耳が聞こえない人々の戦争体験 「今ではあり得ないことが当然に」

耳が聞こえない人々の戦争体験 「今ではあり得ないことが当然に」

聴覚障害者の暮らしを支える拠点づくりを進める団体「きこえない人のひとりぼっちをなくそうPROJECT(プロジェクト)」が主催。

会場では手話通訳者による音声アナウンスと字幕で講演の内容が伝えられた。

1945年6月5日の神戸空襲で学校は焼け落ち、大塚さんたちは山に逃げ、火の海と化した学びやを見つめていたという。

当時の聾唖学校では口の動きを読み取る口話を使うよう厳しく指導され、手話は禁じられた。

「手話を使うと竹の棒でたたかれた」と小林宝二(たかじ)さん(91)=明石市=は語った。

勉強が分からず、周囲の無理解もあり「学校に行くのは無駄」とされ中学2年で退学した。

その後、同じ聴覚障害のある女性と結婚。

妻は妊娠し2人は喜んだが、双方の母親らが相談し、妻は小林さんの不在時に意味の分からないまま人工中絶と不妊手術を受けさせられた。

2018年、2人は旧優生保護法下で不妊手術を強制されたとして国を相手に提訴。23年3月の大阪高裁判決は原告勝訴となったが国は上告した。

同種の裁判は今も各地で続いている。妻は22年に89歳で死去した。

小林さんらの話を受け、神戸ろうあ協会の小川知子会長は「今ではあり得ないことが昔は当然のように行われていた。

差別や戦争のない社会を目指し、私たちに何ができるかを考えなければならない」と述べた。

リンク先は毎日新聞というサイトの記事になります。
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