吉沢亮の繊細で等身大な演技が光る!手話からも感情が伝わってくる映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

吉沢亮の繊細で等身大な演技が光る!手話からも感情が伝わってくる映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

俳優  2025.02.26

電車に乗る吉沢亮

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」 (C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会


呉美保監督の9年ぶりの長編作品となった「ぼくが生きてる、ふたつの世界」(2024年)。CODA(コーダ)=きこえない、またはきこえにくい親を持つ聴者の子どもを演じた吉沢亮のナチュラルかつ繊細な演技が光る本作は、誰もが親子関係を振り返られるような切なくも、温かな人間ドラマとして完成した。

「そこのみにて光輝く」(2014年)では、愛を捨てた男と、愛を諦めた女の邂逅をスクリーンに刻み込んだ呉監督。綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉らの激しくも美しい演技を引き出し、その年の映画賞を席巻した。また「きみはいい子」(2015年)では、新米の小学校教師や自身の子どもを傷つけてしまう母親らを通して、現代社会の問題を見つめながら人と人の関わり合いの大切さを浮き彫りに。呉監督は過酷な状況から目を逸らさずに、一縷の希望の光を追いかけていくような作品群で映画ファンの心を掴んできた。

吉沢亮を主演に切なくも心に響く家族の物語を綴る「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

 吉沢亮を主演に切なくも心に響く家族の物語を綴る「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会


そんな呉監督がおよそ9年ぶりの新作として世に送り出したのが、3月23日(日)にWOWOWシネマにて放送される「ぼくが生きてる、ふたつの世界」だ。社会的マイノリティに焦点を当てた執筆活動をする作家でエッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ「ぼくが生きてる、ふたつの世界」(幻冬舎刊)を原作に、宮城県の小さな港町で、耳のきこえない両親のもとで育った主人公・大(吉沢)の心の軌跡を描く。

呉監督の作品でいつも惚れ惚れとするのが、生活感のある家や家族を映し出すことだ。本作でも匂いまでしてきそうな家庭の風景がどこか懐かしく、映画の中へと観客を誘う。コーダである主人公の大にとって、耳がきこえない母の"通訳"をすることは楽しい日常だった。しかし次第に周りから特別視されることに戸惑い、母の明るささえ「うざい」と疎ましくなり、母を傷つけるような言葉もぶつけてしまう。

吉沢は劇中で、中学時代から大人へと成長していく大を演じ切っている。もともと吉沢のファンだったという呉監督からの期待に応え、吉沢はままならない人生への葛藤を見事に体現。"国宝級イケメン"と称えられる彼が、等身大の姿としてもがき、行き詰まる様子をにじませるごとに、しっかりと自分のすぐそばにいるような生活者に見えてくるから不思議だ。


「ぼくが生きてる、ふたつの世界」のワンシーン「親子」

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

吉沢の手話からも、感情がびしびしと伝わってくる。吉沢は約2ヶ月、みっちりと手話の練習をしたといい、大がイラついている時の手話、会話が楽しいという時の手話の違いもはっきりと分かるなど、生きた手話を目にできる。ろう者俳優として活躍する忍足亜希子と今井彰人が大の両親を演じているが、公開記念舞台挨拶では吉沢の手話を「リアルな手話」だと絶賛し、だからこそ家族の関係性が表現できたと語っていた。

努力が実を結んだ手話の表現力と共に、吉沢の演技からは瞳や佇まいからも大の心の中が露わになるようで、言葉を使わずともこんなにも感情を受け取れるものなのかと驚かされる。クライマックスでは、母とのこれまでの道のりや愛情が溢れるが、俳優・吉沢亮が静寂の中に感動を生み出していた。

文=成田おり枝


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