タイで会社を経営する静岡県焼津市出身の男性が障がいを持つタイの人たちのために活躍できる場を作ろうと取り組んでいる。
「タイに恩返ししたい」と話す男性の思いと今後のビジョンに迫った。
タイの首都バンコクの中心部から車で約2時間。リゾート地・パタヤで知られるチョンブリ県。
会議室で打ち合わせが行われていた。
大畑尚則さん:(タイ語で)
「出来れば小さなカバンがいいです。持ち運びが出来るから。」
流ちょうなタイ語を話す男性。
焼津市出身の大畑尚則(おおはた・ひさのり)さんだ。
バンコクでサッカーなどのユニフォームの製造・輸出を行う企業を経営している。
大畑尚則さん:(タイ語で)
「初めてだから、たぶん子供たちも興奮すると思う。」
「“あれはなんだ!”、“これはなんだ!”って」
訪れていたのは聴覚障がい者が通う聾学校。
実は大畑さんは企業経営の傍ら、タイで聴覚障がいを持つ子供たちの支援に取り組んでいる。
この日は生徒たちを日本に招待して、聴覚障がいを持つ子供たちとサッカーで交流するプログラムの打ち合わせをしていた。
大畑尚則さん:
「タイと日本の架け橋になりたいな、と。タイである程度稼いだものは、タイに還元したいなという思いがあって。」
それが原点
日本の企業を退職後、2000年に青年海外協力隊としてタイに来て孤児院で2年間働いていた大畑さん。
その後、タイで事業を始め成功を収めた。
日本との交流プログラムは2023年で10年目になる。
様々な準備を経て8月に東京・品川区で行われたプログラムでは、サッカーはもちろん、聴覚障がいを持つ日本の小学生と買い物や観光も楽しんだ。
障害の垣根を越えてフットサルを
そして今、大畑さんが新たに取り組んでいるのがタイのプロフットサルチームへの挑戦だ。
練習に打ち込むフットサルの選手たち。19人の選手のうち5人が聴覚障がい者で、チーム名はYFAシーラチャFC。
聾学校を卒業した後も活躍できる場を用意したいと5年前に発足したチームで、聴覚障がい者と健常者が垣根なくプレーしている。
アドバイスや指示はコーチが手話で伝え、選手同士も手話のほかに身振り手振りを交えてコミュニケーションをとっている。
大畑さんがチームの運営を任せる相原豊さん。
オーナー 兼 選手として活躍する相原さんはプレーの連携で難しい面はあると認めている。
自身も生まれつき左手がない障がいを持っているが障がい者と健常者が、工夫しながらまとまっていくことが大事だと話す。
相原豊さん:
「徐々に1人に浸透して2人に浸透して…5年目になって、うちのクラブは“どういうクラブ”か理解してきたんじゃないか」
レギュラーとして活躍するオップさんは聴覚障がいを持っている。
聴覚障がい者のサッカーとフットサルの両方でタイ代表も務めるオップさんは3年前にチームに参加した。
上手くコミュニケーションがとれずにもどかしい思いをすることもあると言う。
しかし、健常者と共にプレーすることで技術も向上し、新たな目標も持つことができた。
オップさん:
「チームをリーグ1部に昇格させたいし、自分が活躍することで聴覚障がいを持つ子供たちの 目標になりたい。」
大畑さんが目指す最終目標
チームが始まってから5年。
タイに進出する日本の企業 約20社がスポンサーとなり、選手たちに給与も支払っている。
1部リーグへの昇格と共に、大畑さんは新たなキャリアデザインを示すことを目指している。
大畑尚則さん:
「選手生命が終わってから、雇ってもらえるという体制まで出来る、そこが一番の目標。そのままスポンサーになってもらった日系企業に勤める、と。そういう流れが出来てくるのが、最終の目標」
障がいを持つ人たちが活躍できる場を広げるため。
大畑さんたちの挑戦は続く。
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