壊された固定観念「なぜ審判は笛を?」 目指す世界一、日本で広めたい「耳が聴こえない人」のラグビー

壊された固定観念「なぜ審判は笛を?」 目指す世界一、日本で広めたい「耳が聴こえない人」のラグビー

2025.10.23
著者 : 吉田 宏

聴覚障害を持つ選手によるデフラグビーの日本代表が、来年日本で開催される「7人制デフラグビー世界大会」で優勝を目指して強化を進めている。前編では自身も代表選手としてプレーした柴谷晋ヘッドコーチ(HC)の、コミュニケーションを重視したチーム作り、チームの取り組みを紹介してきたが、後編では強化の中で得た学び、そして選手たちの世界大会への思いを聞いた。(前後編の後編、取材・文=吉田 宏)

柴谷HC(奥右)も手話を使えるが、練習では常に手話通訳付で行われる【写真:吉田宏】

柴谷HC(奥右)も手話を使えるが、練習では常に手話通訳付で行われる【写真:吉田宏】


聴覚障害を持つ選手による日本代表「クワイエット・ジャパン」の挑戦【後編】

 聴覚障害を持つ選手によるデフラグビーの日本代表が、来年日本で開催される「7人制デフラグビー世界大会」で優勝を目指して強化を進めている。前編では自身も代表選手としてプレーした柴谷晋ヘッドコーチ(HC)の、コミュニケーションを重視したチーム作り、チームの取り組みを紹介してきたが、後編では強化の中で得た学び、そして選手たちの世界大会への思いを聞いた。(前後編の後編、取材・文=吉田 宏)

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 自分自身はデフラグビー選手について理解していると考えてきた柴谷だが、チームを強化する中で選手たちから気付かされたものも少なくないという。

「ある国際大会でサモアと対戦する前のことです。初対戦だったので、サモアがフィジーと対戦したビデオを観ていたのですが、ふと気付いたことがあった。レフェリーが笛を使っていなかったんです。代わりに旗を持っていた。この試合を会場で観戦していた選手がいたので聞いたら『そうですよ。でも全然問題ないです』と教えてくれた。彼は『何で他の国際大会で笛を使っているのか理解出来ない。(選手は)聴こえないのだから』とも話していたんです。びっくりしましたね。レフェリーというのは笛を使うものだとずっと思っていた。僕がデフラグビーを始めたのが26歳だった。なので20年くらいやっていますけれど、笛という固定観念があったんですね。でも、選手の一言を聞いて、そうじゃないなと気付いたんです」

 長らくデフラグビーの中に身を置いて、自分が分かっているようで実はそうではなかった。自分より聴力の低い選手の目線でチーム、そしてゲームを見ることの大切さを柴谷が学んだことで、コーチとしての成長に役立てている。これは聴覚障害者の中でのエピソードや学びだけではなく、実は一般のコーチと選手の間でも重要なテーマだ。

「誰でも自分の視点で物事を見るので、当然そうだろうと思っていたものが実はそうじゃなかったということが、環境や事情が変われば起こるのです。さっきの選手の一言で、ハッとしたんですね。彼らとずっと一緒にやってきたんですけれど、正確にはやはり彼らの視点に立っていなかった。でも、そういう現実を受け止め、これから取り入れていくためには、やはり想像しなきゃいけないですね。聴こえない中でラグビーをやるということは、こういうことなのかと。でも、選手がこの話をしてくれたことも、そういう話せる関係が出来ていたからだと僕は思っています。そんな関係を築けたことがよかったなと思っているのです」

練習中に指示を出す柴谷HC【写真:吉田宏】

練習中に指示を出す柴谷HC【写真:吉田宏】


“もう一つのワールドカップ”に日本ラグビー協会も支援に前向き

 これまで多くの大会や試合でレフェリーが笛を使っていたことを考えれば、柴谷だけではなくデフラグビー界自体が固定観念に囚われてきたという現実もある。そのため、来年の東京での大会では、レフェリーは笛ではなくフラッグを使ってジャッジすることが決まっている。先にも紹介したように、ウェールズらヨーロッパの強豪には聴力レベルが高い選手が多いこともあり、国際会議ではレフェリーが笛を使わない「フラッグ制」の導入は反対される可能性もあった。だが、日本側の“戦略”もあり来年の世界大会での導入が実現することになった。

「日本では、理解のある企業が所属するデフラグビーの選手に助成金を出してくれています。そして来年の大会も、そういった企業の協力を受けています。僕らの連盟でも『ラグビーを通しての平等』というものを活動理念として揚げていて、それを基に企業から理解と支援を受けている。なので、もし日本大会が笛だけのレフェリングという、一部選手に不平等なルールで行われるのなら、理念に賛同していただいている企業からの宿泊費などの支援が受けられなくなる。そんな文章を各国の連盟に送ったんです。そうすると、従来は笛で行われてきたこともあるので反対されると思っていたのですが、会議に参加した理事長によると、結構すんなり通ったようです。勿論、そこには重度難聴者が多い国の支持があったのも事実です」

 聴覚障害が重度な選手もいる日本にとっては、笛ではなくフラッグを使ったレフェリングの採用は歓迎されることだ。だが一方で、それに伴うホスト国としてやるべき課題も浮上している。デフラグビーでは専門のレフェリーがいないため、ラグビー協会とレフェリーグループとも相談しながら通常の試合で笛を吹いているレフェリーの派遣をお願いすることになる。

「日本開催の大会では日本のレフェリーが受け持つことになるのですが、デフラグビーに関する知識や、手話が出来る人もほぼいないです。なので相当難しい状況です。日本大会では若いレフェリーが中心になると思われます。基本的なレフェリングはデフでも同じですが、彼らにこれから1年かけてデフラグビー特有のジャッジややり方、フラッグ制ももちろんですが、手話も学んでもらって育成していくことも必要なのです」

 その一方で、法人こそ違うがラグビーを統括する日本ラグビー協会(JRFU)も支援には前向きだ。岩渕健輔専務理事は“もう一つのワールドカップ”について「私たちはラグビーをいろいろな形でプレーされている皆さんと協力しながら、ラグビーそのものを前に進め、発展させたいと思っています。2026年の大会についても、当然のことながら協力させていただきたい」と語っている。9月の強化合宿には元7人制日本代表HCやナショナルチームディレクターなどを歴任した徳永剛氏も指導に駆け付けたが、以前は協会からの派遣という形だったが、今は個人の身分で協力をしているという。決勝も含む上位対戦については、聖地・秩父宮ラグビー場の使用もJRFUも交えて検討を進めている。日本ラグビーの殿堂が世界一を争う舞台になれば、海外選手も含めてデフラグビープレーヤーにとっても大きなモチベーションになるはずだ。

本大会で活躍が期待される(左から)小林建太、岡村大晃、岸野楓【写真:吉田宏】

本大会で活躍が期待される(左から)小林建太、岡村大晃、岸野楓【写真:吉田宏】


「もちろん目標は世界一ですが…」世の中に広めたいデフラグビーの存在
 日本の選手たちも、ホストチームとなる世界大会へ向けて特別な思いで準備を進めている。これまでも主将を務めてきた岸野楓は、9月の合宿でこんな意気込みを語っている。

「日本で初めての世界大会なので、もちろん目標は世界一ですが、デフラグビーの存在を世の中に広めたいと思っています。まだ皆さんあまりデフラグビーのことを知らないと思うし、今年のデフリンピックにも(デフラグビーは)入っていない。へぇー、耳が聞こえない人のラグビーがあるんだという人が多いと思います。だから来年の大会でいい成績を残すことで存在感を残して、デフラグビー頑張っているねと応援していただける人が増えたらいいなと思っています」

 岸野は岐阜聾(ろう)学校から早稲田大に進学して、体育会つまり早大ラグビー蹴球部でもFWとしてプレーした。レギュラーメンバーのみ着られる“アカクロ”ジャージには届かなかったが、現在フランスで活躍する日本代表SH齋藤直人と同期で、最終学年では優勝した世代しか歌うことが許されない第2部歌「荒ぶる」を国立競技場で歌い上げた。

 社会人になった今でも楕円球のチャレンジを続けることには、こんな思いを語っている。「大学時代は、聞こえない世界(の選手)でも出来るんだという証明や、自分と家族のために、こういう(健常者の)世界で頑張ろうとプレーしていました。でも、手話だけ使ってやるのも楽しいと思っていて、デフラグビーで世界一という目標を持って仲間とプレーすることを楽しんでいます」。早稲田時代とは異なる意義と楽しさを感じている岸野だが、来年の世界大会で活躍して、翌2027年に行われる男子15人制のワールドカップに挑む齋藤にもエールを贈りたいところだ。

 練習では群を抜いたパススキル、俊敏なランが光る小林建太は、近畿大ラグビー部でSHとして公式戦にも出場した実績の持ち主だ。3歳からラグビーを始め、東大阪ジュニア、近大附属高、近畿大でプレー。4年の時は、チームが9年ぶりの大学選手権出場を果たしている。高いレベルでラグビーを続けてきた小林にとっては、デフラグビーでプレーすることに当初は抵抗があったという。

「最初は正直やりたくなかった。近畿大のようなレベルの高い選手ばかりだけじゃなく、このチームだと経験の浅い選手もいたりして、そこに合わせるのも結構難しい。でも、コミュニケーションをとってやるべきことが決まれば、プレー自体は皆しっかり力を合わせて出来るんです。そういう面白さに気付けた部分もあります」

 練習では、1つのプレーが終わる度に選手と話し合う姿が印象的だったが、健常者チームからデフラグビーに来て、コミュニケーションが更に重要になったことも影響しているという。

「いままでずっと健常者の中でやってきて、当たり前だったことがデフラグビーでは通じないこともある。わからないままでやってしまうと、やはり試合で上手くいかなかったりするので、しつこいくらい分かりやすく、お互いが理解した状態でラグビーをすることを常に心掛けています」

 近畿大という大学トップレベルのラグビーでも培われたコミュニケーションの取り方、ノウハウをデフラグビー代表でも落とし込むことが出来れば、柴谷も重視するチーム内の結束力、組織としての成熟も増していくはずだ。


スノーボード、野球、陸上など他競技からデフラグビーに挑戦する流れも


 もう1人、取材に応じてくれた岡村大晃は、ラグビー選手としてはまだ“2年生”だが、異色のキャリアの持ち主だ。

「スノーボードを10年くらいしてきました。健常者とも一緒にやりながらデフリンピックも出場しましたが、2年ほど競技を離れていた時に、同級生の仲間から『やってみない?』と誘われて始めました」

 2019年のデフリンピックに日本代表として出場。メダルこそ逃したが、スノーボード・パラレル大回転、回転で共に5位と世界トップレベルの舞台で競技を続けてきた。今はラグビーに専念している岡村だが、個人競技で結果を残しながら、相手との接触も激しいラグビーを選んだ理由をこう語ってくれた。

「ずっと同じ動きのスノーボードに対して、ラグビーは状況によっていろいろ動いたりとか、サポートに行ったりとか、やらないといけないことが多くて、すごく考えるスポーツだなと感じています。それが楽しいですね」

 まだラグビーを吸収している最中ではあるが、柴谷が「スノボーを続けてきたために、下半身と体幹が強く、吸収も早い。いまはSH、WTBでプレーしていますが、彼の場合はマルチスポーツ(小学生の頃から複数のスポーツを経験させる)環境が影響していると思う」と評価するように、スノーボードで国内、世界最高峰のステージで戦ってきたアスリートとしてのポテンシャルは十分にある。ウインタースポーツとボールを使った格闘技という全く異なる2つの種目で世界の舞台に挑戦する。

 他にも野球、陸上などの他競技の経験者がデフラグビーの門戸を叩き始めている。先に紹介したように、大半の聴覚障害者が、健常者のチームでプレーしていることもあり、デフラグビーの国内競技人口は「横這いというのが実情」(柴谷)という。聴覚障害者がスポーツに打ち込む場合は、どうしても陸上、卓球という個人種目が多くなるという現実もある。聴覚が必要な競技、より多くの選手がプレーする競技に比べれば、個人競技のほうがやり易いことが大きく影響している。デフアスリートにとってはハードルが高いラグビーだが、来年の世界大会開催、その後の強化を視野に入れて、柴谷をはじめとした関係者は、他競技で活躍するアスリートも含めて積極的な勧誘活動も展開している。

 1年後の開幕を待つ世界大会へ向けての強化もテコ入れが進んでいる段階だが、柴谷は目標に掲げる世界一を掴むための課題に「環境」を挙げる。

「強化面では、9月最初の合宿ではディフェンスに取り組んで、そこからアタックもやっていこうという流れですが、ここは時間がかかります。まずスキルを高めなきゃいけない。そこから戦術が入って来る。今の練習時間だと(アタック強化は)なかなか難しい。なので平日の夜の練習を出来るようにしたり、代表メンバーが内定という段階になれば、選手が所属する会社に時短出勤などの相談、お願いもしていく必要があると思っています」

 代表チームとしての活動が本格的に始まる来年2月からは、従来続けてきた月1回の週末を利用した強化合宿の日数をさらに増やしていく。

「今までは1回の合宿は(週末の)2泊、3泊が多かったけれど(来年は)もっとやります。連休も多いので、それも使って5日間くらいの日程でやっていきたい。ゴールデンウイークもあるので、しっかり休日を使っていきたいですね」


日本のプレースタイルは健常者15人制「超速ラグビー」とは異なり…

 気になる日本チームのプレースタイルだが、これは15人制、7人制日本代表などとは大きく異なるものもあるという。健常者の代表は、15人制代表のエディー・ジョーンズHCが唱える「超速ラグビー」も含めて伝統的に、積極的にボールを動かし、スピードを武器にしたスタイルを踏襲してきた。これは海外強豪とのサイズやフィジカリティーの差も踏まえて、強みを速さに求めているからだ。だが、デフチームの場合は様相が違っている。

「最初にHCを始める時は、それ(スピード重視のスタイル)だと思っていました。僕の感覚としては、パスを回せば絶対にトライ出来ると。でも、スキルの問題もあり、なかなかそうはならなかった。それよりも、ここ数年で結構大きな選手が集まってきたんですね。彼らは、実はぶつかるのが大好きなんです。コンタクトスポーツをずっとやらせてもらえなかった人も多いですが、ラグビーをやりたいと思って集まってきているので、体を当てたいという選手もいるんです。実際に体の強さを生かしてトライもしている。なので、勝負したい時は行っていいという判断もしているんです」

 すこし予想外のスタイルではあるが、そこには日本が他国以上に、相手のプレーを分析した緻密なサインプレーも導入してることが影響している。実際の国際試合の映像を見ると、日本が敵陣ゴール前のスクラムで、アタックすると想定される方向と逆サイドに攻めてトライをマークするサインプレーを使っていたが、柴谷はこう説明する。

「このトライについては、事前に、日本のあるポジションの選手がすこしだけ動いたら、相手の選手が必ず引き付けられると分析していました。そうしたら、逆サイドを突けば簡単にトライできる。こういう細かなサインプレーは、他の代表チームはそこまでやってこない。なのでスクラムやラインアウトからのアタックはかなり武器になる。さらに得点出来るように取り組んでいきたい」

 他国の代表チームがまだ取り組んでいない緻密な分析やサインプレーを日本が使っているのも、JRFUから派遣されたコーチ陣のアドバイスに加えて、柴谷が東芝、日野で磨いた分析スキル、そして吸収したトップレベルの戦術なども大きく影響している。FW周辺の戦いで、サインプレーとフィジカル勝負も大好きなメンバーを生かしたアタックを1年をかけて磨き込めば、上位国に対しても強みになる期待感が高まる。

 そして、勝利と同等にデフラグビー日本代表にとって重要な使命がある。代表というチームの性格上、その実戦の大半が海外のトーナメントだ。1年後の世界大会は、最高峰を争うステージであるのと同時に、もう一つの大舞台だと柴谷は断言する。

「自分たちがやっている姿を、家族やお世話になっている人に見せる。日本で、そういう機会がなかった。僕らにとっては、皆さんに、そしてスポンサーになっていただいている方たちにも、自分たちのプレーする姿を見ていただくための、すごくいい機会なのです」

 注目度の高い15人制日本代表、4年に1度のオリンピックで注目される7人制代表なら、名立たる国内企業がスポンサーに手を挙げるが、デフラグビーが支援を受けるのは容易ではない。その中で、理解を示し応援を続けてきた企業、関係者の目の前で、選手たちが全力を尽くすこと、結果を残すことの意味と価値は、柴谷だけではなく連盟の誰もが強く認識している。

 前編でも紹介したように、柴谷が世界大会で目指すのは世界一と同時に、『誰一人阻害されないチーム』という理念をチームに植え付け、外へも発信していくことだ。1年後の夢舞台をそのショーケースに出来れば、多くの人にデフラグビーの魅力を伝え、未来への可能性も広がっていく。

「大会の後も大事になる。大会までは選手も連盟も関係者も皆頑張るはずです。でも、そこで終わってしまわないようにしないといけない。頑張っている選手を引き続き成長させる環境を残していきたいし、後は日本開催で注目が集まれば、そのタイミングでユースのチームを立ち上げたい。今も何人か、ここに、こんな耳が聞こえない子がやっているという情報はあるんです。ユース世代の子供たちを日本中から集めるのは難しいですが、世界大会が終わった段階で一度手話での指導をするとか、デフラグビーでプレーするためのプログラムを渡すことが出来ればいいなと考えています」

 柴谷の頭の中で、グラウンド内外でのデフラグビーの未来図はさらに広がり続けている。新たなステージにこの競技を引き上げるための突破口と期待が高まるのが、来年の世界大会だ。社会の中でまだ十分な市民権を得ているとはいえないデフラグビーにとって、その理念を持ち続けながら頂点を目指して戦う夢舞台まであと1年。“静かなる勇者”の挑戦が続く。

(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)



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