音楽を手話で表現する挑戦。葛藤を抱えながら進む〈思い出野郎Aチーム〉のいま

音楽を手話で表現する挑戦。葛藤を抱えながら進む〈思い出野郎Aチーム〉のいま

海外のライブやフェスで取り入れられることが増えた手話通訳

聴覚障がいのあるろう者が、音楽を楽しむための素敵な手助けだ。

まだまだ日本では珍しい手話通訳を、ソウルバンド〈思い出野郎Aチーム〉が取り入れている。

ライブを観て驚いたのは、単純な文字情報を伝える手話ではなく、会場を包むグルーヴやエネルギーをも手話に翻訳し、“音楽体験”を共有しようという熱量の高さ

右も左も分からないなかでの挑戦、2年経ったいまだからこその葛藤ーー〈思い出野郎Aチーム〉高橋一さん、手話通訳士・ペン子さんに話を伺った。

「いいんじゃない?」と軽い気持ちでスタートしたライブでの手話通訳

2021年末からライブに手話通訳を取り入れ始めた思い出野郎Aチーム

きっかけはバンド史上最大規模のライブに向けて、マネージャーからの提案だった。

高橋さん
「コロナ禍を経て、〈STUDIO COAST〉でワンマンライブを開催することになったんです。サポートミュージシャンを増やし、バンドを拡張しようって話になったときに、マネージャーから『手話通訳とかどうですか?』と提案があって。僕も海外のミュージシャンが取り入れている映像を観ていたので、軽い気持ちで『いいんじゃない』って」

右も左もわからないところからのスタート。

最初に問い合わせた先が報道などを得意とする手話通訳団体だったため、イメージのすり合わせに難航した。

高橋さん
「そんな経緯もあり、バンドのSNSで『手話通訳の情報があればご連絡ください』とオープンに募集したんです」

そこで、ライブハウス〈渋谷WWW〉の店員から手話通訳士になったという異色の経歴を持つペン子さんがリアクションし、出会いを果たす。

そもそもペン子さんが手話通訳士を目指したのは東日本大震災がきっかけ

ミュージシャンたちが支援のために動いてるのを見て、何かできることがないか模索していたという。

ペン子さん
「自分に専門分野がないと動きにくいし、悔しいままだと実感して。政府の会見で手話通訳士の方々が活動されているのを見て、『これだ!』と」

一念発起し、専門学校へ入学。2年間に及ぶ猛勉強の日々が始まった。

ペン子さん
「学校では音声言語は使いません。学校で使用する言語は手話で、休み時間の雑談も、食事の際の会話もすべて手話。勉強、勉強でストレスが溜まっていたんでしょうね、白髪が増えましたもん(笑)」

話を聞き、理解して、情報を噛み砕いて翻訳し、表現するーーその5つを瞬間的に行うハイレベルな技術が求められる手話通訳士になるには、難しい試験が設けられている。

ペン子さんは、合格率13%という難関を無事に突破した。現在は手話通訳活動を続けながら、コンサートやライブの現場でも活動している。

ペン子さん
「ご一緒することになった時は、正直『とんでもない土俵に上がってしまった』と思いました。日本では、ほとんど前例がないので

合格率13%の壁を乗り越え、手話通訳士に

一方で高橋さんたちバンドサイドは、真逆の考えだった。

「同時通訳で手話にしてもらえるイメージで、そこまで大変だと思っていなかったんです」

いざ取り掛かり、手話で音楽を表現する難しさを痛感する。

手話には大きく2種類、“日本手話”と“日本語対応手話”があり、ペン子さんは“日本手話”を採用している。

※日本手話:日本のろう者の間で使われてきた、日本語とは異なる自然言語。日本語とは異なる語彙、文法構造を有する。手指以外に眉・口・頭などの上半身が文法的な役割を担う。

※日本語対応手話:手指つき日本語。日本語の通りに口を動かしながら、日本手話から借用した手話表現を付ける。主に日本語のベースがある難聴者や中途失聴者の方々が使う。日本語(の文法)でコミュニケーションを取っている方々には便利な表現。

ペン子さん
「日本手話で翻訳をする場合は、1行目で作った歌詞の情景や空間を2行目でどう使おうかとか、そういうふうに構成・編集しながら訳していくんです。短歌や詩を外国の方に解説するような、そんな難しさに近いかもしれません」

芸術には、解釈を受け取り手に委ねるという側面もある。

しかし手話で表現する際は、あえて省いていることや、抽象度の高い描写をどう解釈し、伝えればいいのかという細かなすり合わせが必要だった。

高橋さん
「1曲ごとに、歌詞の解釈について手話チームから質問をもらい、それを踏まえて僕が細かい解説を付け加えて返信して…そんなラリーの連続です。僕らの曲は、1つの言葉を繰り返しているけど、そこに複数の意味を込める、いわゆるダブルミーニングを多用している曲も多くて。1行目はそのままの言葉の意味、2行目はその裏の意味、そう分けてもらったり色んな試みをしました」

ペン子さん
「最初のワンマンでは20曲近くを手話通訳チーム4〜5名で翻訳したのですが、本当に膨大な作業で…」

翻訳にかかる時間は曲によってまちまちだが、おおよその輪郭が見えてくるまでには1曲につき最短で1週間ほど費やした。

ペン子さんたちが歌詞を読み込み、解釈する下準備の時間を入れるとその時間は計り知れない。

さらに手話は、曲調ともリンクする。奏でられるのがマイナーコードだったら切なく寂しげに。ハッピーなときは思い切り躍動してーー

ペン子さん
動きの大きさや、手の強さ(手指の張り、緩みなど)も、表現のひとつなんです。次は誰のソロパートか、どんな展開になるのか頭に全部入ってるから、ダイナミズムに合わせて盛り上がる部分は思い切り大きく動いたりしています」

ここまで徹底し、愚直にバンドに寄り添ったパフォーマンスを追求するのは、ペン子さんがミュージシャン・音楽へのリスペクトを大切にしているからこそだろう。

ペン子さん
「そこはやっぱり譲れない部分ではありますね。いちリスナーとして、大袈裟じゃなくライブや音楽に救ってもらってきたので…」

こうして試行錯誤しながら、2年続けてきたなかでさまざまな反響が寄せられた。

高橋さん
「まったく手話に触れたことのない人たちが関心を持ってくださっただけでも嬉しいですし、『素晴らしい取り組みだ』『感動した!』と反響をいただいて。それ自体は良かったことではあるんです。けど、最近は葛藤もあって…」

(中略)

リンク先はHanakoというサイトの記事になります。

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