
2024.11.20 # 本
久田 かおり 書店員インフルエンサー
プロフィール
美術業界の裏側を綴った「神の値段」で第一四回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、二〇一六年にデビューした一色さゆりさんは、大学と大学院でアートを学び学芸員として働いてきた経歴を活かして、アート・ミステリーを数多く手がけていることで知られる。
最新作『音のない理髪店』は、アートを題材にしてもいなければ、「謎」が掲げられたミステリーでもない。耳が聞こえないろう者の歴史と現実を、一人の人物を軸に描き出す、多彩で多層的な人間ドラマとなっている。
今回は、久田かおりさんによる『音のない理髪店』の書評をお届けします。
『音のない理髪店』
大正時代に生まれ、幼少時にろう者になった五森正一は、日本で最初に創設された聾学校理髪科に希望を見出し、修学に励んだ。当時としては前例のない、障害者としての自立を目指して。やがて17歳で聾学校を卒業し、いくつもの困難を乗り越えて、徳島市近郊でついに自分の理髪店を開業するに至る。日中戦争がはじまった翌年のことだった。──そして現代。3年前に作家デビューした孫の五森つばめは、祖父・正一の半生を描く決意をする。ろうの祖父母と、コーダ(ろうの親を持つ子ども)の父と伯母、そしてコーダの娘である自分。3代にわたる想いをつなぐための取材がはじまった……。
「伝えたい」その気持ちを言葉にのせて
言葉でしか伝えられないことがある。でも言葉では伝えられないものもある。これは、どうやったって言葉という形にはならないものをあえて言葉で伝えようともがく一人の女性の物語だ。
耳が聞こえない世界。音のない世界。そのなかで生きている人たち。彼らが使う手話という言葉。テレビで、あるいは街中で見かける手話での会話。音のない会話であるはずなのに、それをとても賑やかだと感じたことがある。彼らはその手の動きだけではなく、表情や身体全体から言葉を発している。そこにあるのは「伝えたい」という気持ちそのもの。だからこそ、その表現の豊かさが音のない賑やかさにつながっていく。
手話は文字ひとつに対してひとつの動きで表現する場合と、ひとつの動きだけで単語や動作を表現する場合がある。けれどそれは一種類だけではないという。作中に、「水」の表現が地域や年代によって異なっているという記述があり、驚いた。共通の認識に基づいて成り立つ「手話」は実際は誰にでも通じる共通言語ではないのだ。そして耳の聞こえない人が通う学校で必ずしもその手話を習うわけではなかったということもあまり知られてはいない。その理由をこの小説で知り、日本という国の「障害者」に対する姿勢を目の当たりにして、自分のその知識の浅さに震える思いがした。
耳が聞こえないこと、障害を持っていること、その為に受けてきた差別。五森つばめの祖父母の生きてきた時代背景もあるだろう。戦争という狂気の中で「健康であること」が兵役の条件として突きつけられた時、障害を持つ人たちがどれほどひどい迫害を受けて来たか。その中で終盤明かされる一つの真実はこの小説がもたらす、小さいけれど明るい光となる。
問いを重ねるにつれて浮かび上がる数々の「溝」
健常者と障害者。それはくっきりと分かれている世界なのか。突発性難聴や骨折などで一時的に身体が不自由になることがある。その時に、世の中がどれだけ「普通の人」にだけ優しく作られているか痛感する。「私たち普通の人」に便利な世界は「普通じゃない人」を区切って切り捨てていく。でも障害のあるなしって誰がどうやって区切っているのだろう。
視覚障害は「人と物」の間を隔てる障害で、聴覚障害は「人と人」の間を隔てる障害だという。生まれたときから聞こえない人と、途中で聞こえなくなった人、そして聞こえる人。その間にある溝を超えることはできるのだろうか。そもそもその溝とはいったいなんなんだろうか。
コーダ(チルドレン・オブ・デフ・アダルト)の父を持つ作家のつばめが、日本ではじめてのろう理容師だと聞いた祖父のことを小説に書こうと奮闘する姿。それは自分自身を、自分の存在自体をバラバラに解体し、そして一から組み立てる作業でもあった。
つばめの周りにはたくさんの溝がある。父との、伯母との、そして祖母との。その溝を超えるために小説を書きたい、というその思いがどれほど傲慢であったか。それを「傲慢だ」と気付きさえしなかったつばめと一緒に、読者も打ちのめされていくだろう。
祖父のことをなぜ書くのか。何のために書くのか。その問いへの答えを求めて読者はつばめと一緒に歩き続ける。
耳の聞こえない祖父母を持つ自分、もし歯車がひとつずれていたら存在しなかったかもしれない自分、それを小説に書こうとする自分。心の奥深くまでもぐりこんで自分自身を見つめる作業は、とてつもなく苦しい。見たくないものを見る、知りたくないことを知る。そういう作業の上に、「私たちのことを知って欲しい、誰かに伝えて欲しい」という人たちの声をつばめは積み重ねていく。
祖母の語る過去の話。それを読みながら少しずつ私の肩にも力が入っていく。それは怒りから生まれたものであった。その怒りは、当時の社会に対してだけではなく自分の中にもある「差別」に向かっていることに気付く。幼いつばめが祖母に対して持っていた感情。障害を持つ人への、自分とは違う人への潜在的恐怖心。それは今、自分の中にも間違いなくある。そのことを突きつけられてひるむ自分にまた、怒りは向かっていく。
溝を埋めるために伝えあっていく「言葉」
祖父の記憶のないつばめはいろんな人から話を聞いていく。疎遠になっていた父に、伯母に。彼らは最初あまり協力的ではない。触れられたくない過去を、語りたくない経験を、悲しい思い出を護るために心を鎧で閉ざしている。伝えることを拒み、自分の中でだけ完結させてきた思い。けれどつばめに語るうちに、その鎧から彼ら自身が解放されていく。父親が語った「本当は、もっと話しかければよかった。拙い手話でもいいから、お袋や親父に」という言葉。溝は「そう簡単には超えられへんよ」と言っていた伯母の「どれほどこの時間を求めていたんやろうって思う」という変化。それは人と人との間の溝は超えられなくても言葉があればその溝はいつか埋められるんだ、という希望につながっていく。
そして疎遠になっていた祖母との再会の場面。お土産として持参したブランケットへの〈可愛いね〉という祖母の手話を見た瞬間、つばめによみがえった数々の優しい思い出たち。読みながら自分の中にも温かい風が吹きこんできた。つばめがどれほど愛されていたか、ただそばにいるだけで幸せを感じた、祖母のその優しさに一緒に包まれた気がする。
誰かに伝えたいという気持ち、伝えようとする思い、そのひとつひとつを丁寧に受け取っていく。
過去から届いた言葉にできない思いの、その向こう側から未来を照らす光を背に、私たちはこれからも歩いて行くのだろう。
一色さゆり(いっしき・さゆり)
1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒
業。香港中文大学大学院美術研究科修了。2015年、「神の値段」で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞して、翌年作家
デビューを果たす。主な著書に『ピカソになれない私たち』、『コンサバター 大英博物館の天才修復士』からつづく「コンサバター」シリーズ、『カンヴァスの恋人たち』など。近著に『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』などがある。
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