
怒りの訴え
小林さんは1960年に妻・喜美子さんと結婚。ほどなく妊娠がわかり、「男の子かな、女の子かな。どっちでもいいな」と期待を膨らませた。しかし、家族から「赤ちゃんが腐っている」と突然言われ、喜美子さんは連れて行かれた病院で中絶手術を受けた。その後、2人は子どもを望み続けたが、ついに授かることはなかった。

旧優生保護法に基づく強制不妊手術の問題が盛んに報じられたのは2018年1月以降のこと。小林さん夫婦も知らないうちに手術されたことを疑い、「絶対に許されない」と怒りを覚えた。全国で訴訟の動きがあり、小林さん夫婦は「強制手術が行われていたことを多くの人に知ってほしい」として、18年9月に実名を公表した上で、国に損害賠償を求める訴えを神戸地裁に起こした。
1時間6分の作品では、こうした苦悩の日々を描いた。夫婦の若い頃を再現した場面のほか、小林さんも本人役で出演。職場で暴力やいじめを受けても、「耳が聞こえる人にかわいがってもらえるように」と教えられたため、我慢し続けたつらい体験を手話で証言している。他の被害者もそれぞれの経験を紹介している。
支援者らでつくる制作委員会が募金などで撮影や編集の費用を捻出。制作委員会委員長で、自身も聴覚に障害がある大矢 暹すすむ さんは「長年の沈黙を破って立ち上がった被害者の人生と証言を紹介することで、今も差別を恐れて訴えられずにいる人たちに『声を上げるのは当たり前のこと』とわかってほしい」と強調する。
「赤ちゃん返して」
小林さん夫婦の訴訟は21年8月の1審判決で、手術があったことは認める一方、時間の経過で賠償請求権は消滅したとして訴えを棄却。23年3月の2審では国に賠償を命じる判決が出たが、国が上告している。
「元の体に戻して、赤ちゃんを返して」と訴え続けながら喜美子さんは勝訴を見届けないまま22年に89歳で亡くなった。小林さんは「聞こえないことで不平等な扱いを受け、辛抱と諦めの連続だった。苦しめられてきた経験を映画を通じて伝えたい」と訴える。
作品は4日に神戸市で公開されて以降、各地で上映会が開催されている。26日には広島市、6月1日に名古屋市、29日に東京都大田区で予定されている。
◆旧優生保護法= 1948年に「不良子孫の出生防止」を目的に制定され、96年に母体保護法に改正されるまで、全国で約2万5000人の障害者らが不妊手術を受けた。弁護団によると、障害者らが国に損害賠償を求めた訴訟は2018年以降、全国12地裁・支部に起こされた。このうち高裁で原告が勝訴した4件(大阪2件、東京、札幌)と国が勝訴した1件(仙台)について、最高裁大法廷に回付されており、今夏にも統一判断が示される見通し。
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