2025.04.20
著者 : 荻島 弘一
「デフハンドボール」のエキシビションマッチが19日、東京・墨田区のひがしんアリーナで行われた。今年11月に東京などで行われる聴覚障がい者の国際スポーツ大会「デフリンピック東京大会」を目指す男子日本代表が、都立小岩高と20分ハーフで対戦。12-19で敗れたものの、初めての「大舞台」で貴重な経験をし、ハンドボールにも「デフ日本代表」があることをアピールした。

選手紹介でスタンドに手を振るデフハンドボール日本代表の選手たち【写真:編集部】
デフハンドボール
「デフハンドボール」のエキシビションマッチが19日、東京・墨田区のひがしんアリーナで行われた。今年11月に東京などで行われる聴覚障がい者の国際スポーツ大会「デフリンピック東京大会」を目指す男子日本代表が、都立小岩高と20分ハーフで対戦。12-19で敗れたものの、初めての「大舞台」で貴重な経験をし、ハンドボールにも「デフ日本代表」があることをアピールした。
「素晴らしい環境で試合ができて、すごく幸せでした」。辻井隆伸主将は興奮気味に言った。リーグHのジークスター東京対福井永平寺ブルーサンダーの「前座試合」。観客は数百人程度だったが、手話での「拍手」や「行け!」「大丈夫、勝つ」というサインエールは聞こえない選手にも届いた。「応援してもらえて、うれしかった。聞こえなくても、力になりました」と辻井は笑顔をみせた。
リーグH仕様の会場にも喜んだ。「電光掲示板があって、ゴールを決めて戻る時に見えた。得点が入ったのがわかって、うれしかった」と辻井。亀井良和監督は「デフリンピック本番を考えても、観客の前でプレーできたのは素晴らしい経験でした」と話した。
試合は関東大会出場を目指す都立小岩高に大敗。声でのコミュニケーションが重要になるチーム競技の場合、個人競技に比べて「聞こえない」「聞こえにくい」聴覚障がい者のハンデは大きい。試合中には公平性を保つために全員が補聴器を外してプレー。展開が速いハンドボールで、意思疎通を身振り手振りに頼るのは難しい。
もっとも、単純なミスも多かった。実は「ハンドボール経験者は4分の1くらいで、あとは初心者。『こんなものか』と思われた方も多いでしょうが、立ち上げから見ていた私としては、ずいぶん成長したと感じています」と亀井監督は振り返った。
今月2日、デフサッカーの男子日本代表が国立競技場でJFLのクリアソン新宿と試合をした。4000人近いファンを「聖地」に集めた歴史的試合で、元Jリーガーも多い強豪相手に善戦した。日本ろう者サッカー協会設立は1998年、認知度は低いが、長年の代表活動で成長し昨年のW杯では準優勝、デフリンピックでは金メダルを目指す。

手話を交えて観客にあいさつするパラハンドボール日本代表の辻井隆伸主将【写真:編集部】
亀井監督の大きな夢「いずれは、デフスポーツのモデルになれれば」
一方、デフハンドボールは「始まったばかり」と亀井監督。デフリンピック競技となったのは1969年だが、日本にはデフの組織やチームはなく、東京大会を目指して日本協会内に専門委員会ができたのが23年12月。初代日本代表監督に亀井氏が就任したのが昨年6月、本格的な代表活動は8月からだった。
歴史は浅いが、日本協会内に組織ができたことはプラス。月1回はナショナルトレセンを使えるし、日本代表との情報共有、人的交流も円滑に進むだろう。「同じ協会内にあることが、強みになる」と、日本協会デフ専門委員会の中村有紀委員長。亀井監督も「いずれは、デフスポーツのモデルになれれば」と大きな夢を口にした。
もっとも、現状は厳しい。初のデフリンピック挑戦は選手集めから。トライアウトや他競技からの転向などで選手を募ったが「まだ知られていない。知ってもらうためにも、今日の試合は大きかった」と亀井監督。「ハンドボール経験者の中にも、聴覚に障がいを持つ人はいるはず。そういう選手に来てもらえれば」と期待した。

「デフの司令塔」として日本代表の攻撃をリードした津村開【写真:編集部】
この日、司令塔として異次元のプレーを見せたCB津村開は小学校でプレーを始め、大阪公立大まで健常者の中で活躍してきた本格的な経験者。しかし、昨年8月にハンドボール日本代表のPSG戦を観戦するまではデフハンドボールの存在すら知らなかったという。
代々木体育館のスタンドで観戦していた時、偶然後方の席にいて補聴器に気づいたデフ代表の選手たちから声をかけられた。「一緒にデフハンドボールをやらない?」。直後の練習会で「一発合格」。初めての手話にも挑戦した。「覚えるのは大変で、細かい指示を伝えるのは難しい。でも、プレーできて楽しいです」と話した。
小柄ながらスピード抜群、巧みなフェイントとトリッキーなパスで攻撃をリードすることを楽しむ姿は、日本代表のエースに似て「デフハンドの安平光佑」。本人は「遠く及ばないけれど、1学年上で小学生の時からあこがれていました。身体が大きくないのが同じなので、よくプレーは真似していました」と照れながら話した。
亀井監督が「津村の個人技に周りが合わせられるようになれば、さらに攻撃はよくなる」と話すように、チームメートとの実力差があるのは確か。「初心者」を鍛えるとともに、新たな選手の発掘もチーム力アップのカギになる。聴覚に障がいを持つ経験者「第二の津村」の挑戦を促すためにも、デフハンドボール浸透が急務だ。
この日は「けが人や招集できなかった選手もいて、まだ日本代表は選考段階」と亀井監督。あえて、公式には「日本代表」とせず「デフハンドボールチーム」として試合に臨んだ。「ここがスタートですが、東京大会で終わりにはしたくない。東京大会以降も続けていきたい」。デフリンピックでの「世界での1勝」を目指す日本代表の亀井監督は、デフ競技の未来を見つめて話した。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)
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