2026.3.26
木津 毅
近年、ろうや難聴の人びとの実情を丁寧に掬った映画作品が少しずつ増えています。たとえば、日本でも2026年に公開されたドキュメンタリー映画『ぼくの名前はラワン』は、難民として家族とともにイギリスに移ったろう者のクルド人少年を追ったものでした。そこでは難民として彼が経験した苦難が語られると同時に、ろうの人びとにとっていかに手話が重要であるかが描かれていました。
香港から届いた映画『私たちの話し方』もまた、ろうや難聴の人びとが社会で直面する困難や葛藤、彼らの母語としての手話の大切さが描かれる作品です。と同時に、異なる環境で育った若者たちが友情を育む爽やかな青春劇でもあります。

『私たちの話し方』2026年3月27日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国公開 © 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
幼い頃に聴力を失い、人工内耳を装着することで聴者と変わらない生活を送ることを周囲に要求されてきたソフィー(ジョン・シュッイン)。生まれながらのろう者であり、手話を使うことに誇りを持っているジーソン(ネオ・ヤウ)。ジーソンの幼馴染であり、人工内耳を装着して手話と口話を使うアラン(マルコ・ン)。この3人のキャラクターを通して、ろうや難聴者のコミュニティにおけるグラデーションが示されます。
アラン役を担当したのは、中等度難聴で口話と手話を使うマルコ・ンさん。演技は本作がはじめてですが、社交的で心優しいアランをみずみずしく体現しています。話を聞くと、『私たちの話し方』はろう者や難聴者を描いた作品としてとても重要だと感じたそうです。

『私たちの話し方』 © 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
マルコ・ン「私が観てきた範囲ではあるのですが、ろうや難聴をテーマにした作品というのは、特定のタイプのろう者が出てきたり、似た背景の方々が中心であることが多かったと思います。一方でこの映画に関しては、様々なスペクトラムのろう者や難聴者が描かれています。香港だけでなく、世界のろう・難聴コミュニティ全体におけるリアリティや多様性を示している作品だと思います」
演技未経験のマルコさんですが、アダム・ウォン監督によれば、アラン役の雰囲気にピッタリだと感じて抜擢したそう。マルコさんも、自身とアランの共通点を認めています。
マルコ・ン「ほとんどの面で、私とアランのキャラクターは近いところがあると思います。もし違いを挙げるとすれば、私はアランのように積極的に女の子を追いかけたりはしないですね(笑)。でも私がアランに魅力を感じるのは、いつも前向きで楽観的なところです。私は、いつもあんなにエネルギッシュではないですから。映画のなかのアランは、高校時代の私が持っていた勢いや若さを感じさせるところがあります」
一方で、はじめて経験する演技は難聴者としての苦労もあったといいます。
マルコ・ン「この映画に出演する前は、演技の経験はまったくありませんでした。演技を学ぶこともはじめてでしたので、監督のアダムが演技のクラスに連れて行ってくれたことに感謝しています。演技のレッスンでは、ただ聞くだけでなく、相手の言葉や意図を受け取ってそれを自分のなかで整理して反応を返すことが求められました。そこが一番難しかったですね。というのは、私はいつもはっきり聞き取れるわけではないからです。ときには、相手の動きや表情か、雰囲気からメッセージを読み取らなければなりません」
それでも撮影現場は、「とても楽しかった」というマルコさん。そこには共演者のサポートがあったようです。

『私たちの話し方』 © 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
マルコ・ン「ジーソン役とソフィ役のふたりは経験豊富な俳優なので、最初はいっしょに演じることが少し怖かったです。映画制作の現場は時間との戦いで、毎秒お金が動いていると聞いていたのもあり、とにかくみなさんの時間を奪わないように、できるだけスムーズに演じなければと緊張していました。でもふたりはとても親切に接してくれて、共演できたのは本当に幸運なことでした。質問があればとても丁寧に答えてくれましたし、演技で煮詰まったときもいっしょに考えて助けてくれました」
劇中でもまさに、彼らの親密な助け合いが描かれます。はじめはソフィーに反発したジーソンも、彼女に手話を教えることで気持ちを通わせていきます。そこにはほのかな恋心もあり、青春のきらめきがどんどん溢れ出します。彼らの姿を見ていると、誰もがきっと応援したくなるはず。自分たちの未来のために、彼らは3人でかけがえのない関係を築いていくのです。
マルコ・ン「ジーソンとアランは兄弟のような関係ですよね。小学校のときからの付き合いなので、お互いのことをよく理解し合っています。一方でソフィーに対しては、アランは彼女をすごく尊敬していたと思います。香港のろう者や難聴者にとって、教育の機会が得られにくかったこともあり、社会的な成功を目指すのは簡単なことではありません。ですので、彼女が大学に進学して資格まで取ろうとしていることに、アランは強く憧れを抱いたのだと思います。それが、アランがソフィーに惹かれた理由のひとつだと思います。

『私たちの話し方』 © 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
ソフィーはその後ジーソンと近づいていきますが、アランはそのことに怒らないんですよね。というのも、アランはソフィーのことをなかなか完全には理解できないのですが、ソフィーが手話を学んで本当の意味で自分の言葉で語り始めたときにはじめて、彼女の気持ちを理解することができたのです。そういった過程が3人の関係を作ったのだと思います」
マルコさんがそう説明するように、『私たちの話し方』の若者3人を結びつけるのは、何よりも手話です。香港では2010年までろう学校での手話教育が禁じられていた実情があったそうですが、聴こえる状態がそれぞれ異なる彼らは、手話によって心を通わせていくのです。
『私たちの話し方』ではそのように、ろう者や難聴者の人びとの経験が細やかに映しだされます。マルコさんは、本作を観て聴者に知ってほしいことがたくさんあるそうです。
マルコ・ン「ろう者は、ただ“聴こえないひと”というひとつの存在ではありません。ろう者や難聴者の間にも多様性があり、様々な聴こえない状態、異なる言語やコミュニケーション方法があります。私はとくに、ろう者の教育について聴者に理解してほしいと思っています。他の地域についてはわからないのですが、少なくとも香港では、教育制度がろうや難聴の子どものひとりひとりのニーズにじゅうぶん応えられていません。

『私たちの話し方』 © 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
多くの子どもたちは、ソフィーのような立場にあります。ろうや難聴であっても親が手話を学ぶことを許さず、聴者の学級に入ることを強く要求します。その結果、子ども時代に孤立してしまうことが少なくありません。心理学的にも、ひとは自分と違うと感じた相手を排除したり攻撃したりしてしまう傾向があります。それは人間社会の弱さでもあります。そういった環境で育つ子どもたちがどれほど苦しんでいるか、想像もできません。
香港の教育制度も少しずつ改善していて、政府の理解も進んできていますが、まだじゅうぶんとは言えません。手話教育の質、教員の体制など、多くの問題があります。ろう者や難聴者にはそれぞれ異なるニーズがあって、コミュニケーション方法も異なります。だからこそ、もっと柔軟な教育環境が必要だと思います。もし様々なニーズに対応できれば、ろう者や難聴者が社会のなかでより多くのチャンスが得られるはずです。ろう者の知的能力は聴者と何も変わりません。ただ教育制度がその可能性をじゅうぶん引き出せていないだけだと思います」

『私たちの話し方』 © 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
『私たちの話し方』で3人の若者が目指す“未来”はそのまま、より包摂的な社会のあり方を示していると言えるでしょう。最後に、これから手話を学ぼうとしているひとへのアドバイスを尋ねると、マルコさんは映画のなかのアランと同じように眩しい笑顔を見せてくれました。
マルコ・ン「手話を学ぶのはすごくいいアイデアだと思います! ただ、どの先生やクラスを選ぶのかは簡単なことではなくて、たとえば香港ではいろんな手話があるんですよ。昔から使われている古い手話もあれば、若い世代の新しい表現もあって、世代によって言語の使い方が違うことも多いです。まずは手話クラスに参加してみるのが良いスタートですね。そして一番大事なのは、手話を母語としているろう者と実際にコミュニケーションを取ってみることです。ろう者こそが一番の先生だと思います」
『私たちの話し方』
手話のみを使用しスクーバダイビングのインストラクターを目指すジーソン、ジーソンの幼馴染で親友、口語と手話の両方を使う広告クリエイターのアラン。そんな2人が、大学を卒業後大企業に就職し人工内耳のアンバサダーに就任したソフィーと出会う。新たな出会いが、3人それぞれの生き方を変えていく。
2026年3月27日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国公開。(※すべての劇場でバリアフリー日本語字幕にて上映)
配給:ミモザフィルムズ
© 2024 One Cool Film Production Limited, Lee Hysan Foundation. All Rights Reserved.
【公式サイト】https://mimosafilms.com/thewaywetalk/
PROFILE

木津 毅Tsuyoshi Kizu
ライター。1984年大阪生まれ。各メディアで映画、音楽、ゲイ・カルチャーを中心に執筆。音楽雑誌『ミュージック・マガジン』にて『LGBTQ+通信』を連載中。著書にエッセイ『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』(筑摩書房)、編書に田亀源五郎の語り下ろし『ゲイ・カルチャーの未来へ』(ele-king books)がある。
twitter @tsuyoshi_kizu
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