齋田 多恵
2025.10.20
テレビで見かけたタレントにゾッコン。ふつうはそこから結婚まではつながらないものです。でも、沖縄のお笑いタレント・大屋あゆみさん(41)にひと目ぼれした彼は、テレビ番組で大屋さんの彼氏募集の企画に応募。そして、思いがけない出会いから結婚へと向かう、ミラクルな話を聞きました。(全3回中の1回)
出会いはテレビ番組の「彼氏募集」企画だった
── 沖縄でお笑いタレントとして活動している大屋さん。2024年9月に結婚されましたが、きっかけはあるテレビ番組内の「大屋さんの彼氏募集中」という企画に、現在の夫が応募してきたことだったそうですね。当時の様子を教えてください。
大屋さん:2020年4月、ホテルに勤めていた夫が私の出演するテレビ番組をたまたま観たそうです。そのときに「この子いいな」とひと目ぼれしてくれたらしくて。その半年後くらいに、別のテレビ番組で「大屋さんの彼氏募集」という企画が始まりました。そのことを知った夫は「これはチャンスだ」と思い、応募してくれたんです。
「彼氏募集」の企画は、私と番組ディレクターさんとのちょっとした雑談から始まりました。私は結婚願望がもともと強く、何年も婚活をしていて。SNSでも自分の婚活事情や婚活失敗談を発信していました。 ディレクターさんがSNSを見てくれていて、「大屋は婚活してるらしいけど、最近どうなの?」と聞いてきたんです。「全然うまくいかないんですよー」と答えたところ「だったら、番組内で彼氏募集しよう!」という話になりました。

両親はろう者のため、家庭内では手話で会話していた(右が大屋さん)
── 応募してきた夫について、最初はどんなふうに感じましたか?
大屋さん:彼が送ってきたプロフィールは経歴などがていねいに書かれていて、冷やかしでないことが伝わりました。ディレクターさんからも「この人よさそうじゃない?」と勧められ、私もいいなと思っていたんです。ただ、当時はコロナ禍の真っただ中。テレビ局としては、一般の人を出演させて芸人と接触させてはいけない方針でした。夫もホテル勤務で接客業だったため、プライベートで人となるべく会ってはいけなかったそうです。
そんな状況のため、残念ながら、企画自体がなくなってしまったんです。私はその時点で「この人とは縁がなかったんだな…。この企画で誰かと出会うのはムリそう」と、残念に思っていました。でも、彼はあきらめきれなかったらしくて。翌年の1月末ごろに私のSNSにメッセージを送ってくれたんです。
デートをすっぽかされた?からの全力フォロー
── 突然メッセージが来たら、驚きが大きかったのではないでしょうか。
大屋さん:「以前、彼氏募集の企画に応募した者です」とメッセージがきたときは、アカウント名も本名ではないし、いたずらかと思いました 。でも、興味をひかれて何回かやり取りしていると、話している内容が番組に応募してきた方のプロフィールと合致することが多かったんです。本当に会いたかった本人かもしれないとだんだん思って…。メッセージで心の距離が少しずつ近づいて、2月ころに桜を見に行くことになりました。
── 当時はまだメッセージのやりとりだけでしか交流がなかったんですよね?初めて会ったときの印象はいかがでしたか?
大屋さん:それが…当日、彼は遅刻をしてきたんです。「待ち合わせ場所に着いたよ」と私がメッセージを送っても全然、既読がつかなくて。メッセージのやりとりをしていたときは誠実だと思っていたし、時間にルーズなイメージもありませんでした。だから「すっぽかされた?もしかしたら、最初からいたずらだったのかもしれない…」と、だんだん不安になってしまいました。
そんななか「すみません!」と私のほうに走ってくる人がいて。それが彼でした。待ち合わせ場所に向かう途中でスマホを忘れたことに気づき、連絡が取れないと困ると思って、急いで取りに帰ったんだそうです。一生懸命にその状況を伝えてくれたことで逆に好印象を抱きました。その後、何度か会い、5回目のデートでつき合うことになったんです。

大屋さんが座長を務める「劇団アラマンダ」
── 彼のどんなところに惹かれましたか?
大屋さん:優しくて誠実なのはもちろんですが、人と接するときに、偏見をもたないところが素敵だと思いました。夫は熊本出身で、私と出会ったときは沖縄に転勤してきたばかりでした。だから「沖縄に来て日は浅いけど、友だちはいる?休みの日は何をしているの?」と聞くと、「本土に住んでいる時に知り合った友だちが沖縄にいるから、よく一緒に遊んでいる」と教えてくれました。その友だちは障がいがあって、体にまひがあるそうなんです。車いすに乗っていて、食事もトイレも介助が必要とのことでした。
「一緒に食事に行ったとき、介助はどうしているの?」と聞くと、「自分が隣でご飯を食べるときや、お酒を飲む際はストローで飲むのを手伝うなど、トイレも連れて行くよ」とごくふつうに、気負うことなく話してくれました。お店を選ぶときも事前にバリアフリーなのか調べて、店員さんにも車いすユーザーが行くと伝えているそう。特別なことをしている風ではなく、彼にとっては、ごく自然なふるまいなのが伝わってきました。それが私にとっては衝撃的でした。
私は周囲に車いすユーザーがいません。だからもし近くに車いすに乗っていて、介助が必要な人がいたら、どう接したらいいのかわからないと感じていました。でも、そういったぎこちなさが、障がいのある人との間に距離を作ってしまうのかなとも思ってました。
── たしかに、これまで接したことがないと身構えてしまいがちです。
大屋さん:彼は先入観なく、相手のありのままを見ることができる人です。聞けば、彼の祖母は戦争のときに爆撃にあい、耳が聞こえなくなってしまったそうで。車いすにも乗っていて、子ども時代は一緒に過ごしていたとのことでした。大好きなおばあちゃんのお手伝いをした経験が、彼の温かい人柄をつちかったのかもしれません。だんだん惹かれるようになって、「この人だったら、両親に紹介しても大丈夫かもしれない」と思いました。
耳が聞こえない両親に彼が寄り添ってくれた
──「紹介しても大丈夫かも」と考えるのは、ご両親に合わせるのに何かためらう理由があったのでしょうか?
大屋さん:私の両親は耳が聞こえないんです。だから実家では手話で話をしていました。20代のころ、私には結婚を考えている彼氏がいたのですが、その人の祖母に「ご両親の耳が聞こえないなら、結婚は絶対ダメ」と、猛反対されたことがありました。それまでは、両親ががろう者であること、結婚に影響するとは想像もしていなくて。でも、気にする人はいるんだなと学びました。だから婚活をしていても、「相手にどう伝えたらいいんだろう」というのはいつも考えていました。
私は両親のことをSNSで公開していました。手話を身近に感じてもらおうと 、いろいろ発信していたんです。彼はそれを見てくれていて、自分のおばあちゃんの耳が聞こえないことや、彼自身が手話に興味があることを伝えてくれました。それで「この人だったら大丈夫」と思えたんです。ところが、両親に「結婚を考えている人がいる」と伝えたところ、母から猛反対されてしまいました。
── 反対の理由はなんだったのでしょうか?
大屋さん:彼が熊本出身だったことが理由です。いずれ彼が本土に戻ったとき、結婚して私も一緒についていくことになったら、両親とは離れて暮らすことになります。私が遠い土地に住むことがすごく心配だったみたいです。ちょうどそのころ、彼に転勤話が持ち上がりました。そのため、彼は私との将来を考え、勤め先を辞めて沖縄の企業に転職してくれたんです。その覚悟が私はとてもうれしかったです。母も、彼のその姿勢を知って、気持ちが少しずつほどけ、結婚を承諾してくれ、2024年9月に入籍しました。
── 結婚後、ご両親と夫さんとの関係はいかがですか?
大屋さん:私の両親の第一言語は手話言語。音声言語の日本語は不得意です。だから夫とも、最初のうちはコミュニケーションに苦労していました。手話言語と音声言語の日本語って、まったく違う「言語」なんです。健聴者の場合、日本語が話せても手話は勉強しないと理解できないじゃないですか。それと同じようにろう者も、音声言語の日本語が理解できていないと、わからない場合があります。とくに両親の世代だと、日本手話しかわからないろう者もけっこう多くて。
だから、結婚当初は夫の口の動きを両親が読み取ったり、簡単な話は筆談で行ったりしていました。夫は今、一生懸命手話を勉強しています。最近では父と夫のふたりで出かけることも多くて、気持ちが通じているみたいです。
私自身は、結婚してもとくに大きな変化は感じません。それって彼と一緒にいるとムリをしないで、ありのままの自分を出せることだと思います。これだけ自然体でいられるパートナーに出会えて、本当によかったです。
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耳が聞こえない両親のもとで育ち、3歳から手話で両親をサポートしてきた大屋さん。思春期には周囲の目を意識し、手話が恥ずかしいと思ったこともあったそうです。でも、そうした経験を乗り越えたいまでは、健聴者とろう者をつなぐ役割がしたいと願っているそう。自身が立ち上げた「劇団アラマンダ」では、手話とお笑いを融合させた活動を続けています。
取材・文/齋田多恵 写真提供/大屋あゆみ
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