デフサッカー日本代表17年「東京大会で金狙う」…W杯で準優勝、目と手で通じ合い快挙

デフサッカー日本代表17年「東京大会で金狙う」…W杯で準優勝、目と手で通じ合い快挙

聴覚障害のある選手がプレーするデフサッカーで、17年にわたり日本代表として活躍する選手が福岡県内にいる。

宇美町出身の松元卓巳さん(34)。

今秋の第4回ろう者サッカー世界選手権大会(W杯)では主将としてチームを率い、史上初の準優勝を達成した。

2025年に日本で初開催される「デフリンピック」を見据え、「もっと競技を盛り上げたい」と意気込んでいる。(植田優美)

W杯は9月23日~10月7日にマレーシアで開かれ、19チームが争った。

新型コロナウイルスの影響で7年ぶりの開催となり、選手23人のうち、半数は初めて経験する国際大会となった。

ゴールキーパーかつ主将を務めた松元さんは、チームを精神面で支えた。

デフサッカーでは、かけ声での連係が難しいため、手話やアイコンタクトで密にコミュニケーションを取り、考えを共有することが不可欠。

メンバーで気持ちを統一することも大切で、選手たちは現地に到着後すぐにミーティングを開き、大会にかける思いを一人ずつ語り合ったという。

松元さんは「控えの選手を含む全員の結束力が高まり、いい雰囲気で大会に臨めた」と振り返る。

デフ日本代表は短いパスをつないで相手をかわし、ゴールを狙うプレーを得意とする。

ただ、4チームで争った予選リーグでは、緊張からかロングパスが目立ち、イラン、フランスに敗戦。

かろうじて決勝トーナメントに進出後、徐々に本来のプレーが戻ってきた。

1回戦で大会2連覇中のトルコに勝利して勢いづくと、準々決勝ではフランスに雪辱を果たした。

準決勝では17年デフリンピック銅メダルのエジプトを下した。

決勝の相手は、22年実施のデフリンピック金メダルのウクライナ。

1―2で惜しくも敗れたものの、日本に初のメダルをもたらした。

過去最高だった第2回大会のベスト8を大きく超える結果となり、松元さんは「自分が現役の間に決勝に進めるとは思っておらず、メダルが重かった」と語る。

松元さんは生まれつきの難聴で、普段は補聴器をつけ、手話や相手の口の動きを読み取って会話している。

サッカーは小学生の頃から健常者と練習していたが、鹿児島実業高時代にデフサッカーに出会い、日本代表として活動を始めた。

現在は県社会人リーグで健常者と一緒にプレーしながら、デフサッカークラブ「福岡ケルベロスFC」にも所属している。

マレーシアW杯では、現地の人たちが競技場に大勢駆けつけ、決勝を戦う日本選手に声援を送ってくれたという。

松元さんは「2年後のデフリンピックでは大勢の日本のファンと一緒に戦い、金メダルをとりたい」と話している。

2025年にデフリンピック東京大会
デフリンピック東京大会は、2025年11月15~26日に開かれる。

肢体不自由などがある選手らが対象のパラリンピックよりも古く、約100年の歴史がある。

ただ、日本財団パラスポーツサポートセンターの調査(21年)では、国内の認知度はわずか16.3%。パラリンピックの97.9%と大きく差がある。

スポンサーが少ないため、代表選手でも合宿や大会の遠征費を自己負担せざるを得ないのが現実だ。

大会への機運を高めようと今月5日、県内で開かれた「デフリンピック・フェスティバルin九州」では、全日本ろうあ連盟スポーツ委員長の太田陽介さん(65)が大会の歴史などを解説。

県内在住のデフバドミントン代表候補・矢ヶ部紋可さん(21)も登壇し、「デフスポーツを広めて、聞こえる人と聞こえない人が共に楽しめる場を増やしたい」と語った。

デフサッカー男女代表の5人も登壇し、マレーシアW杯の結果を報告。

イベントには約150人が参加し、選手と交流したほか、募金活動も行われた。

◆デフサッカー =「デフ」は英語で「耳が聞こえない」を意味する。基本的なルールは健常者のサッカーと同じだが、競技中は全員が補聴器を外すことが義務づけられており、選手はアイコンタクトや手話でやり取りする。主審は笛と旗を使って合図を出す。デフリンピック東京大会では福島県で競技が行われる。

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