本音は特別支援学校をやめていきたい 神奈川県 黒岩知事が「ごちゃまぜを当たり前に」したい理由

本音は特別支援学校をやめていきたい 神奈川県 黒岩知事が「ごちゃまぜを当たり前に」したい理由

神奈川県 黒岩知事の写真

「もちろん本県では、特別支援教育を必要とする児童・生徒のための環境づくりをしています。ですが……」。神奈川県の黒岩祐治県知事が熱く語ったこれからの社会デザイン。なぜ神奈川県はインクルーシブ教育に積極的なのか? 『普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』(伊藤穰一・松本理寿輝の共著)を読んだ知事が描く、障害者を「混ぜる」世界の可能性。

──本には付箋もたくさんついていますが、自閉症や発達障害といった脳神経の多様性を個性として積極的にとらえる「ニューロダイバーシティ」の考え方に関心を持たれているのはどうしてですか?

神奈川県は「当事者目線の障害福祉」を掲げ、憲章や条例を策定しています。「ともに生きる社会かながわ憲章」と「神奈川県当事者目線の障害福祉推進条例 ~ともに生きる社会を目指して~」です。

これらが制定されたきっかけは、今から8年前、2016年7月に起きた県立の障害者支援施設「津久井やまゆり園」で起きた痛ましい事件です。19人の命が奪われた。それも元職員によって。理由は「意思疎通が図れない人間は生きている意味がないから」という理解し難いものでした。私にとって大変ショックな出来事で、「障害者とともに生きる社会の実現」を県政の最優先事項にしたのです。

──条例には「みんなで読める」版もあり、わかりやすい言葉で書かれたバージョン、それを手話版、点字版、音声版にしたものまで揃っています。

条例を作るにあたっては、当事者の声を取り入れなければ意味がないと思いました。そこで「当事者目線の障がい福祉に係る将来展望検討委員会」に3名の障害のある当事者の方々に入っていただき、1回につき約3時間、計10回、今後の障害者支援施設のあり方や当事者目線の障害福祉に係る理念や実践などの議論を行いました。私も10回の会議すべて、最初から最後まで出席しました。

この会議の中で知的障害のある当事者の方に言われたんです。「法律や条例というのは言葉が難しくて分かりにくい。かみ砕いた文章のものが欲しい。要約ではなく、すべての条文を分かりやすくした言葉のもので」と。

その通りだと思い、条例の公布と同時にこの「みんなで読める」版も発表したのです。「県の責務」は「県がすること」といった具合で、なるほどなあと思うことばかりでした。

──検討委員会に障害のある当事者を混ぜるなど、この「当事者目線」というものを大切にされているのはどうしてですか?

あるテレビ番組で、知的障害者の方とお話しする機会をもらったんです。私にとってはそれが知的障害者と会話をする初めてのことだったんですが、障害福祉のありかたについて本質をズバズバと突く意見を言われましてね、福祉政策には当事者に関わってもらうべきで、徹底的に話し合うべきだと思ったのです。

津久井やまゆり園の事件以降も、残念なことに障害者支援施設での虐待の数はゼロにはなりません。入居者への暴力、拘禁拘束。施設側に理由を聞けば「暴れて危ないから」と言う。しかし、入居者に話を聞けば全く違う様相が見えてくる。「どうして暴れたのか」と聞くと「話を聞いて欲しかった。その言葉を探しているのに、無理やり手足を縛られたり、暴力暴言をふるわれるから、暴れてしまったのだ」と。

こういった話は、たとえば横浜にある「てらん広場」という施設で働いている知的障害のある方に聞きましたが、そこではニコニコのびのびと活躍されている。「何で暴れているか、聞いて欲しかった」という言葉は、胸に刺さりましたね。障害者の心の声に耳を傾けることが大切だと思いました。


障害者とそうではない人の区別というものはどこにあるんだろう

──『普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』でも、伊藤穰一さんが「私たち抜きに、私たちのことを決めるな」という言葉を紹介しています。アメリカの差別撤廃・権利拡大運動には当事者参加が前提である歴史があると。

それからニューロダイバーシティという考え方が「障害者=劣っている」という極めて単純な考え方を崩した意義を持つ、という内容を解説した箇所など、「我が意を得たり」とマーカーで線を引きながら読みましたよ。

この知事室には「ともいきアート」という、障害者によるアート作品を飾っています。作品をリースしていて、3カ月ごとに作品が変わるのですが、どの作品も天才的なものばかり。見ているとね、障害っていうものの意味がわからなくなってきますよ。つまり、障害者とそうではない人の区別というものはどこにあるんだろうという気持ちになってくる。自然とリスペクトが生まれてきます。

思うのは、こうしたアート作品は自身の才能を思う存分発揮しているから、人を感動させるんだということ。自分の好きなこと、できることを自由に伸ばす環境が必要なんですよね。

伊藤さんがこの本で言っているように、日本の教育は均質な人を作ることに専念してきたわけです。それはこの国の高度成長の要請だった面もあるでしょう。

しかし、均質的な普通を目指すことが標準、という考え方は、非常に危ういと私は思います。なぜなら、そこに普通と、普通ではない、の分断があるからです。その延長線上に、悲惨な津久井やまゆり園事件があったのかもしれない。

「普通の人」ばかりを作っていることにどんな意義があるのでしょうか。そして「普通って何?」ってことですよ。

書籍と手の写真

──まさに「普通と、普通ではない」の垣根を超えて、インクルーシブ教育を積極的に実践している神奈川県ですが、『普通をずらして生きる』で紹介されている松本理寿輝さんのインクルーシブ教育の実践についてはどんな感想をお持ちになりましたか?

松本さんが保育園・こども園でされている、その子の得意なところ、好きなことを最大限伸ばしてあげよう、という考え方にはとても共感しますし、まさに「標準な人」を育てるこれまでの教育とは違う方向ですよね。

そして「ニューロダイバーシティの学校」を計画されているとのことですが、特に小さいころからさまざまな個性をもつ人と触れ合いながら大きくなっていくのは、インクルーシブ社会の土台にもなるでしょう。まさに「ともにいきる」社会の基礎になる。いわば、障害あるなし関係なく、ごちゃまぜが当たり前になっていくことが、教育から広がっていけばいいと思います。

もちろん本県では、特別支援教育を必要とする児童・生徒のための環境づくりをしています。ですが、本音を言うと、私は特別支援学校をやめていきたいんです。もちろん「うちの子は特別支援に入れたい」という親御さんの声もたくさんあります。その事情もさまざまでしょう。

しかし、それはあくまで親御さんの「目線」であって、当事者である子どもの「目線」ではないんです。その子はみんなと遊びたいかもしれないし、もしかすると、混ざったほうが自分の個性を発揮できるかもしれない。親御さんだけの目線で「分ける」ことをしてもいいのかどうか、と私は考えているんです。

「どの目線に立つか」と思う原点は、あの取材にある

──インクルーシブ社会の実現と一言で言っても、現実には個別具体的な様々な利害関係や事情が複雑に関係してきます。政治とは、こうした複雑な具体に対してのアプローチの方法だと思いますが、「当事者目線の障害福祉」のために、政治ができることは何なのでしょうか。

「ごちゃまぜを当たり前と思える社会」が作られていくプロセスを見せること。それが、障害福祉のために政治ができることではないでしょうか。

先日、「ともいきシネマ」というイベントを開催しました。医療的ケア児の親御さんの「呼吸器や痰の吸引の音が気になって子どもを映画館に連れて行けない。でも子どもに、映画館で映画を見せてあげることが私の夢です」という声がきっかけです。

まずは県のホール施設で、映画鑑賞会を開催しました。看護学校の学生が、ボランティアで医療的ケア児とその家族に付いてくれ、人工呼吸器を付けたままの子も、ストレッチャーに横たわったままの子も、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」の映画を楽しんでくれました。

そこには一般の映画館の方にもお越しいただき、今度は本当に映画館での「ともいきシネマ」が実現するよう、いわば「仕掛けた」ところです。

そして、いつか映画館で「ごちゃまぜの映画鑑賞会」が継続的に実現するかもしれない。それまでの、一歩一歩のプロセスを見せること、それによって関心や理解を広めること、それが政治の一つの役割であり、プロデュースできることなのではないでしょうか。

神奈川県 黒岩知事の写真

──知事はフジテレビ時代に「救急医療にメス」シリーズで、日本の医療体制の問題を提起するなど、一貫して医療や福祉をライフワークにされているように思います。「当事者目線の障害福祉」にもそういった思いはあるのでしょうか。

平成元年のころの仕事ですが、あのころは救急車に駆けつけてもらっても、「救急隊員は医師ではない」という法の壁によって、救える命も救えない現実がありました。

私はそれを問題提起して、やがては救急救命士の制度は整うことになっていきます。アメリカにはパラメディックという救急隊員がいて、フランスにはドクターカーがあるにも関わらず、日本ではどうして救急救命ができないのか、というのが私の取材の発端だったわけです。

しかし、取材してこの問題を知らせたい、と思ったもっと大きな動機は「助けたいのに助けられない」という救急隊員の声や、「助けて欲しかったのに」という家族の声です。当事者目線の声です。

当時の医師会は「消防士が救命なんてもってのほか」という態度でしたが、これはまったく当事者目線ではない。

私が「どの目線に立つか」と思う原点は、あの取材にあります。社会を変えうるのは、やはり当事者目線なんです。当事者抜きに、社会のあり方はデザインできません。

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