耳の聴こえない女性がはじめて「ラフマニノフ」を「感じた」とき…マンガ『私たちが目を澄ますとき、』が描く、聴こえない世界の“音楽”

耳の聴こえない女性がはじめて「ラフマニノフ」を「感じた」とき…マンガ『私たちが目を澄ますとき、』が描く、聴こえない世界の“音楽”

2024.12.22 # マンガ
BE・LOVE編集部


日本に聴覚・言語障害者は37.9万人

「『すべての人に、音楽のよろこびを。』なんて、やっぱり聴こえる人間のエゴなんだろうか。『すべての人』の人の中に大川さんは含まれていない…」

現在、日本に身体障害者手帳を持つ聴覚・言語障害者は37.9万人と推計されている(出典:https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/seikatsu_chousa_b_r04_01.pdf)。聴覚障害とは音が聴こえない、または聴こえにくい状態のこと。厳密な区分はないものの、基本的には聴覚障害者のうち音声言語を獲得する前に聴力を失った人を「ろう者」、音声言語を獲得した後に聴力を失った人を「中途失聴者」、ある程度の聴力がある人を「難聴者」という。


言葉を音で覚える機会がなかったろう者は、音声での会話ができない人が多い。漫画『私たちが目を澄ますとき、』の主人公・大川芙美子も幼少期に完全に聴力を失い、声で話すことができないろう者。音声に代わる主なコミュニケーションの方法は手話と筆談だ。

『私たちが目を澄ますとき、』(詠里/講談社刊)
『私たちが目を澄ますとき、』(詠里/講談社刊)


そんな芙美子の夢は文芸翻訳家になること。アメリカにある聴覚障害者のための大学を卒業し、図書館でアルバイトをしながら翻訳コンテストに応募している。

『私たちが目を澄ますとき、』のページ


“ろう者”と“音楽”

「声も音も全く聴こえないけど、文字の世界でなら聴こえる人たちの物語を翻訳できる」

そう思った芙美子が手に取ったのは、音楽が重要なキーアイテムになっている物語。ところが物語の序盤、主人公の恋人がピアノで『ラフマニノフ 前奏曲ト短調 作品23-5』を弾くシーンでつまずいてしまう。この曲を聴いたことのない芙美子には、弾き手が曲に込める想いを感じ取ることができなかったのだ。

そこで芙美子は生まれて初めて楽器店へと赴き、冴えない店員の相澤浩二に「ピアノを演奏しているところが見たい」と相談する。ピアニストでもある相澤は、「聴こえてない人のために弾くなんて…」と思いながらも“社会貢献”だからとラフマニノフの曲を弾き始めるのだが……。

『私たちが目を澄ますとき、』のページ
『私たちが目を澄ますとき、』(講談社刊)


「聴こえない世界には音楽は存在しない、聴こえない人には音楽なんてわからないというのは、重大な誤解です」

と話すのは、作者の詠里さん。作品を描くにあたってろう文化への理解を深めていくなかで、「ろう者の世界にも“音を楽しむ”という概念はあり、楽しみ方が私たち聴者とは違っているだけ」だと知ったという。


聴こえない世界の“音楽”

作中で相澤が弾くピアノの傍らに座った芙美子も、床から伝わってくるピアノの振動を感じて曲のイメージが目の前に広がっていく。詠里さんは、6歳の時にピアノを習い始め、人生のほとんどを音楽と共に生きてきたからこそ、ろう者の音楽の世界に対しての理解を進めやすかったと話す。

『私たちが目を澄ますとき、』のページ
『私たちが目を澄ますとき、』(講談社刊)

「子供の頃に通っていたピアノ教室には、音楽を理論的に学ぶ『ソルフェージュ』の授業がありました。具体的には、楽譜を目で見て、頭で考えながら読み解く時間です。私はソルフェージュが得意で、わりと早い段階から音楽は耳で聴くだけではなく、目で見て感じられるのだということを体感していた。だから、聴こえない人の世界にも音楽の概念があると知った時に、このソルフェージュの記憶と結びついて腑に落ちたのです」

曲調に合わせて変化する振動と相澤の手の動き。「まるでピアノが生きているみたいだった!!」と興奮して感想を伝える芙美子に、相澤は自分が紡ぎ出す音楽を芙美子が聴き、理解していたことに気づかされるのだった。

『私たちが目を澄ますとき、』のページ



『私たちが目を澄ますとき、』のページ
『私たちが目を澄ますとき、』(講談社刊)


「甘んじている」のは健常者の方かもしれない…

「ろうの方に取材をさせてもらって感じたのが、ろう者は耳以外のあらゆる方法を使って情報を集めているということです。インターネットやSNSが発達した今はなおさらのことで、彼らは自ら情報を探しに行き、知り得たことは周囲と共有、確認したりしている。耳が聴こえない人は情報が入ってこないから呆然と立ち尽くしている、というイメージは大きな間違いなのです」

『私たちが目を澄ますとき、』のページ
『私たちが目を澄ますとき、』(講談社刊)

むしろ、聴者のほうが耳から勝手に情報が入ってくる状況に甘んじて、行動を起こさずにいるのかもしれない……。そう語る詠里さんだが、そもそもなぜろう者の話を描こう思ったのだろうか。

「10年ほど前に、ろうの高校球児を追ったドキュメンタリー番組を観たのがきっかけです。もともと高校野球が好きで作品でも描いてきたのですが、一般の高校の野球部で聴者と一緒に野球をするろう者がいることは、この時に初めて知りました」

一方で、日本語の他にドイツ語・中国語を話す父と、英語を話す母のもとで育った詠里さんは、「言語」にも強い興味を持っていた。同じモノやコトを表す言葉でも、言語によって由来や単語そのものが持つ意味は違っていたりする。その背景には言語を使う人の価値観や文化があると感じていた詠里さんは、ろうの高校球児が手話で話すシーンを見た時に「日本語とは別の構造の言語だ」と直感したという。

「日本語の頭のままで見ていたら、字幕なしでは何を言っているかさっぱりわからなかった。そして、わからないからこそ、もっと知りたいとわくわくしたのです。高校野球の世界と言語という観点から見た手話の世界。私が強く惹かれる2つの要素を融合させたいと思って描いた漫画が『僕らには僕らの言葉がある』でした」


「無意識の偏見」をテーマにして

“ろう”のピッチャー・相澤真白と“聴”のキャッチャー・野中宏晃という高校球児バッテリーの青春を描く『僕らには僕らの言葉がある』は話題を呼んだ。芙美子はその真白の母親。「芙美子の過去も描きたいと思っていた」と話す詠里さんが、両作品共通のテーマとしているのが「無意識の偏見」だ。

芙美子はアルバイト先で「耳が聴こえないから仕事を任せられない」「大変だろうから助けてあげる」と腫れ物のように扱われる。相澤も最初は「どうせ聴こえてないのに……」と思いながらピアノを弾き始めた。

『私たちが目を澄ますとき、』のページ
『私たちが目を澄ますとき、』(講談社刊)

「あくまで意識の中での話ですが、『聴こえない人』の存在を感じていない聴者はけっこう多い。音楽活動をしている人は特にそうかもしれません。この作品の話をすると、みなさん一様に『聴こえないなんて、音楽がわからないなんて、とてもかわいそう……』と哀れみ、『ろう者が主人公なのに音楽の話なの⁉』と驚く。そこに悪気はまったくなく、耳で聴いてきたことで無意識に生じる偏見なのだと感じています」

かつては「自分も同じだった」と語る詠里さん。だから作品では、聴者のために情報を整備し、場面をわかりやすく展開することよりも、芙美子をろう者としてなるべく忠実に描くことに重きを置いたという。

「私自身が聴者なので完全に描くことは難しいですが、聴者にとって都合よく描かれたろう者にならないよう、芙美子という一人の人間が何をどのように考え、行動し、発言しているかということを大切にしています」

象徴するのが手話のシーンだ。作品には音声のセリフなら1コマですむような内容を、見開き2ページを使って手話で話す場面も登場する。

『私たちが目を澄ますとき、』のページ
『私たちが目を澄ますとき、』(講談社刊)

「この内容に2ページも使うなんて……と思うかもしれませんが、芙美子が日本語ではなく、自分の母語である手話でいきいきと話す様子をじっくり見てもらいたいので、あえてもったいない使いかたをさせてもらいました。手話の見せ方には特に力を入れているので、ふだん読まれている漫画との違いも楽しんでもらえたら嬉しいですね」


タイトル『私たちが目を澄ますとき、』に込めた想い


タイトル『私たちが目を澄ますとき、』も、音楽に「耳を澄ます」という行為を芙美子の視点で捉えたものだと詠里さんはいう。

「ろう者は『目の人』とか『見る人』だと言われることがあります。耳で聴くのではなく、目で見て世界を認識する人だから、“目を澄ます”です。読点をつけたのは、読んでくださった方に後に続く言葉を自由に想像してほしいと思ったから。『目を澄ました時にどんな景色が見えましたか?』という問いかけの意味を込めています」

「澄む」には、「音がさえてよく響く」とい意味のほかに「光や色などに曇りがなく、はっきり見える」という意味もある。芙美子の物語は、「無意識の偏見」という曇りがなくなった時にどのような世界が広がり、音楽が聴こえてくるのか、ということも問いかけている。

『私たちが目を澄ますとき、』(詠里/講談社刊)
『私たちが目を澄ますとき、』(詠里/講談社刊)


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