「目覚めると皆が口パクで…」 襲った異変、聴こえぬ音…“もう一つのラグビー日本代表”の挑戦

「目覚めると皆が口パクで…」 襲った異変、聴こえぬ音…“もう一つのラグビー日本代表”の挑戦

2025.10.23
著者 : 吉田 宏

練習中は常に手話、比較的聴力がある選手の間では声も交えた“対話”が行われている【写真:吉田宏】

練習中は常に手話、比較的聴力がある選手の間では声も交えた“対話”が行われている【写真:吉田宏】


柴谷を襲った突然の異変「パっと目覚めると皆が口パクで…」

 留学先は、15人制日本代表SH齋藤直人も現在プレーするヨーロッパ屈指の強豪スタッド・トゥールーザンだった。当時は「プロ化が始まった頃でセミプロの段階。入るのもそこまで厳しくなかった」(柴谷)という時代で、長閑さも残っていた。1年の留学を予定していた柴谷は語学学校に通いながら21歳以下のチームでプレーしたが、怪我やフランス語でのコミュニケーションに苦しむ毎日だったという。その留学から帰国が近づく中で、仲間と訪れたスペインで運命が大きく変わることになった。

「有名な牛追い祭りに行ったんです。毎日朝から大酒を呑むようなお祭りです。そこで仲間と呑んで眠ってしまい、パっと目覚めると皆が口パクで話していた。でも、それが突発性難聴だったんです。すぐ病院に行けばある程度治療が出来ますが、時間が経つと難しい。僕の場合は旅先だった。右の聴力は回復したんですが、左はそのままです。静かな環境だと大体分かりますが、うるさい所だと聞こえないこともあります」

 片方の耳が聞こえることで社会生活は続けられたため、大学を卒業した2000年から広告代理店に勤めたが、楕円球の魅力は卒業出来なかった。ウェブサイトで偶然知ったことで「デフ」という、もう一つのラグビーでの挑戦が始まった。

「サイトの情報は、2002年にニュージーランドで初めてデフラグビーの世界大会をやるというものでした。こういうラグビーもあるんだと知って(日本チームに)参加し始めたんですが、当時は手話も使ったことがなかったし、自分が障害者スポーツに入るということも、すごく違和感を持ちながらでしたね」

 デフラグビーでは、柴谷のように花園クラスの高校や関東大学対抗戦チームでプレーした選手はほとんどいなかった。当初は柴谷自身が違和感を抱いたのも当然ではあったが、中心選手として活躍し、その経験値やラグビーの知識も踏まえれば、現役引退後にヘッドコーチの道を歩むのは、本人にも周囲の関係者にとっても自然な道筋だった。

「デフラグビーでは、初心者の選手も多かったので、選手時代から半分コーチのようなこともしていました。なので、広告の仕事はしていたのですが、もうちょっとコーチも本格的にやりたいと思って、教員免許を取って母校の茗渓学園の英語の教員になったんです」

 2007年から茗渓で教員、コーチを始めたが、柴谷のラグビーへの探求心はさらに高まっていった。15年からは「もっと勉強したい」という思いで東芝(現東芝ブレイブルーパス東京)―日野(現日野レッドドルフィンズ)と分析担当を務めた。同時に日本体育大大学院にも通い、現在のポジションに辿り着いた。

 日常では接する機会は少ないデフラグビーだが、聴覚障害と無縁の人間が「40dB以上」という数値から直ぐに難聴の程度を理解するのは難しい。参考までにWHOの難聴基準(2011年)では、20-34dBが軽度、35-49dBを中等度難聴としている。一般的にも「通常の聴力レベル」とされるのが25dB未満、25dB以上40dB未満が「軽度難聴」という説明もある。

 このような基準がある中で、JDRFUによるとデフラグビーの競技人口は「積極的に参加している選手」で20人程度という。競技人口やゲーム自体のコミュニケーションの難しさから、15人制よりも来年の世界大会のように7人制がメーンになっているが、それでもろう者だけで日常的に活動するチームはない。選手の多くは一般の中高、スクールや、大学、社会人クラブなどでプレーしている。大分雄城台高―帝京大で快足WTBとしてプレーして、現在はデフラグビー日本代表で活躍する大塚貴之らが代表的な選手だ。代表(候補)チームも、国内での実戦による強化は「クワイエットタイフーン」として、一般(健常者)のリージョナル(地方)大会などに参加するのが日常だ。


吉田 宏


サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

 

リンク先はTHE ANSWERというサイトの記事になります。


 

ブログに戻る

コメントを残す