2026.04.26
22歳女優、進行性難聴と生きる決意 「聴こえなくなったら終わり」から変わった覚悟
『岸辺露伴は動かない』『アンラッキーガール!』などの話題作に出演した俳優・坂上未優さん(22歳)は、進行性の難聴と向き合いながら活動を続けている。左耳はほとんど聴こえず、右耳の聴力も悪化しているという現実のなかで、かつては「聴こえなくなったら、役者ではいられない」と思い詰めたこともあった。それでも、障害を抱えながら芸能界で生き続けようとする彼女の決意とは……。
「補聴器をつけても改善できないタイプの難聴」
坂上未優さんが「聴こえない」ことを自覚したのは、小学3年生のときだ。学校で行なわれる聴力検査で引っかかり、大学病院を紹介された。「当時はまだ、健常者の半分くらいは聴こえていたと思います」と振り返る彼女の左耳は、現在ほぼ聴力を失っている。
純音聴力検査の結果は、オージオグラムというどの程度聴こえているかわかるグラフで表す。一般的に、平均的聴力とされるのは25dB(デジベル)以内。つまり、25dB以上の音であれば耳がキャッチすることができる。
オージオグラムによれば、坂上さんの現在の左耳は90dB程度。これは、騒々しい工場のなかや地下鉄の車内と同程度以上の音量がなければ聴こえず、重度難聴に分類される。

重度難聴と闘う現在の坂上さん(写真/本人提供)
聴こえづらさを感じ始めた小学生の頃は、友だちから「さっき呼んだのに行っちゃうんだもん」と指摘されたり、気がつけば先生に大声で「坂上さん!」と呼び止められたりするなど、明らかな異変があった。結局、大学病院で難聴であることは突き止められたが、原因はついぞわからなかった。
自らの性格を「たぶん見栄っ張りなんだと思います」と笑う坂上さんは、小学生時代、同級生の誰にも耳の聴こえづらさを告げなかった。むしろ元気に明るく、なんでもないかのように振る舞うことで、不安な気持ちを抑えていたという。
転機となったのは中学校に入学してからだ。しばらくは合唱コンクールの指揮者を務めるなど順風満帆だったが、中学1年生の秋頃に左耳が明らかに聴こえなくなった。
「何の前触れもなく、突然のことでした。それ以降、私の左耳は現在までずっとほぼ聴こえていません。病院で医師から、『補聴器をつけても改善できないタイプの難聴である』と告げられ、非常にショックを受けました。
私は小学生時代に吹奏楽部に所属してトランペットを演奏していましたし、中学生になっても指揮者を任されるなど、音楽にコミットしてきたつもりでしたが、徐々に聴力が失われていくんだと思うとやるせない気持ちになりました」(坂上未優さん、以下同)
じわじわと音のない世界へ入っていく恐怖感と、止める手立てもない無力感に坂上さんは苛まれた。それに加えて、中学生だった坂上さんを悩ませたのはひどいめまいだった。
「聴力と平衡感覚は関係しているので、突然聴力が失われたことで、常に目が回っている状態が続きました。学校に行くこともできず、肉体的にも精神的にも厳しい時間が続きました」
それでも無理をおして登校したこともあったが、教室で倒れたり、階段で落ちて軽い捻挫をしたりするなど、現実を突きつけられた。
「なんとか学校に通いたいと思ったのですが、これ以上私が倒れたりすれば学校に負担をかけてしまうと思い、一時休学することにしました」
能界入りのきっかけは、姉の何気ない誘い
休学は中学校卒業まで続いた。それまで周囲を気遣い、はつらつとした姿を見せてきた坂上さんの、初めての弱気だった。
そんな時期、坂上さんは芸能に興味を持ち始めた。発症当初に悩まされた重度のめまいは徐々に改善していったが、長く学校に通えなかったことで精神的な不調も生じていた。
「制服を着て、今日こそは学校へ行こうと思うのですが、お腹が痛くなってしまうんです。それで結局休んで……を繰り返しました。学校へ行ったとしても『どうして休んでたの?』『大丈夫?』と級友が心配してくれるのが目に浮かんで、それを重く感じてしまいました。
そんな折、芸能界に在籍していた姉から『JC(女子中学生)ミスコン』というイベントがあることを教えてもらいました」

コロナ禍では、マスクで口元の動きが読めずコミュニケーションに困難を感じたという
気晴らしに参加した坂上さんは、グランプリこそ獲れなかったが、ファイナリストに残った。以来、その縁で芸能界で仕事をするようになる。家族は彼女の決断をどうみているのか。
「当時、中学校に通いたくても通えないジレンマで無気力だった私が自分から挑戦したいと言ったのを、母は好意的に受け止めてくれました。感謝しています」
障害を抱える坂上さんの、俳優という職業に対する向き合い方は興味深い。
「片耳難聴という経験を経て、人の感情やその場の空気に敏感になったように思います。作品や役柄に対して誠実であるためには、自分の感情を大切にしながらも役として自然に存在することが必要だと考えているので、繊細な感情表現が自身の武器になればいいなと考えています。
『アンラッキーガール!』に出演したときに、周囲の雰囲気と溶け合った芝居を体感することができて、役を演じることの根本に触れた気がしました」
手話を学ぶことをためらっていたワケ
自らの生きる道を決めても、障害と縁が切れるわけではない。『南君が恋人!?』や『岸辺露伴は動かない』といった話題作に出演するようになったなか、昨年の夏に坂上さんは池袋駅の階段でバランスを崩し、病院へ運ばれてしまう。医師をして「骨折していないのが不思議なくらいの落ち方」と言わしめたひどいめまいを起こしたのだ。
以前より倒れる頻度が増えたことを自覚した彼女はすぐに検査を行い、左耳に続いて右耳の状態も悪化していることを知る。オージオグラムによると、45dB程度の音が拾えるくらいの、中等度難聴だった。
「このまま進行して右耳も聴こえなくなってしまい、やがて音を認識できなくなるのかと考えてつらい気持ちになることはあります。怖さがないといえば、嘘になります。けれども、最近は少しずつ気持ちを切り替えられるようになりました」

参拝時の様子
右耳の聴力低下を知ったことで、坂上さんは改めて「聴こえなくなる未来」と向き合わざるを得なくなった。そうした不安は、かつて彼女が手話の習得に踏み切れなかったこととも無関係ではない。
坂上さんの母親は、就労支援B型事業所を運営し、手話カフェ「上尾の魔女カフェ」も併設するなど、自身も手話に精通している。一方の坂上さんは障害がわかってからもしばらく、手話を学ぶことをためらっていたという。
「正直、手話に抵抗があった時期もありました。そんなことあるわけないのですが、『手話を覚えたら、完全に耳が聴こえなくなってしまうのではないか』なんて考えが浮かんでしまって……。
聴こえなくなったら、役者ではいられないと思っていました。けれども、ファンの方のなかに『自分も手話を覚えるから、話そう』と楽しみにしてくれている人がいて、勇気づけられました。聴こえないから終わりなんてことは、全然ないなって」
かつての坂上さんは、他人から心配される居心地の悪さを嫌い、元気な姿を見せようともがき、時間ばかりがすぎた。そんな彼女は今、こう語る。「どんな障害があったとしても、好きなことに向かっていけばいい」。
自分の人生に起こった吉凶を隔てなく伝え、生き方を見せ続けることで、その言葉を証明しようとしている。
取材・文/黒島暁生
記事のポイント!
進行性の難聴により片耳はほぼ失聴、もう一方も悪化するなかで、将来への不安や「役者を続けられないのではないか」という葛藤に直面しながらも、自身の経験を受け入れ、価値観を大きく転換していく過程が描かれています。手話への抵抗や周囲との関係性の悩みを乗り越え、「聴こえなくても終わりではない」と前を向く姿は、難聴と向き合う当事者や家族にとって大きな示唆を与える内容です。
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