「可哀そうで悲惨な話ばかり求められる」違和感。障害者の子供には困難も幸せも存在する

「可哀そうで悲惨な話ばかり求められる」違和感。障害者の子供には困難も幸せも存在する

耳が聞こえない親のもとで育つ耳が聞こえる子供のことを、CODA(コーダ)と言います。

作家の五十嵐大さんはCODAとして育った経験から、障害やマイノリティについての取材・執筆活動を行っています。

そして筆者は精神障害を持つ父親のもとに育ち、現在は貧困や格差を中心とした社会問題を中心に取材・執筆をしています。

五十嵐さんとは、障害を持つ親のもとで育った、マイノリティや弱者に取材している、さらに、自分自身もインタビューされることがある、という共通点があります。

今回はそんな特徴的なバックグラウンドのもの同士、障害者やマイノリティの取り上げられ方について思うこと、「障害者の子供は可哀そう」という世間の目について思うことなどについて率直に語り合います。

リンク先はmi-molletというサイトの記事になります。
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