長濱ねる「マイノリティは自分がいる場所によって変わる」手話が第一言語の場で気づいたこと

長濱ねる「マイノリティは自分がいる場所によって変わる」手話が第一言語の場で気づいたこと

発信することで社会や未来へ“つなげる”

長濱ねるが日常生活で学んだこと、発見した気づき、周りの人と話したいことをトークテーマに発信する連載。

あらゆる多様な価値観や文化の違いを理解する、しなやかな思考を育むため、日常での気づきや仕事で学んだこと、感情の変化をシェアしていく。

長濱ねるから皆さんへ“つなげる”、そして社会や次世代に“つなげる”。そんな思いと希望を込めて。

「こんにちは、長濱ねるです。この度、東京2025デフリンピック応援アンバサダーを務めさせていただくことになりました。先日、この大会の2年前イベントとして期間限定で営業する『みるカフェ』のオープニングセレモニーに参加させていただき、デフリンピックのアスリートの方々や同じくアンバサダーを務める川俣郁美さん、KIKI、手話通訳の方、そして小池都知事と共に登壇させていただきました。
今回は、そのイベントで聴覚障害のある方とお会いし見えた世界についてお話しさせてください。そして、年内最後の回ということで、2023年を振り返ってみました!」

「皆さんは、『デフリンピック』という大会をご存じでしたでしょうか? 私は恥ずかしながら、アンバサダーのお仕事をいただくまで、その存在を知りませんでした。デフリンピックとは、聴覚障害のある方の大会なのですが、私はてっきり聴覚障害のある方もパラリンピックに出場されているものだと思っていました。ところが、パラリンピックは主に身体に障害のある方を対象としており、聴覚障害のある方の競技種目がないとのこと。障害の違いによって参加できる競技が変わるため、聴覚障害のある方は別の大会にする必要があるのだそうです。そして、耳が聞こえなくても、ルールはオリンピックとほぼ一緒なのですが、デフリンピックならではの工夫が散りばめられています。

例えばスタートの合図。オリンピックやパラリンピックの陸上競技ではスタートの出発音が、デフリンピックでは、耳の代わりに目で分かるフラッシュランプなどの方法を使ってスタート合図を送ります。そして、補聴器は禁止。耳が聞こえないレベルも人によって違うため補聴器はなしで、全く聞こえない人に合わせるのだそうです。ルールやハード面はもちろん、デフリンピックが開催されることで聞こえる人と聞こえない人の、目に見えない壁を取りのぞくきっかけになるのではないでしょうか」

デフリンピック(Deaflympics)
耳の聞こえないろう者のアスリートのためのオリンピック。デフ(Deaf)とは英語で「耳が聞こえない」という意味で、オリンピックと同じように4年に一度、夏季大会と冬季大会がそれぞれ開かれる。1924年のフランスの夏の大会から始まり、100年を迎える記念すべきタイミングで日本の東京での開催が決定した。
参照:全日本ろうあ連盟 デフリンピックのご紹介

手話ができない自分がマイノリティだった

「今回、参加させていただいたオープニングセレモニーは、手話が第一言語の現場でした。会場の説明や台本の流れ、挨拶なども全て手話で行われていて、そこでは手話ができない私がマイノリティでした。『自分だけ話がわからないし伝えられない』というのはこういうことなのかと、コミュニケーションが取れないもどかしい状況に。

手話がすごいスピードで飛び交う中に自分がいると、本当に取り残された気持ちになり、マイノリティは自分がいる場所によって変わるということも体験しました。これは、聴覚障害のある方たちが日々感じている思いなのだろうなと。周りの方たちが、私に何かを一生懸命伝えようとしてくれているけど、それがわからない、という瞬間が特にもどかしかったです。

イベント中、デフアスリートの方が手話で私に質問してくださったタイミングがありました。でも、何を聞かれているのかわからず、全く助けにならなくて……。会場の壁にサインを書くタイミングだったので、『太いマジックと細いマジックどっちで書く?』くらいのちょっと会話が、その時は何を話そうとされていたのか理解できませんでした。以前、番組で手話を勉強していたため、ちょっとした会話で使える手話は覚えていたのですが、まだまだ足りないなと悔しい思いをしました。

ただ、手話は表情やボディランゲージを使う言語なので、その表現を見ていると伝わってくることも多く素敵な言語だな、とも改めて思いました。例えば、スーパーボウルのハーフタイムショーで、手話通訳者がリアーナやエミネムのパフォーマンスを手話でラップをしたり、表情豊かに一緒に踊っている表現力の素晴らしさが話題となっていました。その手話表現を見ていると、本当に歌ったりラップをしたりしているように音が聞こえてくる感覚になるんです。音楽を“聴く”だけではなく、音楽を“見聴く”という、新たな感覚の感動があるんだと驚いたことを覚えています。

手話はろう者の方のもの、と限定するのではなく、第2外国語、第3外国語を習得するような感覚で、コミュニケーションのいち手段としてもっと触れられる機会が増えたらいいなと。私も手話をもっと勉強したいなと思いました」

テクノロジーの進化で、垣根がなくなる世界へ

「同時に、テクノロジーの進化によってコミュニケーションが取りやすくなることも学びました。このイベントで体験させていただいたのですが、『みるカフェ』に設置されたカメラに向かって手話をすると、その動きをカメラが読み込み、設定された言語へテキスト化してくれるんです。音声の自動起こしは知っていたけれど、手話もテキスト化できる技術があることに驚きました。

そして、私と一緒にデフリンピック応援アンバサダーを務める川俣郁美さんのお話の中で印象的だったのが、『障害のある方のために作られたサービスによって、健常者もとても豊かになっている』ということ。例えば、映画の字幕は、耳が聞こえない人のために作られたものでしたが、今や英語を勉強したい人、子育て中の方が赤ちゃんの寝ている横で静かに映画を見たい人など、いろんな人にとっても役立っているとおっしゃっていて、確かにそうだなと。バリアフリーということはかなり前から言われていますが、みんなが使いやすいユニバーサルデザインは、本当に誰にとっても必要なことだと思いました。

今回のイベントでは、テクノロジー進化のおかげで、いよいよコミュニケーションに垣根がなくなるような世界は近づいているのではないかと希望の持てる体験ができました。あとはいかに自分ごととして取り組んでいくか、現代の高い技術があればいかようにもなるはずです。

一方で、テクノロジーの進化という点から話を広げると、今後もっと規模が大きくなるであろうメタバースという仮想空間では、視覚障害のある方が置いていかれてしまうことになるという気づきもありました。

メタバースの世界では、年齢も性別も国籍も障害の有無も関係なく、現実世界でできないことを自由にできるのはいいことだとは思っているのですが、そこに抜けているのは“視覚”の障害がある方。友人との会話で『メタバースは、目が見えない人はどうしたらいいんだろう?』という話になり、その視点に気づけていなかったことにハッとしました。全ての人が満足することは難しいですが、立場を変えた視点に立つことの大切さを日々感じています」

(中略)

リンク先はFRAU the Earthというサイトの記事になります。

続きはこちら↓↓↓https://gendai.media/articles/-/120240?imp=0
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