テレメンタリー
2026/02/21 12:00
【映像】歌とダンスに手話を取り入れたパフォーマンス
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広島市出身のCODA俳優、吉冨さくらさん(26)。CODA(コーダ)とは、耳が聞こえない親のもとに生まれた聴者のこと。家族の中で唯一耳が聞こえるさくらさんは幼い時から手話を使って両親と2人の姉の“通訳”を担ってきた。
8年前「女優になりたい」と、ろう者の両親を広島に残し上京するも待っていたのは険しい道のり。“ろうの家族”と生きているからこそできることは何か。「聞こえる世界」と「ろうの世界」との境界でもがきながらも懸命に歩み続けるCODA俳優の姿を追った。
■家族の“通訳”として育った幼少期

さくらさんは上京して8年、芸能事務所に所属し、様々なイベントや舞台で活動している。
広島に帰省すると、両親が必ず迎えにきてくれる。帰省は年に4回ほど。よく母と2人で買い物に出かける。買い物中は、店員が説明する内容を手話で伝える。
「『会話が通じていなくて困っているな』という時に、私が間に入って『聞こえる人と話す』ことは幼いころからあったと思います」(さくらさん)
姉2人は結婚して家を出ているため、実家には両親が2人で暮らしている。家の中には、来客を光で知らせるインターホンやお湯が沸くと光る電気ポットなどの機器があり、「目で見てわかる商品を選ぶ」と説明する。
母・ひとみさんと父・誠至さんは、ろう学校の文化祭で出会い結婚。先に生まれた姉2人は耳が聞こえなかった。そして生まれたさくらさんは耳が聞こえた。
ひとみさんは「うれしいというか不安。姉2人が生まれつき聞こえないので。特に(聞こえる)おばあちゃんとおじいちゃんがすごく喜んだ」と当時の心境を語る。
さくらさんはすぐに「音」に興味を持ち始めると、5歳で初めてのダンスレッスンを受け、6歳のときに初めてミュージカルの舞台に立った。小学校を卒業するときには、夢ができた。実は母・ひとみさんにも夢があった。音が“振動”として伝わる「タップダンス」が好きで、踊ることに憧れていた。しかし、ひとみさんは「私は聞こえないから踊れないし、音楽も聴けない。限界があるんですけど、やってみたい気持ちはあるんですけど、代わりに娘が踊ってくれてうれしい」と話す。
■上京への迷いと「HANDSIGN」との出会い

「俳優として活躍したい」。高校生になり、数々のオーディションに挑戦したが、合格か不合格か結果を知るには、親が電話で対応しなければならなかった。ひとみさんは「保護者の対応が必要なところは受けるのを諦めることもあった」と明かす。
そんなとき、あるアーティストの存在が支えとなった。音楽ユニット「HANDSIGN(ハンドサイン)」のSHINGO(シンゴ)さんとTATSU(タツ)さん。2025年で結成20年目。歌とダンスに手話を取り入れたパフォーマンスが特徴だ。
ろう者がモデルとなったドラマをみて始めたという手話ダンス。今や聴覚に障がいがある人たちが多く集まるステージになった。TATSUさんは「僕らがやってる音楽は誰かに伝えたくて、聞こえない人にも伝えたくて、そんな気持ちで音楽をやっています」と語る。
さくらさんがまだ中学生だったとき、尾道市で行われたライブ後の懇親会で出会った。TATSUさんは「初めて『両親が聞こえなくて私が聞こえる』CODAという存在を知って。そういうのがあるんだと思って。お母さんとすごく楽しそうに話しているのが第一印象でしたね」と振り返る。
そして高校2年生のとき、芝居を学べる東京の高校に1人で転校することに。そのことをハンドサインに報告すると、「さくらさんと家族をモデルにした曲を作る」という形で応援してくれた。
「世界で一番静かな家庭に 声響いて生まれてきた 他の家とは少し違うけど 笑顔絶えない素敵な日々 静かな世界から 私をいつも見守ってくれた 強くて優しい あなたに伝えたい 届けたいこと あなたの 愛でずっと愛でずっと 愛されていること 私はいつも気づいていたのに 何でもっと何でもっと 言えなかったんだ あなたに伝える ありがとう」
ライブを訪れた生まれつき耳が聞こえない観客は「手話がついていないのと違って手話がついていると、すごくかみしめて頭の中に入ってくる感じがします」と話す。
耳の聞こえない家族を残し本当に上京してもいいのか、迷いもあった。そんなさくらさんの背中を、家族はそっと押してくれた。母・ひとみさんからさくらさんに宛てられた手紙にはこう書かれていた。
「さくらずっと応援します。感謝・笑顔でいてね。少し寂しくなりました。さくらなら大丈夫。ハンドサインの兄さんと会って楽しく過ごしてください。ママより」
■「ろう者の役」を演じる葛藤

上京して日課ができた。家族とのテレビ電話だ。さくらさんは「記憶にないぐらい日常のことを(話す)。自分の仕事の報告を母は聞いてくれるので、応援してくれているなと感じますし」と語る。
上京後は、イベントやトークショーに出演している。さらに、手話を広めたいと考え、SNSで発信している。「季節の手話を。『春』下から暖かい空気が入ってくる(イメージ)」(さくらさん、以下同)
歌詞を手話で表現しながら踊る、手話ダンス。2024年9月、兵庫県で開かれた全国大会で審査員の仕事を任された。生まれつき耳が聞こえない人や手話通訳士に混じって「ダンスの中で手話が正確に使われていたか」などを評価した。
「何がしたくて上京したのかというと、お芝居がしたい、今までしていた歌とダンスがしたい。手話に関連した仕事をするというのは正直想像していなかったです」
しかし、その手話を生かした仕事で思わぬ壁にぶつかっていた。2024年4月、さくらさんに舞い込んだ、念願だった舞台の仕事。耳が聞こえない「ろう者の役」を演じた。しかし、「自分はそこに出演する人としてふさわしくないんじゃないか。そう言われているんですけど……」と話す。
SNSに寄せられたのは、CODAのさくらさんがろう者の役を演じたことに対する批判コメント。実はこの作品、原作者側から「ろう者の役は本物のろう者が演じる事」という条件が付けられていた。しかし、最適な役者が見つからず、耳が聞こえない家族のもとで育ったなどの理由からさくらさんに声がかかり、原作者側の許可を得た上で公演が行われたそうだ。
さくらさんは「自分の立場を考える時間が増えて。私は身近に(ろう者がいる)環境で演じていたので、もうなんかよくわからない状態……。作品が終わったとしても私の世界はまだまだ続くので、ろう者の世界にも入るし。正直言ったら、他の人にはわかってもらえないだろうなと思います」と吐露する。
■CODAの人たちが抱える共通の悩み

この日、さくらさんの呼びかけで集まったのは、両親の耳が聞こえない中村美裕さんと、弟の耳が聞こえない酒井冴輝さん。中村さんは「小さいころは通訳するのが面倒くさくて、聞こえる親ならこんなことしなくていいのにと思うことはありました」と話す。さくらさんも「あるあるですよね。大人の言葉をどう手話に訳すか」と共感し、中村さんは「わからないんだよね。大人の言葉の意味が」と続ける。
中村さんは「(男性の)友達がCODAで、その彼女が聞こえる人。彼女の親から『もし子どもがろうだったら嫌だから別れてほしい』と言われて別れた」と話すと、さくらさんは「初めて聞いた。それで別れなさいっていう親なんだったらこっちから願い下げだわっていう感じ。そういう考え方の人とは付き合えませんってなっちゃうよ逆に」と憤った。
「ろうの世界」とも生きてきた3人には「共通の悩み」がある。酒井さんは「聞こえない人が“当事者”というのが大きくて、俺らは聞こえるから“当事者”からしたら『私たちの気持ちなんて知らないでしょ』と思う人もいるだろうし」と語る。
さくらさんも同じ気持ちを抱えている。「それは思うかもしれない。発言するときに最近気を遣う。あくまでも“当事者”じゃないから突っ込んだことを言うと『“当事者”じゃないのに』と思われたり言われたりしてしまうだろうなとか。家族と一緒に生きてきたから見たものを言っているときに『聞こえる人が勝手に代弁しているんじゃないか』ととらえられてしまう。どうしたらいいのかなって」。「聞こえる世界」と「ろうの世界」の境界で揺れている。
国内におよそ2万2000人いるとされるCODA。どのような対策が必要なのか。東京大学で研究をしている中津真美特任助教に話を聞いた。自身も聞こえない親をもつCODAだ。
中津特任助教は「課題は『社会がろう者・難聴者もいるという前提につくられていない』ということ。だからCODAが通訳しなければならない状況が発生してしまう。『負担だったな』『がんばりすぎてきたな』と語るCODAは多い。情報保障(情報提供)の制度がもっと柔軟に使えるようになればいい。病院専属の手話通訳士がいればとも思う」と指摘する。
中津さんは悩みをもつCODAたちが経験や思いを共有しあえる会を主催しており、さくらさんも前回参加した。
すると急遽、ディレクターから「中津さんへのインタビュー取材がある」と聞いたさくらさんがこの場を訪れた。
「どう立っていたらいいかわからない状態。迷いながら生きていくんだなとは思うんですけど」と相談するさくらさんに、中津特任助教は「家の中ではマイノリティ。一歩外に出たら聞こえるマジョリティになってしまう。このギャップの苦しさってなかなか他の人には理解できないものだと思う。私との関係が必要であれば声をかけてもらえればいいし。同世代のCODAが必要であれば仲間に声をかけてもらえればいいし。揺れるよね」と寄り添う。
■デフリンピックで“音”を届ける

2025年の年明け。正月はいつも家族と過ごしているさくらさん。両親は開催が近づくデフリンピックを楽しみにしていた。父・誠至さんは「デフリンピックでさくらがいろいろ活動できるように頑張ってください」と手話で伝える。
デフリンピックとは、世界中から耳が聞こえないアスリートたちが集まる国際大会だ。2025年11月に日本で初めての開催となった。
さくらさんにもデフリンピックに関する仕事が入ってきていた。ハンドサインが作る、デフリンピックを応援するミュージックビデオに、さくらさんも参加できることになったのだ。一緒に踊るのは聴覚に障害がある人たち。
実は2年ほど前からデフリンピックの告知やイベントの様子をSNSに投稿して開催を楽しみにしてきた。
そして2025年1月、ミュージックビデオが完成。聞こえる人、ろう者、CODAが一緒になって“音”を届ける。
さくらさんは「本当だったら難聴者だったりろう者だったり、“当事者”が出るだけで私は十分だと思っていたんですけど、そこにCODAという存在を組み込んでもらえたのがすごいつながっている感じがあって」と語る。
SHINGOさんは「さくらにこれからも頑張ってもらいたいなっていう個人的な思いものっかって、でもCODAの方々にすごい勇気を与えてくれると思うから一緒に。今回はマストで」と話す。
「ろうの世界」と「聞こえる世界」の架け橋になりたい。その境界で葛藤しながら「CODAにできること」を探し続ける──。
(広島ホームテレビ制作 テレメンタリー『ろうの世界に“音”を!~CODA俳優として生きる~』より)
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