【デフリンピック特集】情報が届かない社会を変える—デフリンピックでも実証実験、当事者とともに開発した双方向コミュニケーションツール「Pekoe(ペコ)」

【デフリンピック特集】情報が届かない社会を変える—デフリンピックでも実証実験、当事者とともに開発した双方向コミュニケーションツール「Pekoe(ペコ)」

株式会社リコー デジタルサービス事業本部の木下健悟さん(左)と小久保輝江さん(右)

株式会社リコー デジタルサービス事業本部の木下健悟さん(左)と小久保輝江さん(右)
 

 デジタル化が進む一方で、会議やイベント、職場において「音」が情報取得の前提となっている場面は少なくありません。聴覚障がいのある方にとって、必要な情報が十分に取得できない状況は、コミュニケーションの壁となり、活躍の機会を狭める要因にもなっています。こうした情報格差の解消に取り組んでいるのが、株式会社リコーが開発した双方向コミュニケーションツール「Pekoe(ペコ)」です。

 当事者の声を起点に、情報バリアフリーの実現を目指してきた開発の背景やこだわり、そして目指す社会の姿について、当事者視点で開発に携わったデジタルサービス事業本部の木下健悟(きのした・けんご)さんと、営業及びセミナー講師を務める小久保輝江(こくぼ・てるえ)さんに話を伺いました。


1.聴覚に障がいのある方の情報アクセス課題に向き合う—「Pekoe」開発に至るまでの道のり

「Pekoe」の開発に至った経緯を教えてください。

小久保
:当初は、電子黒板上で使用する会議システムの開発をしており、発言内容を画面上に字幕として表示していました。ある時、社内の技術発表の場でそれを見た人から、「この仕組みがあれば、聴覚に障がいのある方も助かりますね」というお声をいただいたことが最初のきっかけでした。これが、2018年頃の出来事です。この言葉で、「多くの情報が十分に届いていないのではないか」という気づきを得ました。そこで、この会議システムをそうした方の役に立つものにできないかという発想から、開発を本格的にスタートさせました。開発を進めるにあたって最も重視したのは、利用者の意見を反映することです。開発に際しては、実際に聴覚に障がいのある方にも参加していただきながら、改善を重ねてきました。

「Pekoe」はどのような流れで開発を進めてきましたか。

小久保
:2019年頃、社内の聴覚に障がいのある方の協力を得て、プロトタイプを制作しました。テスト期間終了時には、テストに参加した方からも「ぜひ引き続き開発を進めてほしい」という声をいただけたことから、本格的な開発に着手しました。その後、社内のアクセラレータープログラム「TRIBUS(トライバス)」にエントリーしたところ、「社会的意義のある取り組み」と評価され、社内起業家チームに採択されたことから、これを機に開発を加速させ、2022年に「Pekoe」をリリースしました。


2.双方向コミュニケーションを成立させるための徹底した配慮—当事者目線にこだわった「Pekoe」

会議で使用されている聴覚障がいのある方向けコミュニケーションサービス「Pekoe」の画面

会議で使用されている聴覚障がいのある方向けコミュニケーションサービス「Pekoe」の画面


聴覚障がいのある方と開発された「Pekoe」ですが、こだわったところを教えてください。
 
小久保
:「Pekoe」は、コミュニケーションを円滑にする「双方向コミュニケーションツール」です。そのため、開発者2名に加え、木下さんを含む聴覚障がいのある方の意見をもとに開発を進めてきました。開発者は2週間ごとに寄せられる意見をタイムリーに反映し、改善後は実際に使用して率直なフィードバックを行い、それを迅速に次の改良へとつなげてきました。特にこだわったのが画面表示です。音による情報取得ができない分、表示される文字が唯一の情報源になります。

「Pekoe」には表示された発言にリアクションできる機能がありますが、他社の音声認識ツールやオンライン会議システムでは、リアクション時に発言表示が上下にずれてしまい、視点が動くことでストレスを感じやすいという課題がありました。「Pekoe」ではこの点を改善し、リアクションをしても発言表示がずれない仕様を実現しています。この工夫によって、リアクション機能を活用した積極的なやり取りが可能となり、ストレスのない双方向コミュニケーションを実現する点が「Pekoe」の大きな特長だと考えています。

木下:リアクション機能の中には「わからない」という項目も用意されています。このリアクションを選択すると、発言枠がピンク色に網掛けされ、どの発言に対して「わからない」と感じたのかが一目でわかる仕組みになっています。発言者に対して視覚的に伝えられる点も、「Pekoe」が双方向コミュニケーションツールとして持つ大きな特長の一つだと感じています。

小久保:この「わからない機能」も、当事者の方々の意見をもとに実装しました。会議中にわからない部分があっても、話を戻したり進行を止めたりするのは申し訳なく言い出しにくい、という声があったからです。この機能があれば、ボタン一つですぐに意思を伝えることができます。不明点や音声認識による誤認識があった場合でも、その場で確認・修正が可能になるため、「わからない機能」は非常に重要な機能の一つだと考えています。

木下:「Pekoe」には、発話が苦手な方に寄り添ったチャット機能もあり、文字起こし画面と同じタイムライン上に表示される点も特長です。他社の音声認識ツールやオンライン会議システムでは、チャット機能があっても別の場所に表示されるため、コメントしても気づかれないことがあります。その点、「Pekoe」ではチャット発言が確実に共有され、取りこぼしがありません。また、開発段階において、あえて音を消して会議を行い、Pekoeの文字起こしだけで進行するなど、困りごとを体感する工夫を重ねてきました。こうした取り組みがあったからこそ、利用者の意見を丁寧に反映した開発につながったのだと思います。

小久保:利用する人の立場に立って開発を進めることが、非常に重要だと考えています。そうでなければ本当に良いものは生まれませんし、双方向のコミュニケーションを実現するためには、こうした細部へのこだわりが欠かせないと感じています。

開発・実装などに際に、苦労したことや難しかったことを教えてください。

 小久保
:話のリズムを崩さないために、リアルタイム表示を重視しました。音声認識が確定される前の文字起こしの状況を「認識中」として表示することで、少しでも早く情報を届けられるように工夫しました。相手が発言をしているのに、音声認識ツールでそれがすぐに文字化されないと、今何が話されているのか、わかりにくくなってしまうからです。技術的には、速度を保つために、音声データを細かく分割してサーバーに送信する工夫を行いました。また、UI*1の処理が遅くなった場合でも音声データが確実に届くよう、マルチスレッド化*2も行っています。JavaScriptでマルチスレッドを実装するのは非常に難しく、開発者からも相当苦労したと聞いています。

*1:User Interface(ユーザーインターフェース)の略称。ユーザーが製品やサービスと接するすべての接点や操作画面、操作方法を指し、ウェブサイトのデザイン、アプリのボタン配置、キーボードやマウスなどの入力装置なども含まれる
*2:一つのプログラム(プロセス)内で複数の処理の流れ(スレッド)を並行して実行する技術

声を即時に文字変換し、必要な情報をリアルタイムで届ける

声を即時に文字変換し、必要な情報をリアルタイムで届ける


木下:本来、音声認識の精度を高めるには、ある程度まとまった長さの文章にして文脈を把握させる方が効果的です。しかし、文章が長くなると発言枠への表示が遅くなり、修正が必要な場合にも正しい発言の記憶が薄れてしまいます。そこで、発話内容を細かく区切って発言枠に表示し、必要に応じて素早く修正できる仕組みにしました。現在は、使用用途に応じて選択できる「確定速度優先モード」と「精度優先モード」を用意しており、場面に合わせた柔軟な運用を可能にしています。

小久保:音声認識ツールには、まだ100%完璧なものはなく、誤変換や誤認識が表示されることもあります。「Pekoe」では、発言者に限らず、気づいた人であれば誰でも発言枠を修正できる仕様にしています。この「誰でも修正できる」仕組みを実現する点は、技術的にも非常に大変だったと聞いています。他社の音声認識ツールでは、修正専用ツールが必要だったり、専門知識がなければうまく修正できなかったり、アカウントを持つ人しか修正できない場合もあります

その点、「Pekoe」は誰でも修正に参加できるコンセプトにしたため、気軽に直すことができます。複数人が同時に修正しても不具合が起きない仕組みを構築した点も、開発における大きな工夫の一つだと聞いています。こうした技術的な工夫に加え、Pekoeでは運用面のサポートにも力を入れています。導入をするときには、利用する方が安心して使えるよう操作説明会も実施しています。さらに、聴覚障がいについて正しく理解し、適切な対応方法を学んでいただく「セミナー」も実施しています。このセミナーでは、聞こえないことで生じる問題や困りごとを自分ごととして捉えられるようになり、結果的にチーム内で支え合う意識が醸成されることを目的としています。コミュニケーションの質を高め、心理的安全性のある職場づくりにもつながるため、Pekoeはツールとしてのハード面だけでなく、ソフト面からもサポートに取り組んでいます。

リコーが提供する聴覚障がいの理解と、適切な対応方法を学ぶことができるセミナー

リコーが提供する聴覚障がいの理解と、適切な対応方法を学ぶことができるセミナー
 

誤変換があったら気づいた人がその場ですぐに修正できるので、誤認識を防止し、会話の内容も正しく把握できる

誤変換があったら気づいた人がその場ですぐに修正できるので、誤認識を防止し、会話の内容も正しく把握できる


3.から大規模イベントまで—「Pekoe」が支える多様なコミュニケーションの現場

このシステムは会社の会議のほかには、どのようなシーンで利用されていますか。

 小久保:会議以外では、字幕のついていない動画視聴や朝礼、集合・オンライン問わず社内外の行事、さらには不特定多数が参加するイベントでも活用されています。
スポーツイベントでの事例として、当社が運営するプロラグビーチーム「ブラックラムズ東京」のホーム試合では、二次元コードを掲載したチラシを配布し、来場者がスマートフォンで読み取ることで、アナウンスの内容をPekoeで確認できるようにしました。音声情報を同時に取得できる仕組みは、情報の公平性を確保し、誰もが安心して楽しめる環境づくりに大きく貢献しています。

ホーム試合では「Pekoe」で情報保障を実施

ホーム試合では「Pekoe」で情報保障を実施
 

ホーム試合で活用された「Pekoe」のスマホ画面

ホーム試合で活用された「Pekoe」のスマホ画面
 

正しい情報を伝えるために誤認識を修正するメンバー

正しい情報を伝えるために誤認識を修正するメンバー


2025年11月に日本で開催されたデフリンピックでの活用エピソードがあったら教えてください。

 小久保:新たな試みとして、スマートグラスを用いた実証実験を行いました。スマートグラスは、レンズ部分に音声認識された文字が表示される仕組みで、聴覚障がいのある方が装着することで、通常はスマートグラス越しに試合を楽しんでいただき、場内アナウンスがあった場合にはレンズ上に表示される文字から情報を取得できるツールです。

木下:レンズ上には5行分の文字が表示されます。デフリンピックでは、実際に観客に使用していただき、大変好評でした。
一方で、人によって文章を読むスピードが異なるため、文字数が多いと追いつけないという意見も寄せられました。現在はまだ実証実験の段階ですが、今後さらに改善を重ねていきたいと考えています。

小久保:スマートフォンでの文字表示の場合、表示された文字を確認するために視線を下に落とす必要があります。スポーツ観戦中であれば、視線を外すことで見逃してしまう場面もあるでしょう。スマートグラスを使っていればそのようなことは起こらなくなります。
ただし、今回の実証実験を通して、新たな課題も見えてきました。これらは今後の改善につながる‘伸びしろ’だと捉えています。

スマートグラスに表示されたPekoeの文字

スマートグラスに表示されたPekoeの文字


利用した方からはどのような声や感想が聞かれますか。

 小久保:社員の話になりますが、補聴器店とのやり取りを主に筆談で行っており、もどかしさを感じていたそうです。しかし、「Pekoe」を使ったことで、そのもどかしさが解消され、コミュニケーションが非常にスムーズになったと感激していました。「Pekoe」の良さを多くの人に知ってもらいたいという思いから、利用している補聴器店に自ら紹介したいとのことで、その際にはPekoeの営業担当者も同行して機能やメリットについて丁寧に説明しました。補聴器店の方も、その利便性を実感した結果、導入につながったこともあります。このように、実際に利用された方からも「業務や日常のコミュニケーションが格段に楽になった」という声が多く寄せられています。


4.技術だけでは実現できない情報バリアフリー。相手を理解し、思いを伝える姿勢を大切に

貴社において、情報バリアフリーのためには何が大事だと考えますか。

 小久保
:誰でも、いつでもどこにいても必要な情報を得られる社会を目指しています。そして誰もが、職場で自分の意見を発信し、活躍できる環境づくりにも貢献していきたいと考えています。当社では、製品開発においてユニバーサルデザインを重視し、誰にとっても使いやすい製品づくりを進めています。そのためには、開発側の一方的な視点ではなく、使用者となる人の声を丁寧に聞き、その立場に寄り添った開発を行うことが基本だと考えています。

たとえ技術的に優れた製品であっても、相手への配慮や思いが欠けていれば、本当に価値のあるものにはなりません。相手を理解しようとする姿勢と、自分の思いを伝えようとする努力こそが、コミュニケーションの本質であり、その考えを大切にしながら、今後も商品開発に取り組んでいきたいと思っています。

取材協力:株式会社リコー
取材日:2025年12月 


リンク先は情報通信研究機構というサイトの記事になります。
↓↓↓記事原文はこちら↓↓↓
https://www.nict.go.jp/info-barrierfree/topic/development/20260318/index.html

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