2025/10/23 17:00
栗原守
11月のデフリンピック東京大会(読売新聞社協賛)の開催まであと少し。教育を通じて聴覚障害のある子どもたちが生きる社会と向き合ってきた京都光華女子大学准教授の高井小織さんから、教育現場のリアルな姿を聞いた。(栗原守、以下敬称略)

一般の学校でも聴覚障害の理解を
――聴覚障害のある子どもたちは今、どんな学校で教育を受けていますか。
教員志望の学生指導も行っている高井小織・京都光華女子大学准教授
高井 二十数年前、ろう学校(特別支援学校)の児童生徒は2万人以上いましたが、今では幼稚部から高等部まで合わせても6000~7000人に減っています。最近は「地域の学校で過ごしたい」というニーズの高まりや、教育現場のインクルーシブ(包摂)志向もあり、補聴器や人工内耳を付けている子どものうち、3分の1がろう学校に通い、3分の1は地域校の難聴学級や様々な通級教室を利用しています。こうした制度の支援を受けずに一般の学校に通っている数も多いです。
――技術や制度の進歩で教育環境は改善していますか。
高井 ろう学校に通う児童生徒の減少は、難聴の早期発見から療育や教育につながっていることや、補聴器や人工内耳の技術進歩も大きく影響しています。特に人工内耳は2000年代から子どもにも広まり、今では国内で約2万人が装用しています。毎年1000人が手術を受け、そのうち半数が乳幼児です。
人工内耳や補聴器によって、小学校入学までに日常生活で子どもとの音声会話が成り立つと、「これなら地域の学校に通わせられる」と考える親も増えています。学校側も子どもがクリアに発話するので「普通に授業しても何とか通じる」と考えやすいです。この10年ぐらいで「音声認識ソフト」など音声を瞬時に文字で表すようなツールも多くでてきました。
だからといって、聞こえる他の子どもと同様に学べるほど問題は単純ではありません。聞こえにくい子どもたちに対する理解が、地域の一般の学校でも必要な時代になっています。ろう学校の教員を目指す学生に限らず、全ての教職志望の学生に、幅広く聴覚障害への理解を深める授業をしていますが、教師が「聞こえ」についてアンテナをもつことが大事です。
支援は当事者の視点で
――地域の学校での支援では、どのような問題がありますか。

教育現場の経験を語る高井さん
高井 中学校で、聴覚障害の生徒がいる授業を参観したことがあります。生徒の机の上には教科書・ノート・資料集があり、更に音声認識で文字を表示するタブレットもあります。教室には大きなディスプレーもあります。当然、先生は板書もします。でもその生徒は、どこを見て授業を受ければいいのかわかりませんでした。
「音声認識ソフトで文字の保障があれば大丈夫」というのは聴者の視点です。たとえば、数学の先生が「ここの角度とここの角度を合わせたら、こっちの角度になるね」と話した言葉を、タブレットがそのまま文字化しても意味がつかめません。また、英語の授業で先生が日本語と英語を交互に使っても、音声認識表示は混乱します。聴力や聴覚の程度、生徒の言語力、発達段階、そして情報の内容や種類によって、使いやすいツールは異なるのです。
生徒も、話し手の口の動きで言葉を読み取るのが得意な生徒、音声認識ソフトで速読に慣れている生徒、補聴援助システムも使い音声に頼る生徒など様々です。
手話はグループトークでの共有に有効だし、意味や情感の表現に適していますが、文字だけでは気持ちまでは表せません。当事者の視点が抜けた支援が多いことに留意が必要です。
――教員の数や専門性はどうでしょうか。
高井 ある地域では、1人の難聴児に1人の教員を担任とする難聴学級を何十校も設置しています。子どもが住んでいる地域で、細やかな支援を目指すとの意図はわかります。しかし、聴覚障害について専門性のある教員の数は圧倒的に足りていません。人数の多い通常の学級には力量の高い教員を充て、臨時設置の難聴学級には講師や再任用教員を置く、ということはめずらしくありません。
成績評価でも、例えば音楽の授業で、歌う時に正確な音程がとれないのは聴覚障害が原因で、それを成績に反映させるのは不適切だとわかります。でも、数学のテストで低い成績だった場合、その原因は聞こえのせいか、練習や定着を怠ったからか、そもそも理解が難しいレベルだったのか、環境のせいか、わからないですよね。教員に求められるのは、その子どもと向き合い実態をつかんだ上で、聴覚障害からくる個別のニーズとそれに見合った方法を一緒に考え、学力を最大限に伸ばすための指導力です。
自分の言葉で語れる力を
――聴覚障害者は手話の世界で生きているという単純な形はないですね。
高井 「聴覚障害者=手話」、「補聴器・人工内耳=聞こえる」という二分論には陥りたくありません。現に「コミュニケーション手段が手話言語に限る」という聴覚障害のある子どもの割合はとても少ないです。大人になってから手話で語れる仲間の存在を再認識する若者も多いです。
中学校の難聴学級に勤めていた時、沖縄に修学旅行に行きました。沖縄戦の語り部の方の話を聞く時に、生徒に情報保障の希望を聞いて、手話通訳と文字情報の両方を用意しました。本人に選択肢を示すことは大事です。
さらに、後で「どうだった?」と、結果を聞き取る必要もあります。分かりやすかったか、分かりにくかったか、不要だったのか、どうしたら改善できるか、という具合です。支援を一方的に用意し与えるのではなく、当事者に自分の感じたことをしっかりと説明させることが大切です。
――聴覚障害者が、社会で生き抜く力をどう考えますか。

聴覚障害の子どもの現状の理解を訴える
高井 まずは、自分を客観的に理解し、自分の言葉で状況を説明する力が大事だと思います。やはり中学生の話ですが、身体障害者手帳に該当しない程度の50デシベルの生徒と100デシベル(重度難聴)の生徒がいました。3年生になったある日、50デシベルの生徒が100デシベルの生徒に「君はいいね。自分の(聞こえない)ことをまわりに説明しやすいでしょ。僕は大変なんだよ」と言いました。私はその言葉を聞いた時に、生徒の成長を感じました。
普通に考えたら100デシベルの重度難聴の方が困難は大きいように思えます。ですが「聞こえないので目で見える情報(手話や文字)がほしい」と、合理的な配慮をはっきり求めやすいでしょう。それに対し、中等度難聴で補聴器もよく使う50デシベルの生徒は状況がまちまちで、それに応じた対応が求められます。たとえば「この話は楽に聞こえてわかる」、「これは話の中身も難しいから努力して一生懸命聞かなければわからない」、「英語のリスニングテストの語尾につく“s”などの子音は聞こえないから、成績に関わるテストでは文字情報がほしい」、「雑音の多いところでは補聴援助システムを使ってほしい」など、相手や情報の内容によって、受け止めかたも支援要請の内容も変わります。
この生徒は、相手が理解できるように説明することの難しさや、勘違いされやすい状況を冷静に理解していることが分かっていたので、私はうれしくなったのです。
――聴覚障害への理解が不十分な社会では、当事者は理解を求めなければならない場面に繰り返し直面するということですね。
高井 そうです。ですから、自分の言葉で自分を説明できることは一つの大きな成長です。教育現場ではこういうときに「そうだね、よくそんなふうに考えたね」と共感し、フィードバックして対話を続けることが必要です。
聞こえない・聞こえにくい仲間やネットワークはとても重要です。しかし、日常の生活では、世界は聴者であふれていて、そこでも自分らしく生きてほしいと思います。だから、自分を他者に説明する力がいるのです。
周りの人と関わりながら生きることは、学校段階だけでなく社会に出てからもずっと続きます。就職先を自分で選び、また困難に直面することがあっても、仕事を継続していくために、彼らが自分を説明する力を育てていくために貢献できればと考えています。
たかい・さおり 広島県生まれ。公立中学校の難聴学級担任を経て、現在、京都光華女子大学准教授。言語聴覚士を目指す学生らの指導をするとともに、複数の大学で教員養成課程の学生向けに講義も展開している。本人も片耳難聴の当事者。プロ野球広島カープファンで、「元祖カープ女子」を自認している。
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