スポーツ 暮らし 2025.11.04
滝口 隆司 【Profile】

聴覚障害者による国際競技大会「デフリンピック」が11月15日から12日間、東京都を主舞台に開かれる。2021年東京パラリンピック以降、国内では障害者スポーツへの関心が高まっている。スポーツ庁の新長官にはパラリンピックの競泳金メダリスト・河合純一氏が就任。大会は共生社会の意義を考える機会にもなりそうだ。
「東京」は100周年のメモリアル
大会名称は、聴覚に障害のある人を意味する英語、デフ(deaf)とオリンピック(olympic)を掛け合わせた造語だ。国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催し、日本で初開催となる東京大会には、70~80カ国・地域から選手3000人を含む約6000人の関係者が集まる。
東京大会は1924年の第1回パリ大会から100周年の節目の大会になる。第二次世界大戦で負傷した兵士のリハビリを発祥とするパラリンピックよりも歴史は古い。1949年からは冬季大会も始まり、五輪と同様、原則4年に1度、夏と冬の大会がそれぞれ開催されている。
東京大会では、▽デフスポーツの魅力や価値を伝え、人々や社会とつなぐ▽世界に、そして未来につながる大会へ▽誰もが個性を生かし力を発揮できる共生社会の実現─の3点を「大会ビジョン」に掲げる。4年前の東京パラリンピックで広がった障害者スポーツへの理解や障害者のためのインフラ整備をレガシー(遺産)として、共生社会への認識をさらに高めることが目的だ。
「誰一人取り残さない社会や世界を目指し、言語やコミュニケーションのバリアをなくす。障害のある人も、ない人も心豊かに生活できる共生社会を実現したい」と手話で言葉に力を込めるのは、全日本ろうあ連盟の石橋大吾理事長だ。

デフリンピック東京大会の記者会見でポーズを取る(左から)日本選手団の太田陽介団長、旗手を務めるサッカー男子主将の松元卓巳選手と空手女子の小倉涼選手、全日本ろうあ連盟の石橋大吾理事長=2025年10月16日、東京都内(時事)
目から入る情報を頼りに競う
大会の参加条件は、(1)補聴器や人工内耳を外した状態で、聞こえる一番小さな音が55デシベル以上(2)各国の「ろう者スポーツ協会」に登録され、記録や順位などの条件を満たす選手─となっている。競技の公平性を保つため、試合では補聴器や人工内耳の使用は認められていない。
今大会は、陸上、水泳、テニス、卓球、柔道、空手、バレーボール、バスケットボールなど21競技が実施される。東京体育館や駒沢オリンピック公園総合運動場、東京アクアティクスセンターなどが競技会場となり、東京都以外では福島県のJヴィレッジでサッカー、静岡県の日本サイクルスポーツセンターで自転車競技が実施される。

東京都提供
各競技のルールは基本的に健常者のスポーツと同じだ。ただ、デフアスリートは耳からの情報が入ってこないため、視覚的な「情報保障」を頼りに競技が行われる。
陸上や水泳では「スタートランプ」を光らせて選手にタイミングを知らせる。空手でも反則やポイント獲得の際にランプが点灯する。サッカーでは審判が笛を吹くだけでなく、旗を上げて選手に判定を告げる。バレーボールで選手がネットに触れた場合は、審判がネットを大きく揺らせて合図を送る。こうした工夫が各競技の随所に施されている。
選手同士も声によるコミュニケーションが難しいため、団体球技ではアイコンタクトや手話で合図を交わす。陸上などの個人競技では、競技会場の大型スクリーンを見ながら他選手との駆け引きをすることもある。
今回が3度目のデフリンピックとなる陸上女子中距離の岡田海緒(みお)選手は「聞こえる人の大会に出たこともあるが、耳から情報が入らず苦労が多かった。手話通訳やモニター画面があって情報が『見える化』されれば、日常生活も暮らしやすい世の中になる」と強調する。
一方、聞こえないことを「武器」ととらえる選手もいる。陸上男子円盤投げの湯上剛輝(まさてる)選手は「競技の時は人工内耳を外すので何も聞こえない。雑音が取り払われ、集中しやすくなる」と語る。湯上選手は健常者と戦う競技でもトップレベルにあり、日本記録保持者として9月の世界陸上選手権にも出場した。その際、国立競技場のスタンドから送られた「サインエール」に胸を打たれたという。
声援ではなく、手話の「サインエール」
サインエールは、視覚に訴える新しい応援の形だ。「もっと応援を感じ取れたら力になる」「声援はうれしいが、声や拍手はあまり伝わらない」といったデフアスリートらの声をきっかけに、東京都と、文化・芸術の世界で活躍する日本の聴覚障害者らが作った。
手話では、両手を上げ、顔の横で手首を回転させる動作で「拍手」を表す。応援の際にもよく使われるが、今大会に向けてはこうした手話の拍手の動きなどをベースに、「行け」「大丈夫 勝つ!」「日本 メダル つかみ取れ!」の3種類を発案し、小学校などで普及活動を進めてきた。(※1)
障害の有無に関わらず、大会を「みんなで創る」というコンセプトの下に推進されている取り組みだ。

デフリンピック1カ月前イベントで行われた小学生向けのサインエールの練習(nippon.com 松本創一撮影)
五輪と同じ組織委員会が運営するパラリンピックの盛り上がりに比べ、デフリンピックへの一般の関心はまだ低い。今大会の運営に当たる全日本ろうあ連盟と東京都では、各地を巡るキャラバン活動やイベント開催を通じて、デフリンピック、デフスポーツの全国的なPRに努めている。PRイベントでは、このサインエールの普及も進められている。
開催基本計画によると、大会経費は130億円が見込まれている。そのうち、東京都が100億円、国が20億円を出資し、残り10億円を協賛金や寄付で賄う方針だ。決して知名度が高い大会でないにもかかわらず、10月末の段階で130を超える企業・団体が協賛契約を結んでいる。社会全体で障害者スポーツ全般への理解が進んでいることの表れだろう。
東京都ではバリアフリーの環境を整える「だれでも東京」という事業を進めている。パラリンピックに続き、デフリンピックを都内のバリアフリー化を進めるきっかけにもしてきた。聴覚障害者向けには、タッチパネルで文字情報を伝える透明ディスプレイやドアベルの音などを光で知らせるフラッシュベルの設置、手話通訳を利用できるビデオ通話アプリの開発などを進め、「ユニバーサル・コミュニケーション技術」の社会的な定着を目指している。
スポーツ庁長官にパラ競泳の金メダリスト
10月からはスポーツ庁長官に元パラリンピックの競泳金メダリスト、河合純一氏が就任した。視覚障害者である河合氏は競泳の選手として、17歳の時、1992年のバルセロナ・パラリンピックに初出場。以来、2012年のロンドン大会まで6大会連続出場を果たし、金メダル5個を含む計21個のメダルを獲得したパラアスリートである。
日本ではかつて、健常者のスポーツは文部科学省、障害者スポーツは厚生労働省というように管轄する省庁は分かれていた。
しかし、11年に施行されたスポーツ基本法に「障害者の自主的かつ積極的なスポーツを推進する」との理念が掲げられ、障害者スポーツは福祉としての意味合いが薄れた。その3年後には管轄が厚労省から文科省に移り、現在は15年創設のスポーツ庁の下で行政が進められている。それから10年がたち、鈴木大地氏、室伏広治氏という五輪金メダリストの後を継いで河合氏が第3代の長官に就任した。
河合氏は「私がスポーツ庁長官になることは、スポーツを通じてインクルーシブ(包括的)な社会を作っていこう、共生社会をつくっていこうという大きなメッセージになると思う。スポーツの価値をより高めることに真剣に取り組んでいきたい」と話す。デフリンピック開幕を控えた10月下旬には、東京都の小池百合子都知事を訪ね、「国としても素晴らしい大会にできるように取り組んでいく役割がある」と支援を約束した。

小池百合子都知事(右)と握手するスポーツ庁の河合純一長官=2025年10月24日、東京都庁(時事)
オリ・パラと同じ公式ユニホームを着用
今回の日本選手団は、パリ五輪・パラリンピックの日本代表と同じデザインの公式ユニホームを着用する。日本記者クラブで行われた記者会見で、選手団の旗手を務めるサッカー男子の松元卓巳選手は今大会に懸ける思いをこう語った。
「同じユニホームを着られることの意味を考え、ろう者が作り上げてきた歴史も背負いながら、新しい時代を作っていくという思いで大会に臨みたい。たくさんの方に注目していただき、大会が終わった後も熱が冷めないよう、子どもたちや仲間たちの環境を変えられるよう、活動を続けることが大事だと思う」
2022年ブラジル大会では、金12個を含む過去最高の30個のメダルを獲得した「チーム・ジャパン」。地元の観客から送られるサインエールを追い風に、大舞台でのさらなる活躍が期待される。会見に同席した空手女子の小倉涼選手は主催者の求めに応じ、色紙に「雨垂れ 石を穿(うが)つ」と記した。雨の滴がいつか石に穴を開けるように、小さな努力の積み重ねが大きな結果に結びつく。共生社会の実現にも通じる言葉かもしれない。
バナー写真:デフリンピック東京大会の開幕1カ月前イベントで、大会をPRするデフリンピック陸上中距離の岡田海緒選手(左端)と同陸上円盤投げの湯上剛輝選手(左から2人目)。世界陸上出場の豊田兼選手(右端)は応援のため参加した=2025年10月15日、東京都内(nippon.com 松本創一撮影)
(※1) ^ TOKYO FORWARD 2025「サインエール」
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スポーツジャーナリスト。1967年大阪府生まれ。90年に毎日新聞社に入社し、運動部記者として、4度の五輪のほか、野球、サッカー、ラグビー、大相撲などを幅広く取材。新聞での長期連載「五輪の哲人 大島鎌吉物語」で2014年度のミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞した。その後、大阪本社運動部長や論説委員(スポーツ社説担当)を経て25年独立。立教大学では兼任講師として「スポーツとメディア」の講義を担当している。著書に『情報爆発時代のスポーツメディア―報道の歴史から解く未来像』『スポーツ報道論 新聞記者が問うメディアの視点』(ともに創文企画)がある。
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