2025/04/28 ライフスタイル

今回ご紹介するのは、『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』です。著者は生まれつき重度の聴覚障害がある、牧野友香子さん。現在は、ご主人と2人の娘さんと共にアメリカで暮らしています。
登録者数12万人超えのYouTube「デフサポちゃんねる」でも垣間見える、牧野さんのパワフルで笑顔溢れる前向きマインドはいったいどこからきているのか、今回は本書より、牧野さんの幼少期のエピソードをお届けします。
はじめに
私は、生まれた時から耳が聞こえません。補聴器をつけても、人の声はほぼ聞こえません。補聴器を外すと、飛行機の轟音(ごうおん)も聞こえるか、聞こえないかくらい。
会話は手話ではなく、「読唇」といって相手の口の動きを読み取って理解し、自分自身の発音でことばを発する「発話」なんです。
大阪で生まれ育った私は、ろう学校には行かず、幼稚園、小・中学校は地元の学校に。天王寺高校から、神戸大学に進学し、就職先は第1志望のソニー株式会社へ。趣味の合うファンキーな夫と結婚し、めでたく2人の子どもにも恵まれ……と文字で書くと順風満帆なようですが、聞こえない私の人生、そんな順調にいくわけがありません。
一番大変だったのは、長女に難病があったこと。聞こえない中での2歳差の姉妹の育児、仕事をしながらの病院通い。でも、複数回にわたる手術に入院と頑張る長女。そして、どうしても我慢の多くなる、“きょうだい児”の次女のしんどさを思うと、親として弱音を吐いてばかりはいられませんでした。
そんな中で長女が2歳、次女が0歳の時に、難聴児を持った親御さんをサポートする「株式会社デフサポ」を立ち上げ、今では子どもたちを連れて家族で渡米。アメリカで生活をしています。いろいろな意味で“規格外”の私ですが、いいこともそうでないことも含めて、おもしろく読んでいただけたらうれしいです。
『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』「はじめに」より一部抜粋
家では「聞こえないからできない」は許されない
小さいころから両親に言われていたのは、聞こえを言い訳にはしないということ。もちろん、聞こえなくてできないことはやる必要はないけれど、そうじゃないことは基本的に「当たり前にやる!」環境でした。
「聞こえないからできなくてもいい」
「聞こえないからあきらめてもいい」
なんてことが、我が家ではまったくなかったんです。
音楽の授業でリコーダーを吹くことがあった時も、聞こえなくても吹くことはできるし、ピアノだって、聞こえなくても弾くことはできるでしょ? っていう感じで。リコーダーの宿題をやりたくなかった私が、聞こえないし難しいって! と聞こえないことを理由にサボろうとすると、「『ド』の鍵盤(けんばん)を押せば『ド』の音が出るのと同じで、リコーダーも『ド』の指をすれば『ド』が出るやろ」と言われて、ぐうの音も出ませんでした。
バイオリンは、自分の弾いた音を聞いて判断するからできなくても仕方がない。でも、ピアノや木琴は聞こえなくても関係ない。「だって叩いたら、その音が出るねんから」って。いや、そりゃそうだけど……。笑
リコーダーは吹けて当然、ピアノも木琴もできて当然、楽譜だって読めて当然。だって、楽譜を読むのに聞こえないことは関係ないから。聞こえないからこそ、聞こえに甘えずやることはちゃんとやる! というのが、両親の考えでした。
「聞こえないから勉強したくない」とか「聞こえないから宿題できない」なんてことがまかり通る家じゃないから、私も「そういうもんかな」と納得していました。
今になって思うと、両親の考え方が私を形成したと思います。自分にできないことがあっても、「聞こえないからしょうがない」とあきらめる前に、「どうやれば、聞こえなくてもできるようになるんやろ?」と考えるようになったから。「聞こえないからできない」がない分、「聞こえないからやっちゃダメ」もあまりなくて、やりたいことは自由にさせてもらいました。
スイミングを習っていた時、水の中では補聴器を外すので、泳いでいる時はまったくの無音。コーチが何か言っていても全然聞こえなくて、口パクで読める時はよかったけど、毎回配慮してもらえるわけでもなく。それはそれで大変だったのですが、泳ぐのも、スイミングの後みんなでタコせんを食べるのも、楽しかった。聞こえないことに甘えず、いろんなことに挑戦するのが当たり前でした。
ひらがなを練習する幼稚園児と、一筆書きを説明する祖母
実家は2世帯住宅で、祖母も一緒に暮らしていました。祖母にも、とてもかわいがってもらいました。時代の違いもあって、障害のある孫、聞こえない私のことをかわいそうだと思っていた気持ちがあったのかもしれません。
ニコニコ笑ってたらええんやよ、と言いつつも、大人になった時に苦労するかもしれないと、心配もしてくれていたのが伝わりました。祖母はその時代の女性にしては珍しく、国立大学を出た人でした。父や母とはまた違った視点で、いろんな知識を授けてくれたり、声かけをしてくれたりしていました。
そうそう、私が幼稚園の年中くらいの時にひらがなを書く練習をしていたら、文字の由来を説明しながら「こういう成り立ちだから、ひらがなは一筆で書くと綺麗に書けるんだよ」と教えてくれました。ひらがなを習いたての幼稚園児に「一筆書き」を説明するとはなんとも高度ですが、難しいことばでも、わからないなりに、なんかおもしろいなとは感じてたんですよね。
百人一首についても、ただ覚えればいいってもんじゃなく、一首ずつ意味があるんだよと説明しながら、「清少納言は知的な人として評価されているけれど、『枕草子』は、イヤな人とかをボロカス書いてるのよ」なんて教えてくれたりして。笑
よく祖母の友だちが我が家に遊びに来ることがあって、その時に祖母が「お抹茶を点(た)てる」と言っていました。こういう時、母だったら「お友だちが来たからお茶を淹いれる」と言うけれど、祖母の場合は、お茶を「点てる」という言い方とやり方もあるんだと覚えたりして。両親とはまた違う言い方ややり方を祖母から学びました。
いろいろな家のやり方ってあると思うのですが、私は、祖母と両親と両方の生活スタイルの中で育ってきたからこそ、語彙も幅広く増えていったのだと思います。
今回紹介したのはこちら

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』
牧野 友香子 著/KADOKAWA
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【著者プロフィール】牧野友香子(まきの・ゆかこ)
1988年大阪生まれ。生まれつき重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。幼稚園から高校まで一般校に通い神戸大学に進学。大学卒業後、一般採用でソニー株式会社に入社。難病を持つ第一子の出産をきっかけに株式会社デフサポを立ち上げ、全国の難聴の未就学児の教育支援や親のカウンセリング事業を行う。現在は、仕事の都合もあって、家族でアメリカに暮らしている。また、YouTube 「デフサポちゃんねる」は12万人の登録者数を誇る(2024年6月時点)。
リンク先はwith classというサイトの記事になります。