2026.07.14

『僕らには僕らの言葉がある』(KADOKAWA)1巻より
耳の聴こえないピッチャー・真白と、聴者のキャッチャー・野中の交流を描くマンガ『僕らには僕らの言葉がある』(KADOKAWA)。他者と分かり合うこと、違いを受け止めること、誰もが同じ目線に立つことなど、私たちにとって大切なことを投げかけてくれる本作は国際児童図書評議会(IBBY)のバリアフリー児童図書にも選出されました。物語はラストを迎えましたが、マンガを描いた詠里さんは今、何を思うのか。難しいテーマと向き合った期間を振り返りながら、胸中を聞きました。(文:イガラシダイ 編集:笹川ねこ)
お話を聞いた人
詠里(えいり)
兵庫県生まれ。甲子園球場を身近な野球場として育つ。2017年、硬式野球に打ち込む女子高生を描いた『フジマルッ!』(講談社)でデビュー。ほかにも、草野球に突如降臨したスーパー野球女子を描く『松井さんはスーパー・ルーキー』(講談社)など、主に野球をテーマにしたマンガを執筆。
障害を「乗り越えるもの」として描きたくなかった
――詠里さんはこれまでも野球をテーマにした作品を描かれてきましたが、今回はそこに「聴覚障害」を絡めています。その着想はどこから得られたんですか?
マンガ家デビューした当初から野球マンガが描きたくて、自分の中でそれは絶対なんです。じゃあ、それをベースにどういった題材を乗せようかと考えていたとき、偶然目にしたのがNHKのドキュメンタリー番組でした。
聴者の野球チームにたった一人だけろうの選手が混じっているものだったんですが、そのとき初めて、本物のろう者が手話を使って話しているシーンを目の当たりにしたんです。とにかく衝撃的でした。明らかに日本語とは異なる独立した言語として手話が存在していて、それを使って周囲とコミュニケーションを取っている。もちろん、周りの人たちもみんなが手話を完全に理解しているわけではないから、指文字を使って一語一語表現する場面もあって、その光景が新鮮だったんですね。
番組の最後に、ディレクターの方がろうの選手に「もしも耳が聴こえていたらと考えることはありますか?」といった質問をしたんですが、その人は「別に聴こえなくてもいいかな」と答えていて。その姿を見て、「聴こえていなくてもちゃんと会話はできるし、こうして野球だってできるんだ」と深く納得しました。聴こえないことを「乗り越える」というわけではなく、その状態のままただそこにいるんです。

――障害は乗り越えるもの、克服するものと描かれることも少なくありませんが、そうではなかったんですね。
そうなんです。スポーツマンガではどうしても「何かを乗り越えること」が描かれがちなので、聴こえないことをそのまま受け止めている野球チームの姿に強い感銘を受けました。
そもそも、聴こえないことを乗り越えるものと捉えてしまうのは、私たち聴者側の意見でしかないですよね。じゃあ、ろう者から見たらどんな風に捉えられるんだろう。そんな疑問が浮かんできて、手話やろう文化について調べていくようになりました。その過程で本作のストーリーやキャラクター設定が断片的に出来上がっていったんです。
――ろう者のピッチャーである真白は、自分の耳が聴こえないことを悲観的に捉えているわけでもなく、極めてフラットな姿勢です。
過去のエンタメ作品では、ろう者が聴こえないことに卑屈になっていたり、過度に悲観的になっていたりもしますよね。そして、そういったキャラクターが壁を乗り越えていくことに、私たち聴者は感動してきた。でも、そんなふうにろう者を“可哀想な人”として描くのは正しいんだろうか、と思うんです。
きっと過去には、「私たちはそんなに可哀想じゃない!」と憤りを覚えた当事者もいるはずで、だけど、エンタメの制作側にその声が届かなかっただけなのではないでしょうか。だから私は、本作で真白を悲劇的には描きたくなかったですし、「ただ、そこにいる人」として存在させました。

『僕らには僕らの言葉がある』1巻より
――その結果、本作の1巻刊行時には、多くのろう者から「私たちをこんなふうに描く作品は見たことがなかった」という感想が届いたそうですね。
とても嬉しかったんですが、同時に、ろう者が出てくるエンタメ作品がどれだけ当事者を傷つけてきたんだろう、ないがしろにしてきたんだろう……とも思いました。
そんなこと、知らなかった。それは私が聴者だからです。私は耳が聴こえるから、ろう者がどんな風に扱われてきたのか気づけなかったですし、鈍感なままでいられたんだと思います。だからこそ、本作では当事者を傷つけたくない、という思いがさらに強くなっていきました。
ろう者が直面してきた差別を描くために
――「当事者を置き去りにしない」という視点で、本作には日本ろう野球協会理事の方や複数のろう者が監修として携わっていますね。
本当に素晴らしい目をお持ちの方々でした。たとえば手話で会話するシーンについて、描かれている単語が合っているかどうかだけではなく、話者の立場は何なのか、手話はどれくらい習得しているのか、相手とはどんな関係なのかなど、さまざまな角度から見て、採用する単語をチョイスしていくんです。
よく考えてみれば、日本語だって同じですよね。年齢や立場、話す相手によって使う単語や話し方は変わるはず。手話だって言語なのだから、そのように臨機応変に変わっていくんです。でも、それに気付けるのは監修の方々が手話ネイティブだからです。
私が一人で一生懸命勉強していても、辿り着けなかったと思います。なので、あらためて彼らに監修をお願いしてよかったと感じています。
――手話表現に限らず、作中ではろう者が直面する差別的な現実もストレートに描かれています。そのあたりも当事者の意見を踏まえたのでしょうか?
もちろんです。ただ、悪戯に彼らを傷つけたくはなかったので、「こういう差別のシーンを描こうと思うんですが、どう感じますか?」とはっきり相談しました。すると、さまざまな意見があがったんですが、結果としては「描いてほしい」と言ってもらえて。だから手を抜かずに描きました。
描きながら、私の中には自省の気持ちが芽生えていました。私たち聴者はろう者に対し、一体どんなことをしてきたのか、自分で自分に突き付けられるようだったんです。
でも、目を逸らしてはいけないと思いました。もちろん、今を生きる聴者の大半は差別に反対する人たちかもしれません。私だってそうです。それでも、時代や環境が異なれば、私たちは彼らを差別する側に回ってしまう可能性がある。何故ならば、私たちはろう者ではないから。だからこそ、常に自制心を持ちながら生きなければいけない。そんな覚悟も乗せながら、描いていました

『僕らには僕らの言葉がある』1巻より、真白の母の回想シーン
――現実にもまだ残っている差別のシーンを描くのは、しんどい作業ではなかったですか?
特にしんどくはなかったんです。一人のマンガ家としていつか差別の問題を描いてみたいと思っていました。ただ、恐怖はありました。描いたものが世に出たときに、「聴者のお前になにが分かるんだ」と批判されてしまうのではないか、と。どんなに勉強したって、私は当事者ではないですから。
だからこそ、絶対に茶化さずに誠実に描こうと心に決めていました。真面目に向き合えば、きっと伝わるはずだと信じていたんです。
もう以前の自分には戻れない、これからもろう者を描きたい
――真白とバッテリーを組むことになる野中自身にも「気付かない差別心」みたいなものが存在していて、彼がただの善良な人として描かれていないところもリアルでした。
実は野中は、私の弟をモデルにしているんです。彼は本当に男性らしい男性でして、決して悪い人間ではないんですが、無自覚の差別意識もあったりするんですよね。それと折り合いをつけながら生きている姿を間近でずっと見てきたので、野中に投影しています。
でも、きっとほとんどの人がそうだと思うんです。100%善良な人なんていなくて、このマンガを楽しんでくださっている人の中にも、差別的な部分を抱えながら生きている人がいるはず。私だってそうですから。そういった人たちからすれば野中の存在はとてもリアルで、感情移入しやすいのではないかと思います。

『僕らには僕らの言葉がある』1巻より 真白とバッテリーを組むキャッチャーの野中
――真白と野中は、途中からバッテリーを解消させられて、それぞれに己の問題と向き合う時間がありますね。そうして最後に、真白がある「選択」をしますが、素晴らしいシーンでした。
ありがとうございます。あのラストシーンはとてもこだわって描いたんです。真白に主体的な選択をさせたのは、そうじゃなければ、いつまで経っても聴者優位の環境であることが変わりないからです。
ろう者には選択権がなくて、選ぶのも決めるのもいつだって聴者。いい加減、それは変えなければいけない。そもそも、真白のようなろう者にだって発言権はありますし、それを受け止め、一緒にどうするか考えていくのが、ろう者とともに生きていくということですよね。彼らのいるチームではそれができるようになった。そんな願いを込めたラストです。
記事のポイント!
聴覚障害を「乗り越えるもの」として描かず、ろう者を一人の主体的な人間として表現した作者・詠里さんが、手話やろう文化を学び、当事者の監修を受けながら、無意識の差別やろう者の選択権に向き合った制作への思いを語っています。
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