大塚 玲子 : ノンフィクションライター
2024/07/30 9:00

耳が聞こえない、または聞こえづらい親のもとに育つ子どもたち、「CODA(コーダ)」。
一昨年、アカデミー賞などを受賞した映画『Coda コーダ あいのうた』で、その言葉を初めて知ったという人も多いでしょう。ろう者の世界と聴者の世界の両方に身をおくコーダは、幼い頃からちょっと特有な経験をしています。
今回お話を聞かせてもらった梨奈さん(仮名)は、都内に住む高校生。取材応募フォームを通じて「私はコーダです」と連絡をくれたのですが、メッセージを読むと、記事にしてほしい気持ちと、してほしくない気持ちが両方あるようです。
そこでまずはお話を聞かせてもらって、それから原稿にするかどうか相談しましょうか、ということに。6月の平日の午後、学校帰りの梨奈さんを待っていると、制服姿の女の子が小走りで現れました。ちょっと緊張気味の笑顔です。
さて、梨奈さんには今、どんな思いがあるのでしょうか。
親子でも「伝わっているのかな」と感じるときがある
梨奈さんは3人きょうだいの真ん中で、ろう者の両親と5人で暮らしています。親との会話は基本、手話。親子なら話は通じるよね、と漠然と思っていましたが、きょうだいのなかでも親とのコミュニケーションの仕方には違いがあるようです。
「うちの場合は姉が特に手話が上手で、(生まれ順が)下がっていく順に下手になっていく(笑)。弟のはときどき、私や姉には読み取れないんですよ。親には伝わってるみたいだけど、数年前に『なんて言ったの?』って聞いたら、親も『よくわかんない』って言ってたこともあって。いちいち聞くのも面倒なので、流している部分もあるんですよね」
聞けば、コーダのなかには親とのコミュニケーションは「口話(口の動きを読み取る)だけ」とか「筆談だけ」という人もよくいるのだそう。そういえば、筆者の知り合いでも、手話は使わず口話のみで会話している、ろうのお母さんがいます。
いろんな親子がいるのでしょう。「親が子どもたちにどれくらい通訳を頼っているか、子どもが親をどれだけ助けたがっているか」といったことも、家庭によってかなり度合いが異なるのだそうですが、梨奈さんの親はあまり子どもに頼らないほうだといいます。
最近は学校で「三者面談」があったのですが、梨奈さんのときは両親と手話通訳が同席したため「五者面談」となり、面談室がいっぱいになったとか。大人が多くて「圧迫感」があり、思っていることを素直に話しづらかったといいます。
また、「総合型選抜(旧AO入試)」や「志望理由書」など、大学受験に特有の言葉や概念は、通訳の人がいてもなかなか両親に伝わらず、面談が長引いてしまったそう。
聴者である筆者でも、子どもの受験のときは、最新の入試の仕組みや用語を理解するのには一苦労でした。日本語と異なる手話という言語でそれを伝えるのは、なかなか大変なことだろうと想像します。
梨奈さんも勉強で忙しいときなどは余裕がなくなって、「伝わらないなら、もういっか」と諦めてしまうこともあるのだそう。「反抗期がちょっと遅くて、今」なこともあり、最近は親との会話がちょっと減っているといいます。
でも、勉強を頑張っていることなどを親にわかってほしい気持ちもあり、もどかしさも募っているようです。
「私が(手話で)しゃべってることが全部伝わってるのかも、よくわからなくて。弟にしているみたいに、私に対してもわからないまま流してる部分があるんじゃないかな?って」
聴者の親子でもコミュニケーション不足はよくありますが、常に「伝わっているのかな?」という心もとなさがあるのは、コーダ特有のところなのでしょう。
ある授業をきっかけに親のことを話せるように
親がろう者であることや、人前で手話で話すことについて、梨奈さんはこれまでいろんな思いを抱いてきました。
小学生の頃、友達が家に遊びにきたときに親から「一人ひとり紹介して」と頼まれたときは、手話で名前を伝えたものの、「友達がすごく珍しそうに見てくる」のがイヤだったそう。「どうして友達の前で手話をさせるんだろう?」と感じたといいます。
中学生の頃も「知られたくない」という思いが強かったと振り返ります。
「人に言うこともなかったです。やっぱり親が障害者だからというので変な目を向けられたくなかった、というのがあって。親のことは好きなんだけれど、親が聞こえないことが、イヤだった」
そんな気持ちが変わり始めたのは、高校生になってからでした。梨奈さんが通う高校では、生徒が自分でテーマを設定して探究する授業があるのですが、そこで彼女はろう学校との交流会を企画したのです。これが、大きなステップになりました。
「そのとき同じグループのみんなに『自分の親がこうだから、こういう活動をしているんだ』ってことを言わなきゃいけなくて。そこが結構、私にとっては大きな壁だったんです。みんなの前でちゃんと正式にそれを言うっていうのは、やったことがなかった。でもそれができて、すごく大きな壁を乗り越えたなって」
以来、梨奈さんは親がろう者であることを友達の前でオープンに話せるようになり、気持ちがちょっと楽になったそう。ただし、友達から「特別な目」で見られたくないという思いは、今も変わりません。
「『なんか手話やってよ』って言われるのは、ふつうに気まずいんですよ。帰国子女に『なんか英語しゃべって』って言ってもしゃべってくれないのと同じで、やっても(相手には意味が)わからないし。私にとっては親だから、障害者ってとても身近で、特別な存在じゃない。それをあえて特別視する感覚っていうのがイヤで」
といっても、人前で手話をするのが全部イヤ、というわけでもないのです。
「手話って離れていてもできるんですね。だから授業参観のとき、私が教室にいて、親が廊下にいたときも、話ができて。それを見たみんなが『すごいね、かっこいいね』と言ってくれたのは、うれしかった。すごく受け入れてくれてるなって」
「特別な目」で見られることが、梨奈さんにとっては不快なのでしょう。友達は本当に「かっこいい」と思って彼女に手話を頼んだのでしょうが、でもそれは、梨奈さんにとっては、ちょっとモヤッとすることだったのでした。
「親がろうなんだよね」と言っても何の問題もない世界がいい
最近梨奈さんは、考えさせられることがあったといいます。都内ではときどきコーダの会が開かれているのですが、初めてそこに参加したのです。
「すごく不思議な感覚でした。手話も日本語も(自分だけでなく)ほとんど全員が使えている。だから誰かが話してる間に、手話で別の会話を済ませる人もいたりして。そういうふうに、音声言語と手話を用途に応じて使い分けができるのって、すごく便利だなと思って。みんなそうすれば、もっと楽なのになって思います」
なるほど、それはたしかに便利そうです。みんなが日本語と手話を使うようになったら、職場の会議などもちょっと早く終わりそうです。
でも一方で、ちょっと悲しいこともあったそう。参加者のなかには、結婚などの際に親がろう者であることを理由に差別を受けた人もいるのを知り、「そんなことがあるんだ」とショックを受けたといいます。
「知らなくてもいい世界もあるのかな、と感じてしまった」という梨奈さん。これまではほとんど意識していなかったけれど、自分の環境は「ふつうじゃない」と感じ、最近また少し「(親のことを)人に言いづらくなってしまった」といいます。
「コーダがもっと、いろんな意味で生きやすい世の中になってほしいなって思います。
コーダが『親がろうなんだよね』って言っても、何の問題もない世界になってほしい」
「ふつう」じゃないことで誰も悩まない世の中になってほしいし、そういう世の中にしていきたいものです。それは、この連載「おとなたちには、わからない。」でずっと伝えようとしてきたメッセージでもあります。
想像しきれないことがまだまだ、いくらでもある
筆者はコーダについて本を読んだり映画を観たりしたことがあったので、多少はわかった気でいたのですが。でも、こうして梨奈さんに直接話を聞かせてもらうと、想像しきれていない部分がまだまだ、いくらでもあることを痛感しました。
駅で電車のドアが閉まるとき、合図が音だけなので、親はよく乗りそびれてしまうこと。
親は妊娠中、「もし視覚障害のある子どもが生まれたら、自分たちとコミュニケーションがとれない」と心配していたこと。聴者であるコーダを育てるのは、親にとっても未知なことが多いので、支援するための会もあるということ。
祖父母は聴者で手話を学んでいないため、家族で遊びにいくときは孫である梨奈さんたちが通訳をしていること。
親が家のなかで立てる大きな物音や咀嚼音が、コーダにはつらかったりすること。
卒業式のあと謝恩会に参加した親が、誰ともコミュニケーションをとることができず、ひとりでスマホをいじっているのを見たとき、胸がつまったこと――。
気付かなかったこと、見落としていたことばかりです。いままで私たちが当たり前と思ってきた世界が、ちょっと立ち位置を変えれば、ちっとも当たり前ではないことがわかります。
話を聞き終えた後、「原稿、書いてもいいかな?」と聞くと、快諾してくれた梨奈さん。帰り際は、少しすっきりした様子で手を振り、自分の道を歩いていきました。

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参考
『コーダ きこえない親の通訳を担う子どもたち』中津真美 金子書房
『コーダの世界 手話の文化と声の文化』澁谷智子 医学書院
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大塚 玲子 ノンフィクションライター
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