川村碧2026年09月09日16時00分

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生後3カ月で判明した息子の「重度難聴」。川崎市に住む30代女性は「まさか自分の子の耳が聞こえないなんて」と涙に暮れた。ショックを受けつつも、療育施設探しや人工内耳手術の決断、言葉を育てる訓練など息子のケアに奔走する日々。そうした中で障害を持つ子を育てる親として孤独も抱えていた。「自分の心を置き去りにしている」という思いを募らせた女性は、同じような境遇の人との出会いを通じて、ある決断をした。(時事ドットコム取材班 川村碧)
「ママ」と呼んでもらえないかも
川崎市に住む美砂江さん(39)の長男・糸優(しゆう)くん(5)が生まれたのは2021年6月。無事に出産を終え安心したのもつかの間、生後4日目に医師から別の病院で聴覚検査の再検査を受けるように告げられた。「何を言われているのか分からなかった。家族に難聴者はおらず、まさか自分の子の耳が聞こえない可能性があるとは…」。難聴の子どもは1000人に1~2人の割合で生まれてくる。まだ決まったわけではなかったが、病室では涙が止まらず、自分に原因があったのではないかと自らを責めた。

子育てについて話す美砂江さん=2026年6月22日、川崎市内
何度か精密検査を受け、「重度難聴」と診断されたのは9月。糸優くんの耳は飛行機のエンジン音など105デシベル程度の音は聞こえるが、日常音はほとんど聞き取れない。「この子に『ママ』って呼んでもらえないかも」。目の前が真っ暗になった。
生後10カ月、人工内耳手術を決断

生後10カ月で人工内耳手術を受けた糸優くん=美砂江さん提供
ショックを受け止めきれないまま、難聴と診断されてからはめまぐるしかった。「音が聞こえないと聴神経が刺激されず、聞く力や音声言語の発達に影響する」と病院から説明され、糸優くんは10月から補聴器を着けた。「大きな音や名前を呼ぶ声に振り向くようになり、変化を感じた」という。耳から入る音を通して言葉を学ぶにはタイムリミットがあるため、言葉を聞き取り、話せるように人工内耳手術を受けさせることも考え始めた。
人工内耳とは、音を電気信号に変え、聴神経に伝える医療機器。音を拾うマイクなどからなる体外装置と、内耳に埋め込む電極からできている。手術で体内に埋め込む電極は半永久的に使用できるが、体外装置は電池交換や買い替えが必要だ。1994年に保険適用が始まり、重度難聴の子は体重8キログラム以上または1歳以上で手術を受けられる。
手術について悩んだ美砂江さん。判断材料を得ようと、手話だけで育てている親や人工内耳手術を受けた子どもにも話を聞いた。「まだ自分で判断できない子どもの一生に関わることを、親である私たちが決めないといけない。責任が重いし、正解が分からなかった」。夫の朋也さん(45)とも話し合い、「聞こえる人が多い社会で息子が生きていく上で、コミュニケーション手段や将来の選択肢を増やしたい」と決断。22年4月、糸優くんは生後10カ月で手術を受けた。

糸優くんの着けている人工内耳装置=美砂江さん提供
手術や装置の費用は計700万円ほどに上ったが、保険適用や当時住んでいた東京都の乳幼児医療費助成制度の利用で、自己負担はなかった。ただ、手術時の年齢や利用できる補助制度によって自己負担額には個人差があるという。
初めての言葉に「感動ひとしお」
手術後、糸優くんの音への反応は今までとまるで違った。補聴器では捉えられなかったインターホンの高音や鳥の声が分かるようになり、「音のある世界を楽しみ始めたようだった」。しかし「実は人工内耳手術を受けただけでは、自然に話せるようにはならないんです」と美砂江さん。
「聞こえる子は家族の会話や生活音を自然に聞きながら、音と意味を結び付けて言葉を獲得します。でも、人工内耳を着けても雑音しか聞き取れなかったり、聞き慣れない音は何の音か分からなかったりして、聞こえ方は健常児と同じではありません」。そのため、聞こえた音や言葉の意味を経験と一緒に学ぶ必要があるのだという。

モルモットと触れ合う2歳の糸優くん。この頃には音声でコミュニケーションが取れるようになった=美砂江さん提供
ろう学校の乳幼児クラスに通わせたほか、日常の中で丁寧に言葉を育てたいとの思いから、美砂江さん自身も難聴児向けの言語習得技法を学んだ。まず音を聞かせてから動作を行う手法で、例えば「バナナ食べる?」と聞いてから、本物のバナナを見せる。雨の日には「ザーザー降っているね」「雨が降っているから傘を差そうね」のように一つの現象に対し関連する表現を聞かせた。
地道な積み重ねが実を結んだのは1歳半ごろ。「バイバイ」などの単語が言えるようになり、2歳半で音声でコミュニケーションが取れるようになった。「この子と声でおしゃべりできないかもと思った分、感動もひとしおでした」と笑顔を見せる。
必要な配慮を言える子に
今年5歳になった糸優くんは、ろう学校の幼稚部に週3日、地域の幼稚園に週2日通っている。やんちゃで、救急車など働く車の大ファン。普段の会話は音声で交わしており、幼稚園から帰ると、その日の出来事を美砂江さんに話すのが日課だ。人工内耳の体外装置は入浴や就寝の時以外はずっと着けており、生活に欠かせないものとなっている。

糸優くん(左)に笑いかける美砂江さん=2026年6月22日、川崎市内
一見するとコミュニケーションに支障がないように思えるが、苦手な環境もある。騒がしい場所や後ろから話し掛けられると人工内耳が音を拾えず、聞き取れない。幼稚園で先生が話す時は人工内耳に直接届くマイクを使ってもらうなど、今は美砂江さんが必要な配慮を頼んでいるが「いずれは自分の得意なことと不得意なことを理解して、『これはできないから助けてほしい』と伝えられる子に育ってほしい」と願っている。
「産後うつ」で気付いたケアの必要性
美砂江さん自身、現在は糸優くんの特性を理解し、向き合えるようになったが、「重度難聴」と診断された直後には心の異変を感じていた。「覚悟はしていましたが、診断を受けて緊張の糸が切れたみたいにがくっと落ち込んで。何をしていても涙が止まらず、3歳だった長女にも『ママ、大丈夫?』と心配されるくらいでした」。感情をコントロールできず、駆け込んだ病院で「産後うつ」と診断された。幸い、処方された薬で症状は回復していったが、手探りで糸優くんを育てる中で、感じたことがあった。
「療育施設で出会う難聴児のお母さんは、子どものために『前向きにならなきゃ』『落ち込んでいられない』という気持ちで動いている人が多いけれど、愚痴やつらいことだってたくさんある。置き去りにされているお母さんの心をケアする場所があればいいのに」

オンラインコミュニティー「Lelien」の対面イベントに参加したメンバーら=Lelien提供、画像の一部を加工しています
そんな思いを抱えていた時、難聴の娘(8)を育てる神戸市在住の麻里子さん(47)に出会う。「難聴の子を持つ親たちが話せる場があると救われる」と意気投合。2024年1月にオンラインコミュニティー「Lelien(ルリアン)」を立ち上げた。今では全国から150人が参加。会員限定のチャットで育児や人工内耳にまつわる悩み事を相談したり、月に1回はゲストスピーカーによるオンラインミーティングを開いたりしている。
住んでいる地域での情報収集だけだと難聴児に関する情報が少なかったり偏ったりするため、全国の仲間とつながれる点が魅力だ。参加者からは「ひとりじゃないと思えて勇気が出た」などの声が寄せられている。麻里子さんは「地域でも療育施設などのコミュニティーはあるけれど、子どものケアに集中しているので、親同士がゆっくり交流できる場は実は少ないんです」と語る。
記事のポイント!
重度難聴の診断から補聴器、人工内耳手術、言葉を育てる訓練まで、家族が重ねてきた選択と努力を具体的に紹介しています。さらに、子どもの支援に注目が集まる中で見過ごされやすい「親自身の心のケア」に焦点を当て、同じ境遇の親同士がつながることの大切さを伝える記事です。
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