2025年08月13日
中川 いづみ
デフリンピックに「体操」「高飛び込み」がないのは……
11月15日から始まる「東京2025デフリンピック」。デフリンピックとは、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催する、耳の不自由なアスリートを対象とした国際スポーツ大会のこと。競技種目は、陸上、バドミントン、ビーチバレー、柔道、空手など21種目に及ぶ。しかし、正直、耳がきこえない選手の競技が、きこえる人とどう違うのか、あまりよくわかっていない。

日本で初めて開催されるデフリンピック。男子160名、女子113名、合計273名の選手数は過去最多で、日本は21競技すべてに出場する
「きこえない選手が不利になる点としては、大きく3つあります。
1つはバランスがとりにくいこと。 聴覚障がい者の中でも、内耳に問題がある人は、平衡感覚を担当する三半規管の機能が低下することがあり、平衡感覚が乱れることがあります。厚生労働省の調べによると、きこえない人の約30%が、平衡感覚にも障がいをもっているそうです。 そのため、デフリンピックでは平衡感覚が大事になる体操や高飛び込みの競技はありません」
こう言うのは、デフリンピック運営委員会事務局長の倉野直紀さん。自身、聴覚障がい者であるため、インタビューは手話通訳者を交えて行われた。
「水泳ではターンがありますが、平衡感覚が乱れていると、コンマ数秒遅れてしまいます」
コンマ数秒を争う水泳選手にとって大きなハンデだ。走り幅跳びや走り高跳びは、きこえても、きこえなくても関係ないように思えるが、
「助走、踏切、空中動作、着地の4つの場面では、平衡感覚を意識することが大切になり、平衡感覚に乱れがあると、記録を伸ばすことがむずかしいようです。
冬季デフリンピックにスキージャンプやフィギュアスケートの競技種目がないのも、平衡感覚の壁があるからだと思います」
2つ目はコミュニケーションの問題。スポーツのさまざまな場面では音に頼ることが多くある。たとえば柔道やレスリングなどの格闘技では、コーチが技をかけるタイミングを声をかけて教えることがあるが、耳がきこえない人たちは声で教えられてもわからない。試合中、選手たちは自ら目で見て判断していくしかないという。
「柔道やレスリングなどの格闘技では、競技審判員からの合図を選手の肩を叩いて伝えます。きこえる人の場合、試合中はコーチたちが声をかけてアドバイスしますが、私たちは一人で戦わなくてはならないのです」
球技などでも、きこえないことによる困難さはいろいろあるという。
「卓球やバドミントンなど、ボールや羽の音でどのような回転か、ある程度知ることができますが、私たちは見るしかない。野球でも打音がきこえないので、バッターが打ったボールが弾丸ライナーか、フライか、飛んでくるまでわからないのです」
その他にも、陸上の400mリレーでは、バトンを渡すとき、足音や仲間の声を聞いて手を出すが、きこえない選手にはそれができない。中長距離走や自転車競技などでは、足音や息遣いなどをきいて、駆け引きするが、きこえない選手たちはできないことだ。
サッカーではゴールキーパーが指示を出すが、もちろんそれもきこえない。健聴者の戦術とはまったく別になるという。
きこえる人と「戦える」スポーツもあるけれど……
「3つ目の問題は、競技場の『バリア』です」
陸上競技や水泳ではスタートの音がきこえないため、発光してスタートを知らせる「スタートランプ」と呼ばれる装置が用いられる。
「5~6年前から、きこえる人の試合でも、きこえない選手からの申し込みがあればスタートランプを使ってもいいと競技ルールが改定されました。競技の世界にバリアフリーが取り入れられたということで、とても大きな変化だと思います」

スターターの音がきこえない選手の試合には、「位置について、用意、スタート」の合図を「赤、黄、緑」の光の色で示した「スタートランプ」が用いられている。選手の顔の下にある白いボックスが「スタートランプ」
これまでも、きこえない選手がきこえる選手と同じ試合に出場したことはある。
たとえば宮坂七海さん。彼女は高校時代、東京都高等学校春季剣道大会に出場して優勝。その後クレー射撃に取り組み、’19年度のオリンピック有望選手に認定され、JOCジュニアオリンピックのトラップ種目で優勝を果たした。
デフリンピックは、競技のルールはきこえる人と同じだ。宮坂選手のように、きこえる人と戦ってもすぐれた成績を残す選手もいる。デフリンピックの目的は競技のバリアフリー化なのだろうか。
「きこえる人と同じ試合に出場したいかどうかは、選手の考え方によると思いますし、スポーツの種類によると思います」
きこえない人の中には、幼い頃はきこえる人と一緒にスポーツを楽しむ人も多いという。ところがチームスポーツの場合、高学年になるにつれ、戦術が複雑になり、コミュニケーションの壁にぶつかって、一緒に行うことがむずかしくなるケースもある。倉野さん自身、中学時代からきこえる人と一緒にバレーボールを行っていたが、
「当時はデフバレーがあることを私も先生も、知りませんでした。もし、デフバレーを知っていたら、デフバレーに転向してデフリンピック出場を目指したかもしれません」

倉野さんによると、ゴルフやボウリングはきこえない人も、不利を感じずにプレーできるのではないかという。きこえる人と一緒に試合に参加するか、デフリンピックに参加するかは、個人の考え方次第だとか
きこえない人の地位向上のため100年前から始まった「デフリンピック」
デフリンピックの歴史は古い。1924年にフランスろう者スポーツ連盟会長のウジェーヌ・ルーベンス‐アルケー氏の呼びかけによって始まった。
当時は、きこえない人は知的にも身体的にも劣っているとみなされていた時代。きこえる人と同じようにコミュニケーションをとるべきだという考えのもと、手話も禁止されていた。
そうした社会を変えようと始まったのがデフリンピックだ。きこえない人の社会的地位の向上や手話言語の理解を広めることが目的のため、運営もきこえない人たちで行われている。
「デフリンピックを通して、手話は私たちきこえない人間にとっては言語であるということを理解してもらいたい。そして、デフスポーツを広めたい」
東京2025デフリンピックをきっかけに東京メトロ全駅では、きこえない人にも対応できるように、駅構内のアナウンス音声をスマホに文字表示する、多言語アナウンスサービス「みえるアナウンス」を実施。JR東日本でも8月1日から主要駅で試験導入されるなど、きこえない人への社会整備も徐々に整いつつある。
東京2025デフリンピックに出場する選手も決まり、メダル候補もたくさんいるという。
「陸上男子400mで、’24年世界選手権で銀を獲得した山田真樹選手、卓球の亀澤理穂選手は注目株です。
ほかにも前回デフリンピックで金メダルを獲得した男子棒高跳びの北谷宏人選手、男子ハンマー投げの森本真敏選手など、多くの選手が表彰台を目指しています。ぜひ応援してください」

手話で会話する選手たち。「手話は、私たちきこえない人間にとって言葉と同じ。デフリンピックをきっかけに手話に対する理解を広めたい」(倉野さん)
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取材・文:中川いづみ
PHOTO:デフリンピック運営委員会提供
中川 いづみ
ライター
東京都生まれ。フリーライターとして講談社、小学館、PHP研究所などの雑誌や書籍を手がける。携わった書籍は『近藤典子の片づく』寸法図鑑』(講談社)、『片付けが生んだ奇跡』(小学館)、『車いすのダンサー』(PHP研究所)など。
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