2025年1月14日
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ことし(2025)11月、日本で初めて開催される聴覚障害者の国際スポーツ大会「デフリンピック」。大会では聞こえない選手を支えるさまざまな機器が使われます。
このうち、陸上では「位置について、用意、スタート」をそれぞれ「赤、黄、緑」の光に変換する「スタートランプ」が使われます。海外でも使われているこのランプを開発したのは、都内のろう学校教諭です。開発にかけた思いを取材しました。
(首都圏局/記者 喜多美結)
スタートランプとは

陸上では、審判の声とピストルの音で選手たちがスタートをします。しかし、聴覚障害がある選手たちには、その合図が聞こえません。聴覚障害のある選手が出場する「デフリンピック」では「位置について、用意、スタート」を、それぞれ「赤、黄、緑」の光で示した「スタートランプ」(正式名称:光刺激スタート発信装置)が使われます。

このスタートランプを開発したのは、都内のろう学校教諭で陸上部顧問を務める、竹見昌久さん(50)。ろう学校に赴任してから20年、聞こえない生徒たちと向き合ってきました。
選手がスタートに遅れる姿は当たり前の光景だった

ここに映っているのは、聞こえる人たちも出場する競技会での聴覚障害のある選手の姿。7レーンの選手は、スタートの合図が聞こえず、周りの選手たちと同時にスタートが切れませんでした。
スタートランプが開発されるまで、こういった姿は当たり前の光景でした。
当時のことを、この選手はこう振り返ります。

400mハードル 日本デフ記録保持者 髙田裕士選手
「スタートから出遅れるのは、しょうがない。出遅れるけれど勝ってやる。そんな気持ちで試合に臨んでいました。いつも試合に出るときはちゃんとスタートを切れるかなと、不安な気持ちで準備していて、遠くまで行った試合でも失格になって、走れないまま帰ったこともありました」
開発のきっかけとなった生徒のことば
竹見さんがスタートランプを開発するきっかけとなったのは、指導していた生徒が涙ながらにこぼした、あることばでした。
『努力しても、聞こえなかったら勝てっこない』
竹見さん
「疲労骨折になりそうなくらい一生懸命練習していた生徒でした。高校3年の最後のインターハイの時に、スタートに出遅れて涙を流す様子に、自分自身の指導のあり方が間違っていたと気づかされました」
これまで選手たちに、当たり前のようにスタートの音を聞く努力を求めたり、周りがスタートする様子を横目で感じるように指導していた竹見さん。それがいかに理不尽なことだったかと気づいたといいます。
「生徒からのことばを聞いたときに、越えられない壁を無理に越えさせるのは、ある意味差別だと感じるようになりました。ろう学校で働きながらも、なんとか努力で乗り越えなさいと声かけをしていた自分が、非常に情けなく思いました」
聞こえない選手たちのハンデをなくすため、スタートランプの開発を決意した竹見さん。
陸上競技専門のメーカーと一緒に2012年に開発しました。
開発しても、受け入れてもらうことは簡単ではない
開発してからは、全国で体験する機会を作ったり、大会でデモ機を使用してもらったりしましたが、関係者に受け入れてもらうことは簡単ではありませんでした。
竹見さん
「『僕の知っている聴覚障害者はこのランプがなくてもスタート出来ていたから、必要ないと思う』と言われて。その時は『音が聞こえにくくてもなんとか出場できる人もいるかもしれないが、ランプが必要な選手もいる』と説明しました」
こういった反応が少なくなかったことについて、竹見さんは聴覚障害の理解が進んでいないことが大きいと話します。
「聴覚障害といっても、聞こえ方には濃淡があり、スタートの音が全く聞こえない人から、少し聞こえる人までいる。それを全部横並びで見てしまうのが、聴覚障害者の1番難しいところかなと思います。そこをどう伝えていくのかが、われわれの仕事ですし、スタートランプによって聴覚障害の現状を伝えやすくなるのかなと感じています」
ランプの必要性を伝えようと、竹見さんは聴覚障害のある選手が出場する国内外の大会などに足を運び、性能を売り込んできました。
開発から4年。こういった熱意が実を結び、初めて国際大会で採用されました。
スタートランプは今や選手にとって欠かせない存在です。
選手
“希望の光”です。頑張っていけ!って言われているようなイメージ
選手
1番の支えてくれる存在です。これがあるから、僕は聞こえる人と一緒に勝負することが出来る。
竹見さん
スタートが切れないなんて、フェアじゃないと言われてきたところから“希望の光”と言われるところまできて、やってきて良かったなというのが率直な感想です。
自治体で導入の動きも
去年(2024)はスポーツ庁の助成もあり、35の自治体がスタートランプを購入しました。海外では、ケニアや台湾など各地でも導入が始まっていますが、扱える人がまだ限られているため、竹見さんは大会を開催する自治体に出向き、使い方を学ぶ研修会を開いています。

研修会の説明の中で、竹見さんはスタートを切れない選手の動画を必ず見せて、スタートランプがないとどうなるのか、理解を広げています。
参加者
スタートに出遅れるシーンは初めて見て、選手たちが悔しい思いをしてきたというのがすごく分かりました。ランプの見た目はシンプルですがシステムは複雑なので、大会運営側として繰り返し使って、慣れていくことが大切だと感じました。
竹見さんの願い
開発から13年。
竹見さんはスタートランプから聴覚障害者への理解がさらに進むことを期待しています。
竹見さん
「国境や人種も関係なく、同じ土俵で同じルールのもと競い合えるスポーツの世界だからこそ、聞こえないことの課題が伝えやすいと思います。デフリンピックをきっかけに、聞こえない人が住みやすくなるような世界にしたいと思います」
編集後記
スタートが遅れた選手が口にした、「しょうがない」ということば。
この選手によれば、横の選手を見てうまくスタートを切ることができたとしても0.3秒の差、距離にしておよそ3メートルの差があるといいます。
選手たちはこの差を埋めるよう努力してきたのです。社会の中でも、現状の中であきらめ、努力するしかなかった聴覚障害者たちがたくさんいます。そして、その努力によって見えなくなっている「壁」もたくさんあるのです。
竹見さんが、聞こえる立場でその「壁」に気づいたように、まずは聴覚障害者の置かれた環境を知ることが、さまざまな課題を解決していくことにつながるのではと感じました。
スタートランプは、今では陸上だけでなく、水泳やバレーボールでも応用されています。
『デフリンピックをきっかけに、社会の課題を解決していく』
そんな風にスポーツの力が発揮されたらと、願わずにはいられません。
首都圏局 記者

喜多美結
2023年(令和5年)入局。2019年にデフテニスの世界大会で日本人初優勝。当事者の視点も生かしながら11月のデフリンピックを取材しています
リンク先はNHK首都圏ナビというサイトの記事になります。
