2025年3月5日
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2025年11月、聴覚障害者のスポーツの国際大会デフリンピックが初めて東京をメイン会場として開かれます。「音のないサッカー」とも呼ばれるデフサッカーの日本代表もこの大会に出場します。デフサッカー日本代表は、2023年のワールドカップでは準優勝、2024年のアジア大会では優勝を果たし、デフリンピックでも活躍が期待されています。聞こえないことによる課題を強みに変えて、初めてのデフリンピック優勝を目指すチームを追いました。
(首都圏局 都庁クラブ/記者 生田隆之介)
“音のないサッカー”
聴覚障害のある人たちで行われる、デフサッカー。
デフサッカーとは?
・ルールは通常のサッカーとほとんどが同じ
・「補聴器を外してプレーする」という独自のルールがある
→このため“音のないサッカー”という愛称で呼ばれている
サッカーと言えば、ピッチ上の選手たちの声、監督の熱のこもった指示、審判のホイッスル、観客の声援など、さまざまな音がある状況が思い浮かび、私はなかなかその様子を想像することはできませんでした。
興味のわいた私は、福岡県で行われるという、デフサッカー日本代表の合宿を取材することにしました。
“遜色ない”プレー
2025年2月、福岡県にある福岡大学のサッカーグラウンド。

ゴール前で攻防するデフ日本代表(白ユニフォーム)
雪のちらつく中で体から湯気を出しながら走るデフサッカー日本代表の姿がありました。
相手と激しくぶつかりあい、迫力あるプレーを見せる選手たち。

通常のサッカーとルールはほとんど変わらないデフサッカーですが、選手たちは声が聞こえない分、手話やアイコンタクトでコミュニケーションしています。
「前からいけ!」 「切り替えろ!」
ピッチ上には、チームを鼓舞する選手の大きな声も聞こえていて、はた目には、とても“音のないサッカー”とは思えない光景が繰り広げられていました。

そのプレーの激しさや技術の高さもあいまって、健常者のサッカーとの違いはほとんど感じられませんでした。
声が聞こえない困難さ
しかし、やはりピッチに立つ選手にとっては、聞こえないことでの難しさを大きく感じると言います。

チームの副キャプテンを務める古島啓太選手(34)は、14年前から代表に選ばれているベテランです。
5歳のころからサッカーを始め、強豪校でもプレー。サッカー漬けの日々を送り、夢は「サッカー日本代表の選手」でした。
しかし、耳が聞こえないことを理由に、これ以上成長は望めないと、高校卒業後はいったん、サッカーから距離を置いたといいます。
古島啓太選手
「やっぱり健常者のサッカーの世界の中で、コミュニケーションだったりとか、戦術の部分で難しいと感じて、高校サッカーをきっかけにもう引退をしたんです」
しかし、20歳の時、聴覚障害のある友人の誘いで、デフサッカーの存在を知りました。ピッチでボールを追いかけるうちに、高校時代に抱いていた夢が、よみがえってきたといいます。
「別の形でも日の丸を背負いたい」
本気でサッカーを続けるうち、ついに代表にも選出。これまでに2度のデフリンピック、ワールドカップやアジア大会と数々の経験を重ねてきました。

古島選手
「デフサッカーってパッと見て、違いがすごい分かりづらいんです。でも、コミュニケーションの部分で、手話だったり、アイコンタクトだったり、そういう部分は健聴者のサッカーと比べて、より魅力的な部分があります。デフサッカーは2年前からようやく、サッカー日本代表と同じ、やたがらすのエンブレムのあるユニフォームを着る機会をいただきました。もちろん自分の夢が叶った瞬間で、モチベーションもすごく上がりました。この日の丸の重み、責任を若手にももっと伝えていく必要があると思っています」
聞こえぬ個性を強みに

2024年からチームの指揮をとっているのが、元Jリーガーの吉田匡良監督。
監督に就任したのは、聴覚障害がある小学1年生の息子がきっかけでした。

吉田監督の息子(右)
息子と過ごす中で、耳が聞こえないことも個性のひとつだと考えるようになったという吉田監督。
代表チームも工夫しだいで個性を生かし、さらに力を伸ばすことができると考えています。
吉田匡良 監督
「息子がデフで、耳が聞こえないで生まれたときに、なんとも思わなかったというか、それが個性だと思った。その個性をどう伸ばしてあげるかというところに、自分はフォーカスしてやっています」
「耳が聞こえないという個性を、いかに強みに変えるか―」
吉田監督が取り組んだのが、番号による戦術の落とし込みです。古島選手も苦労してきたという、チームとしての戦術の理解や連携。
デフサッカーのどのチームも抱える課題
・耳が聞こえない分、互いの声での連携ができない
→選手どうしの距離が離れてしまい、スペースが生まれてしまいがち
これを逆手に取り、選手どうしの距離を近く保ち、相手の連携ミスから生まれたスペースを利用して攻撃するサッカーをしようと考えました。

このため、選手たちがどのエリアに集まるかを3つの番号で分けました。
吉田監督が取り組む戦術
・「1」はフォワードの選手が相手陣地深くまで入り込み、ディフェンダーもピッチ中央付近まであがります。
・「2」はピッチの中央付近に集まり、陣形を整えて相手の様子をうかがいます。
・「3」はフォワードも自陣の中まで後退し、自陣で相手の攻撃を耐えたあとに素早くカウンター攻撃を仕掛けます。

番号で戦術を整理し、選手たちにも試合中にできるだけ簡単な方法で共有。選手たちは、監督の示す番号を見て、もともとの強みであるスタミナとチームワークを生かし、戦術を実行。「デフサッカーの弱点」を強みに変えようと考えたのです。
古島選手も、デフ選手としての個性を伸ばすという考えの吉田監督のもとで、さらに成長できると考えています。
古島選手
「デフサッカーは、声が通用しない、後ろからの声が聞こえない。フォワードの選手が動けば、後ろの選手も合わせて動くというスタイルなので、選手の立ち位置の部分が難しい。選手間の距離が広がることが一番よくないので、前線の選手がはっきり、1、2、3とはっきりした動きをして、後ろの選手たちがそれに合わせていくというスタイル。決めごとがあることで、チームはすごくコンパクトに戦えている部分は大きくある」
強豪との対戦でつかんだ手応え

2月の合宿では、健常者の大学生チームと対戦しました。
九州の大学リーグを何度も制覇している強豪で、チームは前月にも試合し、0対4で大敗しています。今回は、磨いた戦術面がどこまで通用するのかを試す、リベンジマッチです。

前回対戦の経験から、はじめは「2」で挑んだ日本代表。
しかし、連携がうまくとれず、失点を重ねます。前半だけで4失点します。
吉田監督は、ハーフタイムで、こう伝えます。
もっと前に出よう。もう一個前に行かなきゃダメだ。ベンチからおれも何回も言いたいけど、なかなか伝わらない。見ろ、人を見ろ、味方と相手を見ろ、もちろんボールも見るけど、人も見なきゃ!

そして始まった後半。
吉田監督は、「1」の戦術を選手たちに伝えます。選手たちは、一体となって前から相手にプレッシャーをかけていきます。

そして、相手陣地で相手選手からボールを奪うと、近くでボールを拾った選手が、すかさずミドルシュート。これがゴールに突き刺さり、待望の得点を奪いました。
試合は敗れたものの、後半の戦い方に一定の手応えをつかみました。監督も、選手を鼓舞します。
吉田監督
「前半と後半で、全く違う内容だった。みんなも感じているやろ。やれるやろ。そこのところを俺はもっと引き出してあげたい」
古島選手
「後半はちょっと戦い方を変えて、私たちの強みであるハイプレスの部分がすごく効いて、最終的には1対1になった。日本代表の強みが、走る部分やパスをつなげる部分が大きいので、1でハイプレスして、2は様子見て、我慢するときは3っていう試合の中で変化を作っていくことが必要になってくる。レベルの高い相手でも、対応して戦えるようにしていきたい」

吉田監督
「健常者とかデフとか関係ない。ありのままの自分でいい。『われわれがデフサッカーの日本代表だ』『われわれはこんなにできるんだ』というところを、見に来てくれた皆様に思う存分、われわれ自身が見せたい。シンプルに、世界一をとる。それだけをねらいたい」
取材後記
日本代表は、デフリンピックを前に2025年4月2日、サッカーの聖地である東京・国立競技場で、Jリーグ入りを目指すJFL・クリアソン新宿との練習試合に挑みます。
デフサッカーとJFLのクラブが、国立競技場で試合をするのは初めてのことだということです。今回の合宿でつかんだ手応えを自信に、強豪相手にどこまで通用するのか。そして、その先のデフリンピックで世界一をとりにいく。挑戦はまだまだ道半ばですが、個性を強みに変えて挑戦するチームの行く末を見守りたいと思います。
首都圏局 都庁クラブ 記者
生田隆之介
2014年入局。長野局、札幌局を経て首都圏局。都庁担当として教育や環境分野を主に担当。自身も現役の社会人サッカープレーヤー。
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