日本勢のメダル量産に期待 「デフリンピック」11月に日本初開催 21競技に選手約3千人

日本勢のメダル量産に期待 「デフリンピック」11月に日本初開催 21競技に選手約3千人

2025/1/2 08:00
久保 まりな 石原 颯 スポーツ|パラスポーツ

世界新記録での金メダル獲得を目指す茨隆太郎(岸田修氏撮影)
世界新記録での金メダル獲得を目指す茨隆太郎(岸田修氏撮影)

聴覚障害者の国際スポーツ大会「デフリンピック」が今年11月、日本で初開催される。「ろう者の五輪」とも呼ばれ、原則4年に1度の大会。同月15~26日の12日間、東京都を中心に21競技が実施され、70~80カ国・地域から選手約3千人の参加が見込まれる。

デフリンピックは、一般的な話し声の大きさとされる55デシベルを超える音が聞こえない選手が出場する。大会名は、英語で「耳が聞こえない」を意味する「デフ」と「オリンピック」をかけ合わせた造語だ。

歴史はパラリンピックよりも古い。夏季大会は1924年にパリで第1回が開かれ、今回が25回目となる。陸上や水泳では、号砲とともにランプの点灯でスタートのタイミングを知らせる。サッカーでは、主審が旗を振ったり手を上げたりして合図するなど、目で見て分かるような工夫が施される。

日本勢は、2022年の前回カシアスドスル(ブラジル)大会で金12個を含む計30個のメダルを獲得、ともに史上最高の成績を挙げた。一方、認知度の低さが課題で、日本財団パラスポーツサポートセンターが21年に行った調査によると、パラリンピックが97・9%だったのに対し、デフリンピックは16・3%にとどまっている。自国開催を契機に、認知度向上や、聴覚障害者への理解促進を狙う。

今大会は2大会ぶりの金メダルを目指すバレーボール女子のほか、競泳や空手、陸上などでメダル獲得が期待される。ともにデフリンピック4大会に出場し、メダルを〝量産〟している競泳の茨隆太郎(SMBC日興証券)と卓球の亀沢理穂(住友電設)が、それぞれ意気込みを語った。


競泳 茨隆太郎

これまでの4大会のデフリンピックで獲得したメダルは、金5個を含む計19個。デフ水泳の第一人者の茨は、東京での大舞台へ、「30年間の積み重ねを皆さんに見てもらえるいい機会。世界記録を出して金メダルを取りたい」と意気込む。

「デフリンピック」の手話でポーズをとる茨=東京都中央区(鴨川一也撮影)
「デフリンピック」の手話でポーズをとる茨=東京都中央区(鴨川一也撮影)

先天性の感音性難聴で、生まれつき聞こえない。体を強くしようとの母親の勧めで、3歳から水泳を始めた。いろいろなものが視界に入る陸上と異なり、水泳は「自分の世界に入って、無の状態になれる。記録を超えられたときに達成感がある」と魅力を語る。小学6年生のとき、デフリンピックの存在を初めて知り、「金メダルを取りたいという夢ができた」。闘争心に火が付き、本格的に世界を見据えた戦いがスタートした。

15歳で初出場した2009年の台北大会は、決勝進出を目標にしていた200メートル背泳ぎで金メダルを獲得し、「今までにない力を発揮できた」と、極度の集中状態〝ゾーン〟を経験。力を出し切り、再びゾーンに入りたいとの思いが、競技を続ける原動力という。


前回の22年カシアスドスル大会後は、引退するつもりで練習をしていなかったが、同年9月に東京での開催が決まり、「選手で参加したい」と翻意。翌日から再び泳ぎ始めた。

集大成と位置付ける東京大会は、200メートルと400メートルの個人メドレーでの頂点を目標に掲げる。「今までお世話になった人たちに、日本で恩返しをしたい。結果を皆さんに見せたい気持ちが大きい」と力を込めた。(久保まりな)

いばら・りゅうたろう 1994年、東京都出身。東海大大学院修了後、SMBC日興証券に入社。もともと背泳ぎを本職としていたが、大学入学後に個人メドレーに転向した。現在は各地で講演活動を行うほか、東海大で一般の学生らとともに練習に励んでいる。


卓球 亀澤理穂


初の金メダル獲得を目指し、練習に打ち込む亀沢理穂=東京都板橋区(鴨川一也撮影)
初の金メダル獲得を目指し、練習に打ち込む亀沢理穂=東京都板橋区(鴨川一也撮影)

デフ卓球の亀沢は並々ならぬ決意で東京大会を迎える。「金メダルを取ること。もうそれだけ、それしかないです」。過去4大会で計8個のメダルを獲得するも、いまだ届いていない頂点を見据える。

ラケットを握るのは自然なことだった。両親が実業団選手。小学1年生のころ、3歳上の兄とともに卓球クラブの門をたたいた。先天的の難聴を抱えていた亀沢は、補聴器をつけて聴者に交じって練習し、団体で全国大会にも出場した。

デフ卓球との出会いは中学校1年生。デフリンピックを制した選手の講演を聞き、「私も(デフリンピックに)参加したい」と決意した。

過去のデフリンピックで獲得したメダルを手に撮影に応じる亀澤(鴨川一也撮影)
過去のデフリンピックで獲得したメダルを手に撮影に応じる亀澤(鴨川一也撮影)

しかし、試合中の補聴器使用が禁止されるデフ卓球は想像以上に難しかった。「ボールに全く当たらない…」。補聴器をつければ、健常者のように打球の強弱までは聞き分けられないものの、打球音自体は聞き取れた。目で見た情報だけではなく、音に体が反応していたことに気づいた。

以来、練習ではまず補聴器をつけてテンポを体に染み込ませてから、無音の世界で打ち合うようになった。微調整が必要な技術練習は補聴器をつけて効率を高める。音と付き合いながら、世界トップレベルの実力を手にした。

デフスポーツは「パラリンピックに含まれていると思っている人も多い」というのが実情。「聴覚障害やデフスポーツを理解してもらえるいい機会になる。頑張らないとという気持ちです」と朗らかな笑顔を見せた。(石原颯)


かめざわ・りほ 1990年、東京都出身。卓球の強豪・東京富士大卒業後、大手化学メーカーに就職。2022年に競技により打ち込めるよう、パラアスリート雇用で現所属の住友電設に入社した。現在5歳の娘を持つ、ママアスリート。


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