2025年の「東京デフリンピック」でメダル獲得を目指す 福岡県出身の日本代表選手
2024/09/19 (木) 16:30
久留米市の飲食店で楽しそうに食事をする、大学4年生の鎌田真衣さんと2年生の矢ケ部真衣さん。漢字も同じ「2人の真衣さん」です。そして矢ケ部さんの姉・紋可さん。福岡県出身の3人。聴覚に障害があり会話は手話で行います。実はこの3人、ある競技の「日本代表選手」です。
矢ケ部真衣さん
「(練習後は)バドミントンのことは話さない。バドミントンは忘れて。オンとオフが入れ替わる」
それがデフバドミントン。音のない世界でするバドミントンです。2023年ブラジルで開かれた世界選手権。3人は混合団体戦で銀メダルに輝きました。さらに鎌田さんは香川県出身の選手と組んだ女子ダブルスで銅メダルを獲得しています。また9月13日から15日に開かれた国内の大会で初めてペアを組んだ2人の真衣さん。見事優勝を果たしました。
鎌田真衣さん
「音がないと真ん中に来た時に取ってという音が聞こえないのでぶつかる。パートナーの動きも考えながら動く」
デフバドミントンでは聴覚の差によるハンディキャップをなくすため、競技中は補聴器を外します。完全に音のない状態で競うのです。
別の日、鎌田さんの姿は福岡市早良区の西南学院大学にありました。図書館で行われていたのは所属するゼミの合宿。社会福祉士の資格をとるための勉強会です。
鎌田真衣さん
「手話のできる相談者は少ない。自分も手話のできるソーシャルワーカーになりたい」
生まれたときから聴覚に障害のある鎌田さん。小学校から高校まで聴覚特別支援学校に通っていたため、耳が聞こえる学生たちと一緒に学ぶのは初めてです。
鎌田真衣さん
「大学1年生、2年生の時はコロナもあってマスクなど初めての環境で両立が難しいところはあった」
鎌田さんを苦労させたのがコロナ禍で多くの人が着けていた「マスク」
鎌田真衣さん
「私は口元の形を読み取るからコミュニケーションなどはついていけないところが多かった」
現在はこのように音声が文字で表示されるアプリを使用し、会話の内容を理解しています。友人は鎌田さんを「苦労を一切見せずいつも笑顔だ」と話します。
ゼミの友人
「いつも笑顔でとにかく根っから明るくて何事にもすごく楽しむイメージ。」
大学に通いながらバドミントンを続ける鎌田さん。日本代表選手ですが決して環境が恵まれているとはいえません。この日鎌田さんたちが練習をしていたのは久留米市の体育館。デフバドミントンのチームはなく、固定の練習拠点もありません。そのため、場所を転々としながら複数の体育館を利用して練習を重ねています。毎日指導してくれるコーチもいません。そのため現在は聴覚特別支援学校時代の先生や日本代表のコーチから指導を受けています。
金田柳吾先生
(Q鎌田さんの強みは)
「身体能力が高い。体のバネがあるので足が速くフットワークが軽い」
そんなデフバドミントンの選手たちのモチベーションを高めるため、全国的な取り組みが福岡でも開かれました。
8月11日、春日市の体育館で開かれていたのはバドミントンの強化合宿。全国各地から強化指定選手が集まりました。聴覚に障害のあるデフバドミントンの精鋭たちです。
鎌田真衣さん
「世界を目指す選手たちがたくさん集まってきているので私も参加することでモチベーションが高くなってきている」
日本デフバドミントン協会が主催しているこの合宿。年に7、8回東京や福岡など各地で開催しています。合宿をする最大の狙いは「認知度を高める」ことです。認知度が低いため国際大会に出場する際学校や会社を休みづらい、大会や遠征の費用への支援が少なく、自己負担額が大きいといった課題があります。さらに、聴覚に障害のある人もデフバドミントンの存在を知らないことがあり「選手の発掘」も課題です。
日本デフバドミントン協会 中西朋実さん
「今まで地域の聞こえる人たちの学校の中で生活をしながらバドミントンを続けているデフの選手がだいぶ大きくなってからデフリンピックっていうのがあるんだ。自分だったらそこでメダルが取れるんじゃないかって後から気づく人もたくさんいる」
この合宿に集まった選手たちには共通の目標があります。
矢ケ部真衣さん
「来年11月の東京デフリンピックで金メダルを取ることが目標です」
鎌田真衣さん
「来年2025年、東京デフリンピックが開催される。メダルを獲得することが目標です。金色のメダルを目標としている」
デフリンピックとは耳が聞こえない人たちのオリンピック。100周年を迎える
2025年の舞台は初めて、ここ日本です。記念すべき地元でのデフリンピック出場とメダル獲得に向け選手たちの練習も熱を帯びています。
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