77歳の現役医師・鎌田實さん実践!80歳の“認知症の壁”を超えるため、最後のチャンスである60歳から変えた生き方

77歳の現役医師・鎌田實さん実践!80歳の“認知症の壁”を超えるため、最後のチャンスである60歳から変えた生き方

鎌田實
2025年6月19日 木曜 午前7:00

「人生100年時代」と言われて久しいが、長生きするのであればなるべく健康的に生きていきたい。しかし、年齢が高くなるにつれて、厄介なことは増えていく。その一つが認知症だ。

現在77歳で現役医師でもある鎌田實さんは、認知症に気をつけるために60歳頃から意識を変えてきたというが、老化の波は押し寄せ、病気になることもしばしば…。

それでも鎌田さんいわく、「うまいように死ぬ」ためには「うまいように生きる」こと、「やりたいことを続ける」が大事とのこと。

著書『うまいように死ぬ』(扶桑社)から一部抜粋・再編集して紹介する。


80歳の壁超える60歳からの生き方

「人生100年時代」を迎えています。そんなに長く生きなくてもいいと思っている人でも長生きをしてしまう時代です。長生きすればよいという単純なものではなく、けっこう厄介な問題が横たわっています。

高齢者の認知症の発症率は80代前半で、男性が6人に1人、女性は4人に1人。つまり80歳の壁を超すと、認知症になる人が、想像以上に多くいるという現実があります。

杖を持つ女性の手元

人生100年時代はある種、困難の時代でもある(画像:イメージ)


90歳の壁を超すともっと大変です。男性は2人に1人、女性は3人に2人が認知症だと言われています。うまいように死ぬのは、けっこう大変。人生100年時代は苦難の時代と言ってもいいくらいです。

僕はいま77歳。テレビを見ていて、時々、俳優の名前や歌手の名前が出てこないなんて現象が起こり始めています。本が大好きなので、本屋さんに立ち寄ると小説のコーナーと写真集のコーナー、そして必ず詩集のある棚に行きます。

田村隆一の詩が好きで、自分が持ってない彼の詩集があると、つい買ってしまいます。我が家には僕が設計した、天井まで高く本が置ける本棚があります。

詩集のコーナーを設けていて、新しく買った彼の詩集をそこに差し込んだときにびっくり。すでにあったのに、また同じ本を買ってしまったのです。


認知症予防で60歳頃から変えた意識

認知症発症の前段階にMCI(軽度認知障害)というのがあります。自分で自分を診察しても、そこまでにはいっていないようです。

その前にSCD(主観的認知機能低下)という症状があります。これは自分では認知機能低下を認識しているけれど、日常生活上に問題はない、つまり「未病」の段階。まだ病気ではありません。

新緑の中でストレッチをする女性

認知症の予防は60歳手前ぐらいから(画像:イメージ)


認知症は、アミロイドベータというタンパク質が脳の中にたまることが関係していると言われます。40歳ないし50歳ぐらいから、これがたまりだす。そして20年後ぐらいから認知症を発症すると言われています。

僕はそうならないために、60歳頃から意識を変えて、肥満にならないこと、血圧を上げないこと、タバコを吸わないこと、好奇心をもってできるだけ感動することなどを自分自身に言い聞かせ、心がけるようにしてきました。

マイオカインという筋肉作動性物質があります。これが分泌されると血圧も血糖値も下がり、認知症リスクも低下することが、論文で発表されています。そこで僕はスクワットやカマタ式かかと落としなどで、毎日、「筋活」するようにしました。

60歳から80歳ぐらいをどう生きるかが「80歳の壁」を超えてからの生き方に影響するように思ったのです。


老化と戦える最後の分かれ道

冬になると毎日スキー場へ向かいます。ウオーキングの代わりです。滑るのは1時間。ゴンドラに乗って山頂に行き、3kmの距離を2本から3本、ノンストップで滑り降ります。ジムにも通いだし、75kgのバーベルを担いでスクワットができるようになりました。

年をとると毎年1%ずつ筋肉が減ると言われていますが、僕はわずかですが、筋肉が増えています。胸板が厚くなり、姿勢がよくなってきました。

エクササイズをする男性

70歳までが老化と戦える最後のチャンス(画像:イメージ)

 

つまり、60歳から70歳ぐらいが老化と戦える最後のチャンス、その別れ道をどう迎えるかは、60歳からの生き方で決まる。

それが80歳の壁を上手に超えるポイントになると信じています。うまいように死ぬためには、まずうまいように生きようと、毎日、ほんの少しだけ注意をするようにした。

喜劇役者の大村崑(こん)さんと一緒に本を書きました。彼は86歳で筋肉の大事さに気がつき、毎日スクワットを始めた。元気になり、仕事も増えました。手遅れはないのです。

崑ちゃんはいま93歳。舞台の仕事がいっぱいで102歳まで生きたいと言います。テレビドラマ「赤い霊柩車シリーズ」に葬儀社の専務役で自分が出演していたので、最後は赤い霊柩車で葬儀場まで行くのが彼の夢。うまいように死ぬためには、筋肉が大事と彼から学びました。

77歳は病気のデパート、でも無茶ができるときは無茶をする僕は死がいつきてもいいと思いながら生きています。でも、認知症、脳卒中、フレイル(虚弱)などで寝たきりにならないように、できる範囲のことはやろうと考えて生きています。


病気をしても好きなことを

老化の波は押し寄せてきています。病気のデパートのようなありさまです。白内障の手術をしました。車が大好きだから、いつまでも車に乗っていたい、免許証の更新をしたいという思いからです。

白内障の手術をし、友人たちと富士スピードウェイを1時間貸し切って、“自分史上最速”のスピードに挑戦をしています。

心不全のステージ分類というものがあります。4段階に分かれていて、僕は2段階目のステージB。心房細動という不整脈があり、カテーテル手術。心不全の原因となる高血圧もありました。だから塩分を控えること、野菜をしっかり食べること、体重を7kg減らしてそれ以上太らないようにすること。これによって、心不全のリスクは減りました。

睡眠時無呼吸症候群の症状もあります。寝ていると1分ほど呼吸が止まってしまうのです。かつては脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)のための腰痛症もありました。左膝十字靱帯の損傷もあります。

難聴気味で、テレビに出演したときに、やり取りの聞き落としがないように、補聴器をつけるようになりました。幸運に恵まれた健康優良児なのではありません。

70代のシニアと同じように、たくさんの病気を抱えています。それでもやりたいことを我慢せず、続けるようにしています。いつかわからないけど近々、間違いなく死がやってくる。そのときまで、無茶ができるときは無茶をすると決めています。

『うまいように死ぬ』(扶桑社)

うまいように死ぬ』(扶桑社)


鎌田實

2005年より諏訪中央病院名誉院長。チェルノブイリ原発事故後の1991年より、放射能汚染地帯へ医師団を派遣し、医薬品を支援。ウクライナ避難民支援にもいちはやく着手。 2004年からイラクの4つの小児病院へ医療支援を実施、難民キャンプに5つのプライマリ・ヘルス・ケア診療所をつくった。国内でも講演会、支援活動を行う。

1948年、東京都生まれ。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。1988年、諏訪中央病院院長に就任。2005年より同病院名誉院長。チェルノブイリ原発事故後の1991年より、放射能汚染地帯へ医師団を派遣し、医薬品を支援。ウクライナ避難民支援にもいちはやく着手。 2004年からイラクの4つの小児病院へ医療支援を実施、難民キャンプに5つのプライマリ・ヘルス・ケア診療所をつくった。

 


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