2025年7月19日(土) 15:44
国内
「聴覚障がいのある子どもに希望を与えられるかなと思って」と力強く語る佐藤杏奈選手。

聴覚障がい者によるスポーツ「デフボウリング」の日本代表として、2025年開催されるデフリンピックへの出場が内定している彼女の眼差しは、静寂の中でも強い決意に満ちていました。

音のない世界で見つけた才能
デフボウリングは聴覚の補助装置を外し、耳が聞こえない状態で行うのがルール。

ボウリングで重要な音の認知ができない中でプレーする特殊な競技です。
佐藤選手がボウリングを始めたのは小学生の頃。
父親の昭仁さんが趣味でボウリングをしていて、小学生だった佐藤選手にマイボールをプレゼントしたことがきっかけでした。
その後、デフボウリングの世界大会があることを知り、親子二人三脚で手探りの挑戦が始まりました。
「他の指導者とか、なんかレッスンプロとそういうのは一切ない」と父・秋仁さんは当時を振り返ります。
昭仁さん
「僕の友達、僕が分かんないところは僕の友達とか知識ある人を聞いて、じゃあ、もうパパの言うことを聞いてればもうね、いいとこまで行ってる」
しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
父への「絶対的信頼」
激しいぶつかり合いが強い絆となっています。

「お父さんに聞けばある程度のことは解決すると思ってて、そういう、もう絶対的な信頼はあります」

人工内耳と発声練習の日々
佐藤選手は生まれつき重度の聴覚障がいがあり、両耳に受信器を埋め込む人工内耳の大手術を受けました。

そして術後は、自ら声を出す猛特訓が待っていました。
「お父さんに発声練習させられてた時が一番苦しくて、腹を押されて腹から声出すんだと言われて」
「泣きながらやってました。今となったらもうやっぱり、そのおかげで今こうやって割と普通に話せてるのかなとは思います」
口での会話を習得したことで、障がいは見た目ではほとんど気づかれないそうです。


しかし、そのことがかえって学校生活での悩みとなることもありました。
「高校の時に自分の障がいのことを話さないまま学校生活送ってたんですよ。そしたら、なんかある日、その、無視したみたいに言われて」
この経験から大学では最初に障がいを伝えるようになったといいます。

東北大会での挫折と新たな決意
11月に開催されるデフリンピックを目指し、佐藤選手は青森県で行われた東北大会に出場しました。

団体戦では見事に宮城チームが優勝。

佐藤選手も6連続ストライクを決めるなど本領を発揮しました。

しかし、続く個人戦では集中力に限界が。
連覇への強い思いとは裏腹にピンが残る場面が続き、同じ宮城の戸羽康之選手に逆転で敗れてしまいました。

「スペアも取れなくてそこが敗因だなって思ってるので本当に誰にも負けたくないので、11月までに自分の何が悪かったかとかをもう1回考え直して、もう誰も負けないようにしたいです」と悔しさをにじませながらも、前を向く佐藤選手。

戸羽康之選手
「杏奈さんはまだまだ経験が少ないと思っています。デフリンピックでいい成績を収め、メダルを取っていただきたいなと思っております」
デフリンピックへの熱い思い
「聴覚障がいというのを知ってもらいたいっていうのが第一で、聴覚障がいのある子供たちとかに希望とかを与えられるかなと思って出る」
「やっぱりお父さんに金メダルをかけてあげたいっていうのがあるので、出るからには優勝を目指して頑張りたいと思っています」

「どのくらいの障がいか全然わからないので喋れないって決めつけたり、それこそ補聴器や人工内耳がついてるから、じゃああなたは聴こえるでしょって決めてるとか結構あるので、そういったところへの理解を深めてもらいたいなって思ってます」
リンク先はtbc東北放送というサイトの記事になります。