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映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』で、“きこえる世界”と“きこえない世界”を行き来しながら生きる、コーダの主人公を演じた吉沢 亮さん。「生きるうえで大切なことを学んだ」という、本作への思いを伺いました
吉沢 亮さん
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すべてのシーンに思い入れがある
そこに生きる、ひとりの人間として演じたかった
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「登場人物たちがみんな愛おしくて、どこかかわいらしくもあって。普遍的な家族の愛を描いた、ナチュラルな時間の流れる素敵な話だとあらためて思いました」主人公・大を演じた映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』を観た感想を、吉沢亮さんはそう話してくれました。
大は、耳のきこえない両親のもとに生まれ、自身は耳のきこえる子ども「コーダ」として育った青年。母を守りたいと思いながら、ときに母を傷つけてしまう彼の葛藤が繊細に描かれています。
すべてのシーンに思い入れがある、という吉沢さんですが、あえてひとつ挙げるなら、受験に失敗した大が母親にいら立ちをぶつける場面なのだそう。
「僕はそれほど反抗期が激しかったわけではありませんが、親に言いたいけど言えない…というモヤモヤがたまって爆発してしまう気持ちはよくわかりました。そのシーンでは、大が感情的になるあまり、手話と話す言葉が混じってしまうんです。監修のコーダの方にも、実際にそういうことがあり得るのか相談しながらつくったシーンなので、とくに印象に残っています」
「伝えること」の大切さと難しさを学びました
吉沢亮さんが役を通して学んだこと。「伝えるってこういうことなんだな」
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吉沢さんの手話は、監修チームからも自然だと絶賛されたそう。ただ手の動きを覚えるだけでなく、大の手話として感情を乗せて表現するには、多くの課題があったと振り返ります。
「大事にしたのは、『相手がなにを言っているのか』を理解したうえで反応すること。実際に手話をする人も、無表情で相手の言葉を聞くことはなく、なにか言うたびに『ちゃんと聞いてるよ』と示すためにリアクションするそうです。
ただ、自分のセリフだけでなく、相手の手話の意味も覚えるのは大変でした。それに、同じ手話でも眉毛や首の動かし方で意味が変わることもあるんです。普段のお芝居では感情を表に出さない方がいい場合もあるけど、手話では“伝える”という気持ちを強く演技に反映させないといけない。その調整も難しかったです」
そうした経験を通じて、「相手に伝えることの大切さと、難しさを学んだ」と吉沢さん。
「大は自分の感情を内側にためがちな人だし、僕も日常生活ではコミュニケーションが下手な方。でも生きるうえでは、きちんと伝えなきゃいけないときもある。ただ言葉だけだと、なかなか“伝える”という意識までいかないんですよね。言葉というものを、自分の心を整理したり、吐きだしてすっきりするために使うことも多かった気がします。
対して手話という言語は、相手の目を見て伝えようとする。そこがすばらしいと思ったし、お芝居でも『伝えるってこういうことなんだな』と勉強になりました。きっと、これからの作品にも生かせると思います」
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