笑顔の裏に負けん気の強さ デフ五輪・テコンドー初代表の星野萌選手

笑顔の裏に負けん気の強さ デフ五輪・テコンドー初代表の星野萌選手

床並浩一2025年11月14日 11時15分

星野萌選手=本人提供

星野萌選手=本人提供

 15日に開幕する聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」で、茨城県阿見町出身の星野萌選手(21)=県聴覚障害者協会=がテコンドーに出場する。一時は競技から離れたが、導かれるように日本代表の座を射止めた同競技初の選手だ。

 筑波技術大学(つくば市)で学ぶ星野さんがテコンドーに出合ったのは小学5年生のとき。俊敏な動きや頭の高さを超える切れのある蹴り技に「格好いい」と魅了された。組手(キョルギ)も好きだが、演武を通じて自らに向き合う型(プムセ)の奥深さに傾倒。黒帯を締めるまでに成長した。

 耳が聞こえにくく、子どものころから補聴器をつけて生活してきた。「(同じ障害の)仲間とかかわることもなく、いつも孤独を感じていた。声をかけてくれる人がいなかった」

 進学した水戸聾学校高等部では近くに道場がなく、競技から気持ちも足も遠のいた。聴覚と視覚の障害者を専門に受け入れる筑波技術大に進学後、日本初開催となるデフリンピックでテコンドーが競技として採用されていることを知った。

 「世界の仲間と同じ舞台でチャレンジしたい」。一念発起し、練習を再開した。昨年6月には国内にデフリンピック選手がいない競技でのトライアウトに参加し、その後の選考で代表に選ばれた。

 柔軟性や体幹の強さを生かした技の精度が高く、デフ選手の日本選手権で連覇を果たすなど第一人者に成長。テコンドー競技で初の日本代表選手として、ただ1人出場を果たす。

 「代表」の肩書が重荷に感じることもあったが、競技指導者だけでなく、大学の教員や同じ障害に向き合い、互いに高め合う学生仲間に支えられた。稽古に励みながら、昨年の学園祭では実行委員長の大役を務めた。大会の関連イベントにも参加し、障害者理解の促進を訴える活動にも尽力した。

 「周囲から一歩前に踏み出す勇気をもらった。恩返ししたい」。いまでは強くそう思う。

 テコンドー競技のうち出場種目のプムセは大会終盤の22日に行われる。仲間の応援を力に変え、格上の選手と競い合う。競技の魅力だけでなく、デフアスリートの一人として夢に向かって踏み出す勇気の大切さを伝えていきたいと考えている。

 「デフリンピックに出場できるのはみなさんが励ましてくれたおかげ。恩返しの気持ちも込め、最高のパフォーマンスで期待に応えたい」

 笑顔の裏に負けん気の強さをのぞかせた。


リンク先は朝日新聞というサイトの記事になります。


 

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