2025.03.11
貧しい母子家庭で育ち、中耳炎の影響で中学2年時に右耳の聴力をほぼ失ったコロッケさん。それでも、母姉譲りの性格のおかげで、その後の芸風の原点を築いていきます。(全4回中の2回)
小学2年生で中耳炎になって

ステージにて。サービス精神旺盛なコロッケさん
── コロッケさんは2009年に右耳が難聴でほとんど聞こえていないことを公表されました。ものまね芸人としての活躍する姿を知っている世代からすると驚きでした。
コロッケさん:小学2年生のとき、中耳炎になったんですよ。でもうちは母子家庭でしたから、母親にあまり負担をかけたくなくて病院には行かなかったんです。そのまま放っておいたら中学2年のときに耳に激痛が走り、真珠腫性中耳炎と診断されて手術を受けることに。結果、右耳の聴力を失うことになりました。
── 真珠腫性中耳炎は耳の中の膿が腫れ真珠のようになる病気です。手術後、右耳はまったく聞こえない状態に?
コロッケさん:まったく聞こえないとまでは言いませんが、水の中に入っている状態で音を聞いているような具合です。膜を隔てているというか。ただ、そのことによって僕自身の想像力がものすごく開花したので、世間の皆さんが思うほど落ち込んだわけでもなかったんですよ。「左が聞こえるからいいじゃん」くらいに、わりとすぐに思えるようになりました。右耳がほとんど聞こえないから、左耳を塞ぐと目の前で話している相手が何を言っているのかわからないんですね。でも僕は昔から想像することが大好きだったから、「こんなことを言っているのかな?」と頭の中で考えるのがむしろ楽しかった。
普通は「耳で聞く、目で見る」ですよね。でも僕はそこが逆で「耳で見る、目で聞く」なんです。目で見たものから音や声を想像する。この人の年齢はいくつくらいなのかな、どんな性格なのかな、と想像をどんどん膨らませていく。それがものまね芸人としての芸風に繋がった部分は大きいですね。
── コロッケさんの芸が目で見ても楽しめるのは、難聴をきっかけにより鍛えられた想像力と観察力が大きいのですね。
コロッケさん:僕は母譲りで異常にポジティブな人間なんですよ。捻挫をしても、骨折じゃなくてよかったと考える。自分の気持ち次第で変えられることは、すべてポジティブに考えるクセが昔から染みついているのだと思います。「どうして自分ばかりが」「なんで私はこうなんだ」という発想に浸ってしまうと、人間ってそこで立ち止まってしまうんですよね。自分という殻の中にスポッと入り込んで閉じてしまう。でもその状態がずっと続くと気持ちってどんどん落ちていきますから、やっぱりどこかで現実を受け止めなくちゃいけない。受け止めて初めて、そこからすべてが始まると僕は思っていますから。
── そういったポジティブな性格になったのは、ご家族の影響が強いのでしょうか。
コロッケさん:持って生まれた性格もあるかもしれませんが、それ以上に姉と母の影響が大きいかもしれません。うちは母子家庭でしたが、母親は僕ら姉弟につらい顔をいっさい見せずに笑っているような強い人でした。姉はといえば、明るく物怖じしない性格で、ものまねをして周囲を喜ばせる学校の人気者だった。そんな母と姉、それぞれの考え方や性格を間近で見て育ったおかげで、どんなことでもまずは受け止めてみる今の自分が作られていったように思います。
「九州男児」にはなれなかったけれど

常に周りを笑顔にさせるコロッケさん
── コロッケさんは熊本出身ですが、「九州男児になりきれなかった自分がコンプレックスだった」と過去には感じていたことを自伝『母さんの「あおいくま」』では書かれていました。コロッケさんが考える九州男児とは?
コロッケさん:僕は昔から、威張っている人を見ると「やだな」って思っちゃうんですよ。今はわかりませんが、僕が子どものころの熊本では、年輩の男性がやけに威張っていたり、奥さんや彼女のことをちょっと小馬鹿にして「でも俺はすごいだろう」と偉そうに振る舞う人を日常生活でよく見かけたんですね。「男は女の影を踏むな」という言葉もよく聞きました。女だから男の後ろを大人しくついてこい、という考え方ですね。僕にはそういう考え方がカッコいいとはまったく思えなかったし、わが家では父親役を兼ねていた母親がすごく強い人だったので、そういう九州男児像がわからなかったんですよね。母は子どもたちがいじめられたとき、いじめっ子の家まで行ってハキハキと文句を言うような人でしたから。
だから、「こういう大人にはなりたくない」という気持ちと、「なぜ自分の隣にいる人をバカにするんだろう?」というわけのわからなさがずっとありました。でも大人になり、僕と同じく熊本県出身の俳優・勝野洋さんと知り合ったことで「僕が理想とする九州男児だ!」と考えが変わったんですよ。
── 勝野洋さんは刑事ドラマ『太陽にほえろ!』から「リポビタンD」のCM、大河ドラマなどで活躍されるベテラン俳優です。
コロッケさん:勝野さんは「自分の家族を守るためなら命を賭ける」と常々公言されるような方なのですが、すごいのはそれが言葉だけじゃないところです。もう数十年前ですが、舞台の打ち上げでご一緒したときに結構大きな地震が起きたんですよ。そのとき、勝野さんは揺れが来た瞬間に立ち上がって、すぐさま「子どもたちはどこだ?」と探しに行き、腕に子どもらを抱きかかえながらさっとドアを開けて、いざというときに皆が逃げられるように出口を確保してくださったんです。普通は「おお、揺れたね」とか、「大丈夫だった?」くらいの反応で終わるじゃないですか。でも勝野さんは、すぐに幼い子たちの安全を確保しに走った。もう、なんてカッコいいんだろうと震えましたね。僕が理想とする九州男児ってそういうことなんです。
ものまね芸人として活躍するいっぽう、ボランティア活動を30年続けているコロッケさん。東日本大震災の直後も、いち早く被災地支援に乗り出しました。炊き出しボランティアをする最中、「笑い」を求める声に一瞬迷いもあったそうですが、「久しぶりに笑ったわ」という観衆の声を励みに、各地の被災地をまわり、延べ1万人以上の方とお会いしてきたそうです。
PROFILE コロッケさん
ころっけ。1960年、熊本県出身。80年、NTV「お笑いスター誕生」でデビュー。300種類超のものまねレパートリーを誇り、ものまねタレントとして芸術文化の振興に貢献したと功績が認められ、2014年に文化庁長官表彰、16年に日本芸能大賞を受賞。芸能活動のかたわら、震災被災地や子ども食堂の支援活動も精力的に行い、12年には防衛省防衛大臣特別感謝状を授与される。
取材・文/阿部花恵 写真提供/コロッケ
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