・地域から約3000人が参加する。
柔道は東京・足立区の東京武道館で、男女の個人戦と団体戦が体重別に行われる。ルールは一般的な国際大会とほぼ同じだが、デフ柔道では、審判の「始め」「待て」などの指示について、選手の肩を軽くたたいて知らせるといった特徴がある。
吉良さんは、2008年に台湾・台北で開催された聴覚障害者の国際大会と、安房特別支援学校に在勤中の12年、韓国・ソウルでのアジア太平洋ろう者競技大会、いずれも60キロ級で金メダルを獲得するなど、世界の舞台で活躍と実績を重ねた。
デフリンピックには13年のブルガリア大会に初めて出場。初戦の2回戦でインド選手、3回戦はロシア選手、準決勝は韓国選手を破った。決勝ではウクライナ選手に肩車で敗れたが、堂々の銀メダルを獲得した。
その後も、15年のアジア太平洋ろう者競技大会(台湾)、23年のアジアろう者柔道選手権(キルギス)で、いずれも銀メダルを獲得。世界のデフ柔道60キロ級の実力者として実績を長く維持している。
今回のデフリンピック東京大会に向けては、6月8日に講道館(東京)で開催された選考会を経て、日本ろう者柔道協会が代表に内定。2度目の出場を決めた。
吉良さんが柔道を始めたのは、中学1年。サッカーをやっていたが、体育の授業で柔道に出会った。「自分は集団競技より個人競技に向いているのでは」と思い、柔道をしていた兄・康矢さん(47)=館山市=に相談。背中を押してもらったのがきっかけだったという。
康矢さんは、その頃を思い出し、「私は2段で黒帯だったのに、やり始めたばかりで白帯の弟に全然勝てなかった。それで私は柔道をやめたんです」と苦笑する。
現在は八千代特別支援学校(八千代市)に勤務。普段は勤務先の近くや東京都内の高校、大学、道場などでの出稽古で汗を流す。その他にも、スタミナ強化に向けたランニング、けが予防のための入念なストレッチなど、日々鍛錬に励む。
東京大会での目標は「金メダル」と言い切る。
最近、子どもが生まれたばかり。「将来、『父は金メダリスト』と自慢してもらえるように頑張りたい。柔道をやらせてくれた両親、高校時代の恩師など、今までお世話になった方々に良い報告ができるようにしたい」と表情を引き締めた。
(斎藤大宙)
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