也2025年7月5日 7時00分
「高校野球がしたい」
生まれつき難聴の白浜天晟(てんせい)投手(3年)が、聴覚特別支援学校から三田松聖の野球部に入部したわけは、純粋な思いからだった。
内耳の障害などが原因とされる「感音性難聴」。打球音やミットにボールが収まる音、選手たちのかけ声などが「環境によって判別できない」。

人工内耳をつけて練習する三田松聖の白浜天晟投手=2025年6月13日午後6時51分、兵庫県三田市四ツ辻、原晟也撮影
大阪府で生まれ、伊丹市で育った。幼少期に難聴が分かり、手術で人工内耳をつけた。神戸聴覚特別支援学校の小学部と中学部に通った。
野球を始めたのは小学3年生の頃で、父親と訪れたバッティングセンターでバットを振った。「野球って楽しい。もっとやってみたい」
両親からは、ほかの選手とコミュニケーションがうまくとれないのではと心配され、「無理じゃないか」と止められた。それでも「やりたい」と言い続け、グラブを買ってもらった。
ただ、もともと人見知りな性格で、「自分から積極的にいきたいけど、相手の声が聞き取りづらくて、話すことに不安があった」。小・中学部ともに野球のクラブに入ったが、当初は人間関係で悩んだ。

人工内耳をつけて練習する三田松聖の白浜天晟選手=2025年6月13日午後6時55分、兵庫県三田市四ツ辻、原晟也撮影
「どうして僕の耳は聞こえないの?」。両親に悩みをぶつけたこともあった。両親は「聞こえないのは仕方がない。一緒にがんばろう」といつも励ましてくれた。
時間はかかったが、難聴の自分を受け入れた。「聞こえる聞こえないは関係なく、一人の人間として行動したい」と考えるようになった。
自分からあいさつをする。自分から話しかける。野球では手話が使えないから、自分からコミュニケーションをとるようにした。
聴覚特別支援学校中学部を卒業し、不安もあったが、三田松聖への進学を決めた。「とにかく高校野球がしたかった」
学校側は受けいれる準備をしてくれた。授業では、先生らがマイクを使って音を届けてくれた。野球部の上級生や同級生らは、聞き取りやすいよう、話しかけてくれる。聞き取れなかったら何度も何度も声をかけてくれた。「学校の先生、野球部の先生、野球部のみんな、そして両親。いろいろな人に支えてもらった」

人工内耳をつけて練習する三田松聖の白浜天晟選手=2025年6月13日午後6時53分、兵庫県三田市四ツ辻、原晟也撮影
この夏、白浜投手は背番号19をつける。「野球がなければ、今の自分はいなかったと思う」
三田松聖は5日午前10時、尼崎市のベイコム野球場で県芦屋と対戦する。
大歓声の球場で、仲間の声は聞き取りづらいかもしれない。ただ、支えてくれた人の思いはずっと背負っている。あの日の決断が間違っていなかった、と感じる夏にする。

人工内耳をつけて練習する三田松聖の白浜天晟選手=2025年6月13日午後6時50分、兵庫県三田市四ツ辻、原晟也撮影
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