日本初の「聞こえない薬剤師」法律の壁乗り越え掴んだ夢[PR]

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間もなく開催「東京2025デフリンピック」。出場アスリートの異色のキャリアとは?

2025.10.27

11月15日から初めて日本で開催される「東京2025デフリンピック」。きこえない・きこえにくいアスリートのための国際スポーツ大会です。4大会連続でメダルが期待される自転車競技選手の早瀨久美さんは、日本で初めて法律の壁を越えて“耳の聞こえない薬剤師”となった人としても知られています。薬剤師×デフアスリートという異色のキャリアを築いてきた早瀨さんから、前向きにチャレンジするヒントをお届けします!

 「生まれつき耳が聞こえず、周りから助けられることが多かったんです。だからこそ自分も、誰かの役に立つ仕事に就きたくて」。その思いのもと、中学生のときに母と同じ薬剤師を志した早瀨久美さん。薬学部への進学を目指すが、多くの大学から障害を理由に受験を断られるなど、道のりは平たんではなかった。

早瀨久美さん

●早瀨久美さん
1975年、先天性の聴覚障害を持って生まれる。明治薬科大学卒業後、大正製薬に入社。その傍ら、薬剤師法の欠格条項撤廃に尽力し、2001年、聴覚障害者で初めて薬剤師免許を取得。現在は昭和医科大学病院に勤務。自転車競技選手として2013年からデフリンピックに出場し、3大会連続でメダルを獲得。4回目となる東京大会に臨む。出場予定日は11月18日(火)/20日(木)/25日(火)


 受け入れてくれる大学がようやく見つかり薬学の道に進んだ早瀨さんは、1998年の卒業と同時に薬剤師国家試験に見事合格する。が、そこにも法律という名の壁があった。「耳の聞こえない者には免許を与えない」という薬剤師法の欠格条項により、薬剤師の免許申請を却下されたのだ。

 しかし早瀨さんは諦めなかった。欠格条項の廃止を目指して立ち上がる。
「法律は人がつくったものだから変えられる、という母の言葉に力づけられました」
 全日本ろうあ連盟などの協力を得て、早瀨さんのもとに全国から集まった署名は220万人以上に上る。2001年にはついに法改正が実現し、早瀨さんにはろう者として日本で初めて、薬剤師免許が交付された。

 「自分ひとりの力ではなく、様々な人とのつながりがあって実現できたこと」。こうした経験を経た早瀨さんは、「壁にぶつかったら、目の前の壁ではなく、その向こう側を想像してみて。必ずたどり着き方が見えてくるはず」とアドバイスする。


早瀨さんの転機&やってよかったこと


【転機】

25歳のとき、薬剤師に(欠格条項撤廃)。次世代に続く道が開けた活動になった。

【壁を乗り越えるための早瀨さんのマイルール】

①逃げない、ブレない、言い訳しない
②自分の方針を見てくれる仲間を探す
③考えていることをできるだけ多くの人に説明する

薬剤師法の欠格条項廃止を多くの仲間と共に実現し、10代から目指していた夢を実現した早瀨さん。「①の『逃げない、ブレない、言い訳しない』は義父の教えです。一度決めたことは必ずやり通すという信念はずっと持ち続けています」。仲間づくりにおいては②と③のルールを大事にしている。「自分の考えや方針を表明し、一つ一つ丁寧に説明することで、共感し、一緒に行動してくれる仲間が増えていきました」。それがやがて大きなムーブメントにつながった。揺るがない意志と人とのつながりが早瀨さんの人生を切り開いている。

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手話はろう者だけの言語ではない

 薬剤師として勤務する昭和医科大学病院(旧・昭和大学病院)では、調剤のみならず新設された「聴覚障害外来(現・聴覚障害者の外来)」も担当。手話通訳設置などの仕組みづくりも手掛け、医療の場における聴覚障害者のコミュニケーション円滑化に尽力した。

 「子どもが入院中のご家族から、手話を教えてほしいと頼まれたことがあります。その子の耳は聞こえるけれど、気管切開をしているためはっきり発音できない。まだ3歳で読み書きもできないから筆談も難しい。そこで手話でコミュニケーションできれば、と考えたそうです。手話はろう者だけの言語ではないのだと、初めて気付かされました。手話を使える薬剤師として、自分にしかできないことをやろうという思いを強くした出来事のひとつです」

早瀨さん


ドーピング問題から始まったデフリンピックとの縁


 早瀨さんがデフリンピックの扉を開いたのも、もともとはデフアスリートからドーピング問題について相談を受けたことがきっかけだった。関心を抱いた早瀨さんは、ドーピングの専門家であるスポーツファーマシストの資格を取得。2009年の台北デフリンピックで日本選手団の医薬品管理を担当する。現地へ応援にも行ったことで「自分も選手として出てみたい」という思いを抱き、競技にチャレンジすることに。

 結果、初出場のブルガリア大会ではマウンテンバイク女子で銅メダルを獲得、2大会連続銅メダルを受賞したトルコ大会では日本選手団主将に。2022年のブラジル大会では銀メダルを獲得した。

早瀬さんの人生MAP


「共生社会」という言葉のない社会へ


 これまで夏季・冬季合わせて8大会で日本選手団の医薬品管理や使用薬物調査を担当。11月の東京大会でも薬剤師と日本代表の二足の草鞋で挑む。

「共生社会という言葉をあえて使わなくても、誰もが多様性を認め合い、いろんな人がそれぞれの形で関われる社会になってほしい。大会中だけでなく、その後もみんなで社会の在り方を考え続ける機会になることを期待しています」

 11月15日に開幕するデフリンピック。無料で観戦できるから、ぜひこの機会に間近で体感してみて。


【早瀨さんが語るデフリンピック】


Q1 デフリンピック、注目してほしいのはどんなところ?

視覚情報の豊かさや選手と目が合う楽しさを感じて!
スタートの合図のランプや、マーク入りのプラカードなど一目で分かる視覚情報は、聞こえる人にとっても役立つはず。また、選手は観客席の皆さんの表情や反応から応援を感じ取ります。選手と目が合うはずなので、ぜひ盛り上げて楽しんでください。


Q2 これまでの大会で印象に残ったエピソードは?


日本選手団主将を務めたことでさらに成長できました
2017年トルコ大会での日本選手団主将に任命されたとき、その前年にブラジルのオリンピックで主将を務めた吉田沙保里選手と対談。そこで聞いた吉田選手の経験談が糧となって、主将として様々な競技の選手たちとつながりを深めたり、知見を広げたりすることができました。

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文/やまきひろみ 写真/三浦伸一 取材・構成/横濱啓子(remix-inc.)


リンク先は日経クロスウーマンというサイトの記事になります。


 

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