母は聴覚障害、長女は難病…下の子を産む前に「夫婦で決めたこと」

母は聴覚障害、長女は難病…下の子を産む前に「夫婦で決めたこと」

2025/05/18

牧野さんと二人の娘

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重度の聴覚障害を持ちながら、手話ではなく読唇術で会話をし、国立大学から大手企業へ、そして結婚出産も経て会社を立ち上げ、現在は、ご主人と2人の娘さんと共にアメリカで暮らしている牧野友香子さん。

牧野さんは、50万人に1人の難病を持つ娘さんの母親でもあります。今回は、牧野さんの著書『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』より、難病の長女を育てながら「もう一人家族が増えてもいい」と思った時に、夫婦で決めたことや、牧野家ならではの家族の形についてご紹介します。

『耳が聞こえなくたって』特集記事はこちら

 

はじめに

私は、生まれた時から耳が聞こえません。補聴器をつけても、人の声はほぼ聞こえません。補聴器を外すと、飛行機の轟音(ごうおん)も聞こえるか、聞こえないかくらい。

会話は手話ではなく、「読唇」といって相手の口の動きを読み取って理解し、自分自身の発音でことばを発する「発話」なんです。

大阪で生まれ育った私は、ろう学校には行かず、幼稚園、小・中学校は地元の学校に。天王寺高校から、神戸大学に進学し、就職先は第1志望のソニー株式会社へ。趣味の合うファンキーな夫と結婚し、めでたく2人の子どもにも恵まれ……と文字で書くと順風満帆なようですが、聞こえない私の人生、そんな順調にいくわけがありません。

一番大変だったのは、長女に難病があったこと。聞こえない中での2歳差の姉妹の育児、仕事をしながらの病院通い。でも、複数回にわたる手術に入院と頑張る長女。そして、どうしても我慢の多くなる、“きょうだい児”の次女のしんどさを思うと、親として弱音を吐いてばかりはいられませんでした。

そんな中で長女が2歳、次女が0歳の時に、難聴児を持った親御さんをサポートする「株式会社デフサポ」を立ち上げ、今では子どもたちを連れて家族で渡米。アメリカで生活をしています。いろいろな意味で“規格外”の私ですが、いいこともそうでないことも含めて、おもしろく読んでいただけたらうれしいです。

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』「はじめに」より一部抜粋


“きょうだい児”の苦労をさせないために


長女が生まれた時は不安で不安で仕方のなかった私ですが、育てていくうちにかわいくて、夫とも、「もう1人、増えるのもいいよね」と話すようになりました。

きょうだいに障害児のいる子(障害のない子)を「きょうだい児」と言いますが、私が気にしていたのは、下の子にきょうだい児のような苦労をさせないこと。ヤングケアラーといったことばもありますが、下の子に長女のお世話をさせない! ということや、上の子に難病があることで下の子が理不尽に我慢することがないようにというのは、2人目を産む前に夫婦で決めていました。

上の子に病気があったことで、下の子を産む時もいろんなことが頭を駆け巡りました。夫と相談し、「生まれる前からあれこれ心配してもしょうがない。産んでみないことにはわからない」という結論になりました。

ちょうど夫が起業したタイミングと重なり、忙しさはあるものの会社員と違って時間の融通は利くので、病院や療育には連れていけるから「なんとかなるよね」という感じもありました。

「忙しくても子育てにかける時間は捻出できる! いざとなれば睡眠時間を削ればいい!」という思いが決め手でした。どんなに忙しくても、どんなに大変でも、子どもにかける時間と愛情をおろそかにしないという点で、夫婦の気持ちが一致したのは大きかったですね。

とはいえ、私たちのことなので、
「大丈夫っしょ!」
「いけるんじゃない!?」
みたいなノリがあったことも事実です。

もちろん話し合うことは大事ですが、あまり慎重に細かく検討しすぎると“できない理由”ばかりを見つけてしまいそうだったので、そのノリがあったことで気持ちのバランスが取れていたのかもしれません。

生まれてみたら、芯の強い長女と元気な次女はすごく仲がよく、ケンカもありつつ楽しく過ごせている様子を見て、私たちも幸せな気持ちになりました。家庭の中に、子どもと子どものやりとりが生まれたことも、いい影響があったように感じています。

長女は妹の面倒をよく見るし、次女は速く走れない姉のスピードに合わせて歩く。そういう関わり方や、自分なりに考えて行動することが自然にできているのは、我が家ならではじゃないかなと思っています。

牧野さん一家


自分の体のことは自分で決められるように

長女は定期的に通院しますし、時に入院して手術をすることがあるので、その都度2人に、どんな手術をするのか? どの期間入院するのか? をしっかり話します。長女は、自分が受ける治療や手術のことは子どもなりにわかった方がいいし、理由やメリット・デメリットを理解した上で納得して受けてほしいと思っています。

次女も、姉がどういう手術をしないといけなくて、それがどう自分に影響するかを理解した上で納得する必要があると思っています。そんなふうに、我が家では娘たちがちゃんと理解するまでわかりやすく嚙(か)み砕いて、何度も話し合いをします。

もし私が長女の立場だったら、自分の体のことは自分で決めたいと思うんです。親だからといって、子どものことを勝手に決めようとは思いません。もちろん、親が判断すべき部分はありますが、子どもとはいえ、自分自身のことを知る権利があると思っています。

5歳になる少し前の手術の時は、こんな病気があって、その結果手術が必要になったことと、どんな手術をするかを図解して、
「ここを切って、ここにボルトを入れて、足の骨を伸ばす手術だよ」
「切る時には全身麻酔というのをして、眠っている間に切るから痛くはないよ。その後、痛みはちょっと出るみたいだけど、慣れるみたい」
「手術の後、1年間くらいは車椅子に乗って生活するよ。リハビリをしなかったら筋肉が伸びなくなって困ったことになる。だからリハビリも毎日やらないといけないよ」
と、細かく説明しました。

次女に対しても、長女と一緒に説明します。長女の入院や手術は、次女にとっても大きな出来事です。どうして自分だけおじいちゃんおばあちゃんの家に行くのかをわかってもらうのももちろんですし、長女の病気は隠すような内容ではないと思っているので、現実をそのまま伝えています。

でも、それを聞いたからって、次女に必要以上にお姉ちゃんに優しくしてね!! とは思いません。次女は次女なりに頑張っているし、長女は長女なりに頑張っている。頑張る方向は違うかもしれないけど、家族みんなでちょっとずつ我慢する時期もあるよね~という感じで、それぞれのことを理解することができたらと思っています。


今回紹介したのはこちら

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』

『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』
牧野 友香子 著/KADOKAWA

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【著者プロフィール】牧野友香子(まきの・ゆかこ)

1988年大阪生まれ。生まれつき重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。幼稚園から高校まで一般校に通い神戸大学に進学。大学卒業後、一般採用でソニー株式会社に入社。難病を持つ第一子の出産をきっかけに株式会社デフサポを立ち上げ、全国の難聴の未就学児の教育支援や親のカウンセリング事業を行う。現在は、仕事の都合もあって、家族でアメリカに暮らしている。また、YouTube 「デフサポちゃんねる」は12万人の登録者数を誇る(2024年6月時点)。


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