5/4(日) 18:04配信
西日本新聞

岡山県倉敷市で住民にインタビューする高石真梨子さん(本人提供)
岡山県倉敷市の地域おこし協力隊として活動する高石真梨子さん(31)は、生まれつき難聴がある。移住促進に向けて地元の魅力を発信する傍ら、「聞こえない人」と「聞こえる人」の間にいる自分だからこそできることを模索している。
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協力隊となったのは2023年12月。ライター業に挑戦しようと都内から移り住んだ。ウオーキングイベントに映画の完成披露試写会、小学校の読書教育など市内を駆け回って取材し、ウェブメディアや交流サイト(SNS)で紹介する。
発話はできるが、補聴器で聞き取れない部分もあるため、口の動きを読み取る読唇や音声文字変換アプリ、手話でもコミュニケーションを取っている。
仙台市生まれの高石さんは、中学、高校時代を北九州市で過ごした。大学院を修了後は特別支援学校の教員となり、聴覚障害のある子どもを5年間受け持った。
自身は通常学級で学び、聞こえる友人や家族に囲まれて不自由なく成長した。「あれ? 自分は人に比べて情報の取りこぼしがあるのかもしれない」と気が付いたのは、大学に入ってからだ。
高校では数学が苦手だった。授業でノートを取っていると、いつの間にか黒板の数式が増えていく。理由が分からず、自分の理解や努力が足りないのだと思っていた。
大学で要約筆記の支援を受けて初めて、教員が板書しながら説明していると知った。それまで教員の背中を見ていたため気付かなかったのだ。この体験から、障害に配慮のある環境に身を置こうと、就職先に特別支援学校を選んだ。
だが、障害者を取り巻く状況は変化してきた。以前は限られた選択肢から進学や就職できる所を選んでいた。今は希望する学校や職場で、障害を補う支援を受けられるようになってきた。「私が挑戦すれば、子どもたちの職や住む場所の選択肢をもっと広げられる」。知人もいた倉敷市の協力隊に手を挙げた。
気になったのは、隊員の応募資格に「心身が健康」とあったことだ。採用面接で「耳の機能が欠損していますが、健康です」と強調した。
隊員となった高石さんは障害者イベントも積極的に取材し、当事者のコミュニティー内だけで共有されていた情報を外にも発信している。障害のある人とない人の「架け橋」となって、互いが交ざり合う地域づくりを目指している。
(山田育代)
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