聴覚障害のある新人歯科医師の夢は…【長野】

聴覚障害のある新人歯科医師の夢は…【長野】

杉野凜太郎さんの写真
杉野凜太郎さん

この春、歯科医師の国家試験に合格し、研修医として働く杉野凜太郎さん28歳。
生まれつき聴覚障害があり、「耳が聞こえない歯科医師」は全国で初めてといいます。
その杉野さんが目指す医療とは…。

■VTR■
4月、塩尻市にある松本歯科大学病院で研修医として歩み始めた男性がいます。

「許可証 杉野凜太郎殿松本歯科大学病院における歯科医師臨床研修を許可する」

杉野凜太郎さん28歳。
5年3月、6年間の大学での勉強を終え、歯科医師の国家試験に合格。厚生労働省によりますと、昨年度の歯科医師の国家資格の合格率は66.1パーセントでした。
杉野さんも先月から研修医としての生活がスタートしました。

東京出身の杉野さんは生まれつき聴覚障害があり、小学校から高校までをろう学校で過ごしました。
父が内科医であった影響もあり、子どもの頃から医療の道に関心がありました。
高校生のときに医師を目指していた姉からのアドバイスもあり歯科医師を目指すことを決めました。
さまざまな大学の歯学部を検討する中で、障害のある学生の受け入れ態勢が整っている松本歯科大学を選びました。

【歯科医師 杉野凜太郎さん】
「日本で初めてのろうの歯科医師としてロールモデルになるように頑張ります」

大学によりますと、「耳が聞こえない歯科医師」は全国でも初めてということです。
臨床研修がスタートした日、共に学ぶ仲間を前に将来の夢を語った杉野さん。
歯科医師は国家試験に受かったのち、1年間、臨床研修医として働くことになります。

【松本歯科大学 宇田川信之 歯学部長】
「ここで一歩一歩確実に歯科医師としての技量を学びながら一人立ちしていくということが非常に重要だと思います」

大学側もパソコンの要約筆記者や手話通訳者を用意。
講義内容を文字に起こし、杉野さんのパソコンに送信するなど全面的にサポートしました。
しかし、教員の声のトーンが分からないため、講義の大切なポイントをくみ取ることに苦労したといいます。

そんな杉野さんに寄り添ってくれたのが友人たちでした。授業が終わると、一緒に復習に付き合ってくれました。

【歯科医師 杉野凜太郎さん】
「同級生には本当に感謝しています」

下伊那郡松川町出身の網野竜朗さんは杉野さんとの出会いをきっかけに手話を学びました。頼れる友人の一人です。

台湾出身の留学生、陳煒勳さんも一緒に出掛けることが多い仲間です。

【網野竜朗さん】
「勉強も遊びに行くのも結構一緒に多分一番遊んでました彼と」

同じ学生寮で暮らす3人の共通言語は“手話”です。

【網野竜朗さん】
「午前中(研修で)型取りが緊張したと話してくれました」

【網野竜朗さん】
「夜一緒にご飯を食べに行くよね」

【杉野凜太郎さん】
「よく行くよ」

【網野竜朗さん】

「お酒大好きですね」

【杉野凜太郎さん】

「ちょっと」

【網野竜朗さん】

「すごく飲みます」「悪友です」

【杉野凜太郎さん】

「いい友達」

臨床研修医となり3週間。
杉野さんは指導医の元で患者と接するようになっていました。

【指導医 柴田幸成医師】
「歯がしみるって言われたら何を考えないといけない?」

【杉野凜太郎さん】
「知覚過敏をまず考えます」

今は手話通訳士が指導医や患者の言葉を伝えてくれます。
患者からの信頼を得るために…。

【杉野凜太郎さん】
「患者の表情を見てそれに対する先生の反応とかを見て どんな状況なのか想像しながら介助とかしています」

【指導医 柴田幸成医師】
「非常に頑張って勉強熱心にやってくれてると思います」「僕たちにはないスペシャリティーを持っているので、僕たちにはない視点だったり患者さんへの寄り添い方で頑張っていってくれるんじゃないかと期待しています」

【松本歯科大学 宇田川信之 歯学部長】
「耳の聞こえない方に対する教育を経験して歯科医師としていろんな方に優しく接しなければいけないといったことを学びました。」

最後に杉野さんに好きな言葉をたずねました。

「Never Despair」~絶望するなかれ~イギリスのウィンストン・チャーチル元首相の言葉です。
強い信念で今を生きる杉野さん。
世界中の耳が聞こえない人だけでなく様々な理由でコミュケーションを取ることが難しい人たちにもしっかりと寄り添える歯科医師になりたいと研修に励んでいます。

リンク先はテレビ信州というサイトの記事になります。
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