『やっと何も聴こえなくなった!』聴覚障害を持つ女の子の言葉の真相に「涙がボロボロ出てきて止まらない」【漫画】

『やっと何も聴こえなくなった!』聴覚障害を持つ女の子の言葉の真相に「涙がボロボロ出てきて止まらない」【漫画】

2025/10/03 08:41

耳が聴こえなくなった瞬間に少女が喜んだ理由とは…(C)詠里/KADOKAWA

耳が聴こえなくなった瞬間に少女が喜んだ理由とは…(C)詠里/KADOKAWA


コミックの映像化や、ドラマのコミカライズなどが多い今、エンタメ好きとしてチェックしておきたいホットなマンガ情報をお届けする「ザテレビジョン マンガ部」。今回紹介するのは、詠里さんの漫画「僕らには僕らの言葉がある」。

本作は、生まれつき耳が全く聴こえない男子高校生・真白(ましろ)が主人公。元々はろう学校で野球をしていたが、高校で硬式野球をするために普通学校へ入学する。野球部ではキャッチャーの野中と組むことになったが…。

出版社であるKADOKAWAのX(旧Twitter)アカウント「カドデン一般書PR」が8月29日にX(旧Twitter)に第5話をを投稿したところ、3,900件を超える「いいね」が寄せられた。本記事では作者である詠里さんに、作品のこだわりなどについてインタビューをおこなった。


生まれつき耳が不自由だった芙美子の幼少期とは…

本作の5話は主人公・真白(ましろ)の母・芙美子(ふみこ)のエピソード回。芙美子も耳が不自由で、幼少期には補聴器を付けることで片耳がわずかに聴こえていた。しかしある日突然、耳が全く聴こえなくなってしまう。そして両親に向かって「やっと何も聴こえなくなった!」「夢がひとつ叶ったのよ!」と喜ぶのだった。

芙美子が喜んだ理由に、投稿されたX(旧Twitter)には「号泣」「涙がボロボロ出てきて止まらない」「知ることは大事ですね」「聴覚障害や手話や周囲の人との関わりのことについてすごく丁寧に描かれていてとても好き」「聴覚障害児(難聴児)だった私の苦しみや悲しみ、諦め感、聞こえなくなったことへの喜び憧れ全部詰まってる」などの声が寄せられている。

詠里さんの「僕らには僕らの言葉がある」を読む


「きこえない高校球児は絶えず日本中にいるのに、私には彼らの姿が一切見えていなかった」作者・詠里さんに作品創作のきっかけをインタビュー

詠里さんにインタビュー(C)詠里/KADOKAWA

詠里さんにインタビュー(C)詠里/KADOKAWA


――「僕らには僕らの言葉がある」を創作したきっかけや理由があればお教えください。

もともと高校野球の漫画をずっと描いてきたのですが、新しい題材探しの際に偶然「甲子園を目指す強豪校に一人、耳のきこえない選手がいる」という内容のドキュメンタリーを見たのが直接的なきっかけです。当時の私は何も知らず「えっ、耳がきこえないのに野球なんて本当にできるの?たまたまこの人が特別なだけでは?」と思っていました。しかしそこから情報収集を進めていくと「耳がきこえないのに野球なんてできるの?」というのは無知から来るとんでもない偏見から出てきた感想であることがわかったのです。ずっと高校野球を見てきたのに…ずっと昔から現在にいたるまで、きこえない高校球児は絶えず日本中にいるのに、私には彼らの姿が一切見えていなかった。存在すら知らなかった。高校野球と高校球児たちを愛する者として、そのことに対する衝撃というか、自省の気持ちから始まっていきました。


――本作を描くうえでこだわった点や、「ここを見てほしい」というポイントがあればお教えください。

「わかりやすい」「共感できる」という状態を私は常に警戒しています。漫画制作の上では「わかりやすい」「共感できる」というのは良いことだからとにかくそこを目指すべきだというのが一般論ですが、「わかりやすい」「共感できる」というのはあくまで「”読者の大多数である聴者にとって”わかりやすい」「”読者の大多数である聴者が”共感できる」という話にすぎず、その価値観で作品を作っていくとき、物語の主役であるはずのきこえない人の存在は透明化されてしまっています。それでは意味がないと思うので、私は「わかりやすさ」も「共感のされやすさ」もほとんど手放した状態でこの作品を描いています。

私のこのような姿勢は漫画家としてあるまじき姿に見えるかもしれません。しかし、たとえ聴者にとってわかりやすくなくても聴者からの共感が得られなくても、きこえないキャラクターの「きこえない」という知覚にできるだけ忠実に沿って描くことでしか表現できなかったシーンが、そして、当事者の皆様が「こういう漫画に出会えてよかったと思った」と言ってくださったシーンがこの作品には数えきれないほどあります。その意味をぜひ一緒に考えてもらえたらと思います。


――本作の中で特に印象に残っているシーンやセリフがあれば、理由と共にお教えください。

『芙美子からの手紙』の中で、「やっと何も聴こえなくなった!」と芙美子が心から喜ぶシーンです。読者からの反響、特に芙美子と同じような経験をされた当事者の方からの反響が大きかったシーンでもあります。難聴のキャラクターが出てくる作品は世の中にたくさんありますが、「きこえないという辛さ」について言及されることはあっても、「きこえるという辛さ」について言及されることはまだまだ少ないですよね。私も何も知らない頃はそうでしたが「きこえない・きこえにくい人は全員、できればきこえるようになりたいと思っているはずだ」という前提で聴覚障害について考えてしまっている気がするんです。その前提自体が間違っている可能性については考えもしない。私を含め聴者の多くがずっと抱えつづけ、きこえない人に押し付け続けている勝手な理想や傲慢さに対する問題提起として、この『芙美子からの手紙』という話は全体の中でも特に印象に残っています。


詠里さんの「僕らには僕らの言葉がある」を読む

――芙美子の幼少期のエピソードに心打たれました。ストーリーを創作するうえでこだわっていることがあればお教えください。

昔からプロットを立てたりキャラ表を作るのがものすごく苦手で…会議などのためにどうしても用意しないといけないとき本当に大変なんです。何も準備せず、いきなりネームから作り始めたほうがうまくいきます。私にとってストーリーって、作るものではなくてキャラクターの行動の積み重ねなので…。

ただ意識的にひとつだけこだわっていることとしては、「読者の感情の手綱を握ろうとしすぎない」ということです。私の漫画を読んでどんな感想を持つかは、読者の方それぞれがどんな人生を歩んできたか、どんな思想を持っているか等によって変わるのが自然な形だと思っています。だからどんなに緊迫したシーンだとしても、オーバーな感情表現や、「こう感じろ!」と強く誘導するような展開・演出は極力避けるようにしています。どう感じるのか?それは私が勝手に決めていいことではないので。起こったことだけを淡々と映し出すことに徹する、それが理想です。実際に同じシーンに対して寄せられた感想でも人によって全然違うことがあるんですよ。これからもそういう漫画を作っていきたいです。


――今後の展望や目標をお教えください。

まだまだ『僕らには僕らの言葉がある』の世界観の中で描き切れていないことのほうが圧倒的に多いですし、さらに時間をかけてこのテーマをずっと深め続けていきたいと思います。


――作品を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。

いつも読んでくださってありがとうございます。たった一人で描き始めたこの『僕らには僕らの言葉がある』でしたが、今では始めたころには想像もできない出来事を色々と連れてきてくれる作品になりました。これからもコツコツと描き続けていきたいと思いますので、引き続き応援してもらえると嬉しいです。


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