[麻生圭子さん]難聴(3)話せるのに聞こえない 自分の個性と思っていたが…人工内耳の手術を決断した理由

[麻生圭子さん]難聴(3)話せるのに聞こえない 自分の個性と思っていたが…人工内耳の手術を決断した理由

2007年、50歳の時に高度の難聴で身体障害者手帳を取得した。進行性のため、60歳を過ぎてからは、静かな場所でも会話が聞き取れなくなった。22年からはスマートフォンの文字起こしアプリや筆談でやりとりをするようになった。

普通に話せるけれど聞こえず、手話はできない。そんな中途失聴者になり、生きづらさに直面した。筆談を依頼した相手は大抵、いぶかしがる。聞こえていないと分かると、今度は手話でのやりとりを求められる。「ろう者にも健聴者にもならない、周りに理解されにくい障害者ですね」

コロナ禍ではマスクで唇の動きが読めない苦労もあった。その頃にはさらに聴力の低下が進み、主治医から人工内耳を勧められていた。補聴器では言葉が聞き取れない重い難聴者向けの医療機器だ。内耳に電極を埋め込み、音を電気信号にして脳に届ける。

ゆっくり音を失う中、「聞こえないのも私の個性。私はこのままでいい」と思ってきた。

その考えを改める出来事があった。庭に出た愛猫・りんが、筒の中にはまって身動きがとれなくなった。助けを求める大きな鳴き声が聞こえず、帰宅した夫が助け出した。

「飼い主は命を守る責任がある。せめてりんのSOSの声くらいは聞こえるようでいたい」。人工内耳の手術を受けることを決め、23年2月、京都大病院(京都市)で左耳の人工内耳を埋め込んだ。



エッセイスト 麻生圭子あそうけいこ さん(66)

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