2025年2月27日(木) 19:03
国内

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から3年。停戦の行方はいまだ不透明で、来日したウクライナ人は、「避難」から「定住」に移行するかどうか難しい選択を迫られています。こうした中、大分県別府市に避難している聴覚障害の男性が日本での定住を決断しました。
妻との再会、言語の壁を越えて
ウクライナ出身のコバレンコ・バーディムさん(53)は、2022年9月に日本へ避難し、別府市の「太陽の家」に身を寄せています。幼い頃から聴覚障害があり、異国での慣れない生活の中で日本の手話を勉強。いまでは日常的にコミュニケーションが取れるようになりました。

コバレンコさん:
「初めて来たときは心配で、コミュニケーションや仕事が心配だったけど、今は慣れました。遊びに誘ってもらえたり、電車を使っていろんなところに行けたりしています」
かつてコバレンコさんは、首都キーウから南西に260キロ離れたヴィーンヌイツャ市で暮らしていました。来日した当時、ロシアによる侵攻で爆撃に怯える日々が続いたと語っていました。
コバレンコさん:
「音は聞こえないけど、心臓まで爆発の振動が響きました。気付いて外を見たら煙が上がっていたので急いで逃げました」
現在、コバレンコさんは「太陽の家」でオムロン製品の組み立てや出荷作業を担っています。勉強熱心で仕事の覚えが早く、上司から欠かせない存在と評価されています。

太陽の家 安部政弘さん:
「聴覚障害と外国人ということで言葉の壁はあるけど、耳が聴こえない分、周りの人がやっていることを目から吸収する能力は非常に高い」
コバレンコさんが来日してから約8か月後。ウクライナからポーランドに避難していた妻のアンナさんも「太陽の家」での受け入れが決まり、再会を果たしました。

アンナさん:
「ウクライナではストレスを感じていたけど、今はすごく安心しています」
アンナさんも聴覚障害があり、今は夫と同じ職場で働いています。
コバレンコさん:
「アンナさんと料理を作ったり、コミュニケーションを取ったり楽しんでいます。いろんなところに友達がいて一緒に遊んで楽しく過ごしています」
定住を決断、講演活動スタート
2人の楽しみのひとつは、アンナさんが掛け持ちで働く近くのスーパーでの買い物です。また、魚釣りが趣味のコバレンコさんは、寿司や刺身が好物だといいます。

周りのサポートを受けながら新しい生活を築いてきたコバレンコさん。母国への思いを抱えながらも、日本に定住することを決断しました。
コバレンコさん:
「文化や自然が豊かで、大好きな海も近くにあり、とても暮らしやすい。戦争が起きて人が倒れて心配だけれど、早く終わってほしいと思っている。ウクライナにも行きたいけど、友達や家族を日本に呼んで一緒に過ごしたい」
しかし、いま最も心配しているのは3人の子どものことです。このうち2人はポーランドにいますが、長男は徴兵され、2か月間連絡が取れていないといいます。
様々な不安を抱えながらも、コバレンコさんは去年から講演活動も始めました。耳の不自由な人に向けて、自身の体験談や戦争の悲惨さについて語っています。

コバレンコ:
「聴覚障害者の方は話を聞くのが好きで、ウクライナのことを聞きたいと思っている。日本で安心して暮らせていることを伝えています」
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から3年。コバレンコさんは母国に思いを馳せながら前を向き、温かく迎えてくれた人たちのいる別府の地で生きていく決意です。
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