2025/07/04 17:02
スタジアムに鳴り響く楽器の音、こだまするコール。それがスポーツ「応援」の定番だ。でも、アスリートに聴覚障害がある場合は? 熱い気持ちを届けようと、目で見える新たな応援の形が誕生している。(デジタル編集部 反保真優)
目で見える応援で会場一つに

子どもたちに「サインエール」について説明する西脇さん
その応援の名前は「サインエール」という。今年11月15~26日に、聴覚障害者の国際スポーツ大会「デフリンピック東京大会」が国内で初開催されるのにあわせて日本で開発された。
「目で見る応援で会場を一つにしよう」
5月に東京都中野区の区立桃花小学校で行われたイベントで、手話表現者として活動する西脇将伍さん(24)が、6年生120人に手話で語りかけて「サインエール」を伝えていた。西脇さんは映像や話し言葉を手話にして伝えたり、俳優として活躍したりしている「表現」のスペシャリスト。手の動きと表情から熱い思いが伝わってくる。

「大丈夫、勝つ!」のサインエールを見せる西脇さん。「大丈夫」の手話には「できる」という意味もある
基本動作は3種類、朝日と輝くメダルをイメージ
サインエールの基本動作は3種類だという。
1)「行け!」世界共通の手話「拍手」(両手を顔の横にあげ、手首を回してひらひらさせる)をした後に、勢いよく手を前に出す
2)「日本 メダルを つかみ取れ!」両手の親指と人差し指で横に日本列島の形を作り、右手を「朝日」がのぼるイメージで円を描きながら上に上げ、ぎゅっと手を握りしめる
3)「大丈夫、勝つ!」手の指先を左胸から右胸へ順番に当てる「大丈夫」にこぶしを握って突き上げる「勝つ」の手話を組み合わせる

サインエールの応援の後、力強い演武を披露する星野選手
児童たちは西脇さんが披露するサインエールをまねて、実際にデフテコンドーのプムセ(型)で出場を目指す星野萌選手(21)の演武に応援を送ってみた。
児童たちの手が徐々に滑らかに動き始め、思いを受け取った星野選手がきりっとした表情で力強い演武を披露。男子児童は「大迫力でデフリンピックに行ってみたくなった。実際に会場でサインエールに挑戦したい」。
星野さんは「これまでは自分と闘って頑張るイメージがあったけれど、応援が伝わってきてうれしくなり、緊張していた気持ちがほぐれていった」とはにかんだ。応援する側・される側がつながる瞬間が見えた気がした。西脇さんも「熱い気持ちがしっかりと見えた。応援して、選手に力を出してもらい、みんなで感動する、応援のすてきな形を示せた」と手話で手応えを教えてくれた。
聴覚障害者の身体表現と日本手話がベース
「サインエール」は、「もっと応援を感じ取れたら力になる」「声援はうれしいが、あまり伝わらない」といったアスリートらの声がきっかけとなって生まれた。東京都と、文化・芸術の世界で活躍する聴覚障害者ら約25人が携わり、目で世界を捉える人々の身体表現と、日本で使われている手話をベースに作られている。
実は、選手のみならず聴覚障害者の観客にとっても「応援文化」はこれまで縁のないものだったという。選手にとって心地よい応援をどう伝えるのか。選手と観客がお互いに思いを共有するにはどんな方法がいいのか。昨春から月に何度も会議を重ね、「ろう者と聴者が壁なく一緒に楽しめるように」という思いを込めて完成させた。
例えば、「行け!」に使われる「拍手」の手話は、世界共通という。大勢でいるときに、注目してほしい場面でも使うなじみのある動きで、誰にでも伝わりやすい表現にこだわった。「日本 メダルを つかみ取れ!」では、「朝日が輝くメダルに変化する」二つの意味を掛け合わせたほか、話し言葉でリズムをつけるように手話での張り、緩みを使って視覚的な動きを大切にした。
アスリートの声も反映
サインエールの開発には、デフリンピックに出場するアスリートらも参加している。2017年の夏季デフリンピックで200mと400mリレーで二つの金メダルを獲得している陸上の山田真樹選手(28)もその一人だ。
山田選手は「サインエ―ルを習得したら、自然と手話も覚えられる。魔法のような表現ですね」と笑う。

埼玉県の浦和駒場スタジアム陸上競技場で練習に励む山田選手
開発の会議では、アスリートならではの視点が生かされた。伝えたのは「デフリンピックの主役は選手」という思いだ。例えば、陸上の短距離種目ではレース中に観客席を見る余裕はない。一方で選手紹介やゴールのとき、トラック競技の試技の間には観客席を見るタイミングがある。選手には準備する時間、集中する時間がそれぞれあり、パフォーマンスを邪魔しないよう、種目ごとに応援のタイミングを考える必要があると訴えた。今後は基本動作3種類を基に、各競技に合わせた応援方法が作られる予定だ。
5月に埼玉県熊谷市で行われたデフ陸上の日本選手権では、実際に初めて観客席から「サインエール」を受けた。スタートラインに立つときに観客席が目に入り、「自分のために応援してくれている」気持ちが伝わってきたという。山田選手は「自分のためだけではなく、多くのファンの方々のために走りたい思いがこみ上げてきた」と振り返る。

表情豊かにサインエールについて教えてくれる山田選手
サインエールが生んだ観客との架け橋の魔法。山田選手は「会場では、アスリートと一緒に観客も闘ってくれると思っている。観客の皆さんと一体感が生まれる大会にしたい」と意気込んでいる。
ろう者と聴者お互いを知る
すでに聴覚障害者の中では、浸透しつつあるという「サインエール」。一つ一つの基本動作は5秒程度で親しみやすい。新鮮な気持ちでエールを届けてみたいなと私も思った。満員の観客で埋め尽くされた会場で、みんなで一緒に応援して思いを伝え、選手が輝く、そんな熱気あふれた光景が今から楽しみだ。
聴覚障害者にとって、これまで「応援文化」はなかったと言われ、はっとした。「サインエール」開発者の一人、西脇さんは「生活で何か困る前にろう者が存在していることが社会で認知されていない。認知されることで世の中は変わってくると思うし、ろう者と聴者がともに暮らしていくことはどういうことなのか考えるきっかけになれば」と期待する。まずは知ること、そして考えること。応援のみならずいろんな角度から、もっともっとお互いを知る努力をしていきたいと思う。
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